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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

豆炭炬燵

2017-02-24 20:22:41 | 自然食品和みさん

やっと自宅に戻ったなあ~~~~~とかみしめる余裕を取り戻しています。片付け荷物に埋もれていたのが、少しづつ家の中に秩序が戻って日常生活が楽になりました。

そんな中一番のヒットは、豆炭炬燵!!!!!これは最高です。帰郷して間もないころは豆炭炬燵を作ることも思いつきませんでしたが、片付け荷物を見て途方に暮れて・・・・・くたびれて・・・・・「炬燵を作ろうか!!!!!それも豆炭炬燵を!!!!!」夫と二人同意に達しました。この炬燵は14~5年前(?)平戸の自然食品和みさんから買ったものがもとです。豆炭も素性の良いものを分けてもらっていました。それが復活して・・・・・あまりの心地好さに、朝まで炬燵で寝てしまいそうです。電気炬燵は長時間入っていると皮膚がチカチカしてきて我慢できなくなりますが、豆炭の輻射熱というか・・・・・これは体の芯からほわ~んと暖かくなって・・・・・実は豆炭とその容器に和みさんの一工夫があって、この豆炭炬燵はそれはそれは気持ちが良いものです。

                        

 

というわけで、「極楽、極楽」と言いながらこの炬燵で暖かく一日を締めくくっています。間もなく2月も終わろうとしていますが、もう少しこの炬燵のお世話になりそうです。写真は豆炭の容器と炬燵の容器の収納庫。中央は火熾しで豆炭を火にかけているところです。昭和の2~30年ころに戻ったような懐かしい映像ではありませんか?子供の頃に帰ったような楽しい作業です。

 

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春の味・芹の胡麻和え

2017-02-19 10:25:46 | Weblog

市場でみずみずしい芹を見つけました。何とは無しに春めいて『芹の胡麻和え』を胡麻たっぷりで作りました。いつもは春菊と半々にすることが多いのですが、今回は正真正銘の『芹の胡麻和え』・・・・・なので、白ゴマたっぷりにしました。水仙が咲いて、梅の花が咲いて・・・・・暖かくなって・・・・・春の気配がいっぱいになってくると、心楽しくなってきますよね。幸せを感じます。

 

そんな長閑な日を送ることが出来ることを本当に幸せだと思いますが、お隣の韓国や時代劇のような北朝鮮の現状・・・・・中(華人民共和)国や中近東の国々・・・・・ヨーロッパも一つにはなれそうもないし、そればかりか世界を牽引していた(?)アメリカ合衆国まで何だか怪しげになってきました。私達日本人は『国』というものについてもっと現実的にならなければいけない時期に来ていることをひしひしと感じさせられます。私達の国日本もそんな危うい世界情勢の中に存在しているのに、私達は国がいつまでもあってすべてを保証してくれるという幻想を抱いているような気がします。

かの昔孔子様が王道政治を説かれて、人の踏むべき道を『徳』として示されました。そして具体例として『仁・義・礼・・・』などの徳の現れ方を述べておられますが、高校時代の論語の授業で『仁』について、後に孟子が解説(?)したとされる『惻隠の情』・・・・・『思いやり』だと先生が話されたのを思い出します。要するに他人を思いやる人間関係が社会の基盤であり、王道政治(国)の基本であり、人の道なんですよね。だけど、それがこの世の難しさ・・・・・良かれと思っていても至らなければ思いやりが思わぬ事態を生むことになる・・・・・トランプ大統領のアメリカファーストが、隣人を困惑させ、回りまわってアメリカを困惑させる・・・・・

20世紀の世界平和主義者たちは世界連邦を夢見ましたが、20世紀も21世紀も『クニサヅチのみこと』の鉄槌をもっての平定を容認できない以上実現は不可能に近い・・・・・私達の日本だけが2000年も前にその鉄槌『くぶつち』でもって、日本民族に(当時の苦しみによって)溶融錬金できた現代の幸せを世界中に広げられるかどうか・・・・・これもまた限りなく難しい。マクロビオティックの桜沢先生も久司先生も『見果てぬ夢』だと言われました。私達はどうしたらよいのでしょうか。

 

こんなに危うく流動的な世界情勢の中でも、平和な日本の四季が巡って!!!!!・・・・・戦争と平和は反対語ではないと思います。平和のために戦争が起こり、戦争のさなかにも平和な一時はある。戦争やその他の悲惨な出来事が個人の遭遇する体験であるならば、それこそ思いやりの『仁』以外に解決策はないし、『仁』をもって行われる王道政治を実現するしかありません。孔子様の昔に戻ってしまいます・・・・・それでも今平戸に春が巡ってきて、『芹の胡麻和え』を楽しみ、和みの堀江さんにもう一つの春の味『メバルの煮つけ』を食べさせなければ・・・・・と思っています。若かりし頃小説(多分檀一雄の)を読んで以来の空想の味だそうです。塩焼きもおいしいけれど、メバルはお煮つけが格別だと思います。

