『山からの風』・・・このブログの題名なんですが、看板とも言えるブログ名、この名前に決めた理由を今日はお話しましょう。
私は子供時代から山を登ることが好きで、一人で自転車で出かけて行っては山を彷徨っていました。 当時は山登りもメジャーではなく、学校やファミリーでのレクリェーションという目的で市町村などの地域が登山道を整備していた感じでした。
そういうわけで、道などは有って無いようなもので、登山道にリボン・・矢印なんか全くありませんでした、途中の「あと何km」・・なんてトンでもない話し。
最近は中国電力の送電線や、NTTなどの電波塔などのお陰で、良く林道も開発され、山の中にも入りやすくなりましたよね。
今から40~50年前、私が小学生の頃ですが、山登りの為には登山口の探索から始まりました。 見つけた道が何処まで行けるか?何処に繋がっているか?・・山頂には行けるのか?
小学生が、市内地図を購入して、見つけた登山口を地図に記入して、山頂に行けそうな道が推理できたらアタックという手順でした。
ですから、一つの山に登るのに調査で4.5日・・・足掛けで1ヶ月以上は掛かっていたと思います。
市内の主な山は、7座、ほぼ山頂に登れました。 ほぼ?・・・中には山頂まで後20~30mで断念の山もありました。 又、「ここが山頂だよね?」 ここが天辺だと思う。と言うのが何座かあります。 GPSも無く、地図も割りに雑な時代で、山名も、標高も、等高線も正確ではありませんでした。
桂木山の登山口
当時、私の市でマトモにコースが整備されていたのは、Mヶ岳とOH山・・位でした。 他の山は獣道と言っても良い感じです、おそらく山頂の三角点の保守の為、国土地理院の方が歩いた道がそのまま登山道だったのでしょう。
そんな山を彷徨っていた小学生の私は、普通の子と同じく、スポーツや学業??の為に何時しか山を忘れていました。
そして・・・何と40年が過ぎた頃に、思い出したのですから不思議なものです。
さて、このブログの題名ですが・・山からの風。 登山口を見つけたときに、そこから山頂を見つめようとしますが、大体、登山口から山頂は見えないものです。
そこで感じ取るのが、山からの風なのです。登山口から吹き出て来る風には、匂いと温度と湿度を教えてくれます。
偉そうに言える身分じゃ無いのですが、「山が呼ぶ声」が風の中にあります。 特に秋の山からの風はとても大声で、しかも笑ってます。
白滝山のゴルジュ
私は山、・・単体はエネルギーと考えます。 地球の大きなエネルギーによって、地殻は変形させられ、盛り上がった場所が山です。
山と言うのは、何年も何百年も何万年も掛けて、雨で受けた水を谷にし、川にし、大河にさせて、山の土砂を海まで運びます。 この作業は何万年レベルでは終わりませんし、この全ての年月のエネルギーを合計したら凄いパワーになるのです。
その谷川を風は下って来ます・・・風水ではエネルギーの通過するポイントを重要視します。 水は川や湖、滝もです。 風は狭まった谷、川の上・・そして丘。 最近では車や列車も移動するエネルギーです、・・これは道ですね。・・・もう一つ特別なもの・・送電線、これもエネルギーです。
そのエネルギーの移動するポイントに人は住んでは良くない、と言われます。 確かに谷の中に家を建てると、土石流や鉄砲水の被害が考えられます。 地球のエネルギーの流れの中に身をおくと、そのエネルギーの被害を受けると思えばよいのでしょうか。
如意ヶ岳から桂木山方面
この大地の血流は、私達に大切な養分を運ぶ代わりに、大きすぎるパワーによって被害をも与える。 私は個人的に、このことを『龍の道』と呼んでいます・・・エネルギーの通過する道は、龍の通り道、そこに立つことは得るものと失う物があると考えます。
登山口から吹き出て来る風・・・何万年分も蓄積したエネルギーの上を通過してきた風です、私達に良いことがある様に導いて欲しいものです。・・・ご安全に。
ご意見、お聞かせください。
私は子供時代から山を登ることが好きで、一人で自転車で出かけて行っては山を彷徨っていました。 当時は山登りもメジャーではなく、学校やファミリーでのレクリェーションという目的で市町村などの地域が登山道を整備していた感じでした。
そういうわけで、道などは有って無いようなもので、登山道にリボン・・矢印なんか全くありませんでした、途中の「あと何km」・・なんてトンでもない話し。
最近は中国電力の送電線や、NTTなどの電波塔などのお陰で、良く林道も開発され、山の中にも入りやすくなりましたよね。
今から40~50年前、私が小学生の頃ですが、山登りの為には登山口の探索から始まりました。 見つけた道が何処まで行けるか?何処に繋がっているか?・・山頂には行けるのか?
