シルク雑感日記

あくまでも個人的な雑感日記です。内容は他人には理解できないと思います。

心の分化

2015-11-07 04:28:44 | 日記
心は主体と対象に分離する。
そしてそこに苦しみが現れる。
主体は対象と同一化しようと努力を繰り返す。
同一化は欲望と同意語である。
心の思念の力は欲望を次第に現実化という形で実現させようとする。
現実化はプラーラブタカルマとして今世に現れる。
心の欲望が実現すると
主体と対象の同一化によって
達成感という感情が現れて
胸の中心の感情中枢に喜びという感情が生ずる。
すると分化は終わり静寂が訪れ、
今度は幸福感を感じるようになる。
しかしそこで終わりは訪れない。

幸福感があったはずなのに
しばらくすると心の中に満たされないという新たなる想いが湧き起こる。
自我は消え去ることはない。
また新たな分化を心の中に生み出す。
そしてまたしても苦しみを作り出す。
その繰り返しは永遠に続いていく。
なぜならば実は心が外界に向かっている限り分化は繰り返されるのだ。

ところが心を内に向け心自体を対象として心を見つめる時には
なぜだか分化は起こらない。
そこには感情も現れない。
心を見つめていると
空間を捻じ曲げて亜空間を作り出すことができなくなる。
心自体を対象化すると
想念の現れない無念無想の状態のまま心はただそこに留まる。
そこに残るものを探すと
残るものは呼吸と鼓動である。
鼓動は集中してもうまく感じれないが、
呼吸は心と共にただ在る。
息を吸い、
しばらく止まり、
自然に息を吐き出す。
その呼吸をしているものと
その呼吸を見つめる心がある。
生命がある限り、
呼吸は果てしなく続く。
それと共に見つめる心がある。
そこには心の分化はない。
私は誰かと探求するならば
知る者、知られるもの、知るという行為という三位を伴った心の分化は現れなくなる。
それは分化による相対的な幸福を超える。
無念無想の静寂の中でただ単に在るのみだ。
相対的な幸福や快楽や感情もない
その状態に留まることこそが
至福である。