15年の歳月が過ぎたが、結局何も変わらなかった。
変わったものは肉体の老化と努力しても報われないという絶望感だけだ。
ラーマクリシュナの話は理想論なのかと思える。
変わったものは肉体の老化と努力しても報われないという絶望感だけだ。
ラーマクリシュナの話は理想論なのかと思える。
彼の話したことは魅力ある話なのは認めるが、
現実には誰も彼に会うことなどできはしない。。
結局、毎日の瞑想とヨガなど、何の結果ももたらさなかった。
しかしそれを続ける以外に自分には何もない。
結局、毎日の瞑想とヨガなど、何の結果ももたらさなかった。
しかしそれを続ける以外に自分には何もない。
そして死んでいくんだろうな。
唯一、運動することが楽しみだったけど
もう運動もできなくなってしまった。
瞑想するために半跏趺坐で座ったのが原因だと思う。
結局、膝の痛みのために瞑想の姿勢とスポーツを放棄することになってしまった。
ラーマクリシュナは全てを取り上げてしまわれる。
食べる楽しみは、お酒の依存症へと導いた。
それも彼の思召しなのだろう。
でも、お酒に逃げても幸福にはなれず
自分自身が益々不幸を感じるようになっていくのが分かる。
お酒や食べ物に逃げたとしても、
それが幸福をもたらす訳ではないのだ。
認知症の母はこう言った。
ただ毎日を何もせずに過ごしているだけで
何の楽しいこともないし、
ただ与えられる食事を食べて生きているだけだ。
今はただ神のお迎えを待つだけだと言っていた。
私も全ては神の思召しだと思って生きていくしかない。
しかし、幸福の探求だけはして死のうと思う。
唯一、運動することが楽しみだったけど
もう運動もできなくなってしまった。
瞑想するために半跏趺坐で座ったのが原因だと思う。
結局、膝の痛みのために瞑想の姿勢とスポーツを放棄することになってしまった。
ラーマクリシュナは全てを取り上げてしまわれる。
食べる楽しみは、お酒の依存症へと導いた。
それも彼の思召しなのだろう。
でも、お酒に逃げても幸福にはなれず
自分自身が益々不幸を感じるようになっていくのが分かる。
お酒や食べ物に逃げたとしても、
それが幸福をもたらす訳ではないのだ。
認知症の母はこう言った。
ただ毎日を何もせずに過ごしているだけで
何の楽しいこともないし、
ただ与えられる食事を食べて生きているだけだ。
今はただ神のお迎えを待つだけだと言っていた。
私も全ては神の思召しだと思って生きていくしかない。
しかし、幸福の探求だけはして死のうと思う。