小学生が、市内地図を購入して、見つけた登山口を地図に記入して、山頂に行けそうな道が推理できたらアタックという手順でした。
ですから、一つの山に登るのに調査で4.5日・・・足掛けで1ヶ月以上は掛かっていたと思います。
市内の主な山は、7座、ほぼ山頂に登れました。 ほぼ?・・・中には山頂まで後20~30mで断念の山もありました。 又、「ここが山頂だよね?」 ここが天辺だと思う。と言うのが何座かあります。 GPSも無く、地図も割りに雑な時代で、山名も、標高も、等高線も正確ではありませんでした。
桂木山の登山口
当時、私の市でマトモにコースが整備されていたのは、Mヶ岳とOH山・・位でした。 他の山は獣道と言っても良い感じです、おそらく山頂の三角点の保守の為、国土地理院の方が歩いた道がそのまま登山道だったのでしょう。
そんな山を彷徨っていた小学生の私は、普通の子と同じく、スポーツや学業??の為に何時しか山を忘れていました。
そして・・・何と40年が過ぎた頃に、思い出したのですから不思議なものです。
さて、このブログの題名ですが・・山からの風。 登山口を見つけたときに、そこから山頂を見つめようとしますが、大体、登山口から山頂は見えないものです。
そこで感じ取るのが、山からの風なのです。登山口から吹き出て来る風には、匂いと温度と湿度を教えてくれます。
偉そうに言える身分じゃ無いのですが、「山が呼ぶ声」が風の中にあります。 特に秋の山からの風はとても大声で、しかも笑ってます。
白滝山のゴルジュ
私は山、・・単体はエネルギーと考えます。 地球の大きなエネルギーによって、地殻は変形させられ、盛り上がった場所が山です。
山と言うのは、何年も何百年も何万年も掛けて、雨で受けた水を谷にし、川にし、大河にさせて、山の土砂を海まで運びます。 この作業は何万年レベルでは終わりませんし、この全ての年月のエネルギーを合計したら凄いパワーになるのです。
その谷川を風は下って来ます・・・風水ではエネルギーの通過するポイントを重要視します。 水は川や湖、滝もです。 風は狭まった谷、川の上・・そして丘。 最近では車や列車も移動するエネルギーです、・・これは道ですね。・・・もう一つ特別なもの・・送電線、これもエネルギーです。
そのエネルギーの移動するポイントに人は住んでは良くない、と言われます。 確かに谷の中に家を建てると、土石流や鉄砲水の被害が考えられます。 地球のエネルギーの流れの中に身をおくと、そのエネルギーの被害を受けると思えばよいのでしょうか。
如意ヶ岳から桂木山方面
この大地の血流は、私達に大切な養分を運ぶ代わりに、大きすぎるパワーによって被害をも与える。 私は個人的に、このことを『龍の道』と呼んでいます・・・エネルギーの通過する道は、龍の通り道、そこに立つことは得るものと失う物があると考えます。
登山口から吹き出て来る風・・・何万年分も蓄積したエネルギーの上を通過してきた風です、私達に良いことがある様に導いて欲しいものです。・・・ご安全に。
ご意見、お聞かせください。