 

 

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引っ越し片付けのまにまに

2017-02-11 22:50:19 | Weblog

昨年末故郷に戻って・・・・・新年を迎えお正月を過ぎ立春も過ぎ・・・・・延々と片づけをしています。というのも、大方の家財道具を置いて『手鍋一つで』に近い状態で上京し8年もの長い間に増えてしまった本類や所帯道具を『元々道具が埋まっている家に埋め込まなければならない』という事態に陥ってしまったからです。それで夫共々『人生の整理』を決心して・・・・・死後に残さないほうが良いようなものを『片付けよう!!!!!』とばかりに片付けていますが・・・・・ 

なかなかに大変で・・・・・1年がかりになるか、2年がかりになるか・・・・・入れる場所を空けるために不用品を捨てたり譲ったり、無理やり始末したり、長い留守の間に傷んでしまったものを取り換えたり、疲れて「気長にやろう!!!!!」と片付けのまにまにテレビを見て・・・・・時代劇やら、昭和を回顧する歌謡曲の番組を見たり・・・・・懐かしい顔や美しい声に引っ越し疲れを忘れたりしています。

 

そんなテレビ番組の中で気が付いたことがあります。と言うより、以前から気になっていたのですが、今回『記事にしておこう』と思ったことがあります。それは日本語の音についてです。戦前戦中の歌手にははっきりと守られている日本語の音についての決まり(?)が、戦後の『昭和の歌手』では美空ひばりでははっきりと守られており、森昌子にはまったく無い・・・・・この愛くるしい少女歌手が出て来た時は本当にびっくりしました。そして物凄い違和感を感じたのも、歌の文句もあったのでしょうが、その『決まり』のせいが大きかったような気がします。

歌の題名は『先生』・・・・・この言葉の読み音は『センセエ』のはずでした。おくり仮名は『センセイ』で『センセエ』と読む・・・・・という『決まり』だったはずです。だけど、森昌子は『センセイ』という音にして歌っていました。これは一体どういうことだったんでしょう。私が習ってきた『決まり』は何だったのか?????『おうま(馬)』は『オンマ』、『い(行)く』は『ユク』・・・・・というようなわけで、昭和の回顧番組に国語としての懐かしさも感じています。そして依然として違和感を禁じ得ないでいます。これは、私が知らないばかりで、既に決着のついた問題なのでしょうか。

 

 

 

 

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言挙げ(ことあげ)せぬ国

2017-01-25 21:18:28 | 日本語・古事記

日本人の横綱が今日久しぶりに誕生しました。土俵上の風貌は何となく北の湖を思わせる稀勢の里・・・・・ですが、土俵を降りると何とも可愛らしい(失礼しました)無口な好青年のようです。マスコミの関心は稀勢の里の口上にあるようでしたが、これについては以前より苦々しい・・・・・というか、違和感を覚えていました。好きだった貴乃花の口上に、ひどく嫌な感じを覚えたものです。それ以来誰も彼もが気負ったわざとらしい(?)口上・・・・・に聞こえて、何となく嫌な感じを抱いていました。それでマスコミの取り上げ方も忌まわしく・・・・・

 

でも稀勢の里の今日の口上は、清々しくいかにも力士らしい・・・・・日本人の美徳とされてきた『言挙げせぬ』伝統を思い出させてくれました。力士はこれがよいと思います。如何にも丸い土俵という極限の世界で、それも回し一つの素裸で一瞬にかける力士らしいではありませんか。土俵上の相撲の中に日々の精進の成果を見てください・・・・・これが力士の心意気というものでは・・・・・と思うのは私だけではないと思います。

 

稀勢の里関、期待しています!!!!!

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帰郷しました。

2017-01-11 12:24:55 | 平戸

明けましておめでとうございます。

 

新年も我が家は引っ越し荷物のただ中で格闘中(?)・・・・・めでたさも慌ただしさの中で、10日を過ぎたというのにまだまだ・・・・・今度の引っ越しには年齢を感じてしまいました。そんな中夫のいないお昼には、平戸伝統の『茶雑煮』・・・・・時間を節約しましたが、懐かしさを味わって心のゆとりを取り戻しました。

 

この茶雑煮には一般的に普通の白米のお餅が使われますが、玄米のお餅が香ばしくておいしいのです。これは昔ながらのインスタント料理ですから、とても簡単です。まずお餅を焼きます。同時にお湯を沸かします。そして丸ごとでもよいし、小さくしてもかまいません、焼けたお餅をお椀に入れます。その上にたっぷり目に削り節をのせお醤油をかけます。その上に熱湯を回しかけるだけです。

 

栄養のバランスが悪い?????きらいもありますが、それよりもなお、手軽さが一番の時もあります・・・・・よね。こういうわけで、我が家はまだしばらく片付け中です。

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志野

2016-12-11 15:36:04 | 週末散歩

多治見を去る日が近づき切羽詰まって、どうしても行きたいとずっと念じていた場所に行ってきました。それは鼠志野の若尾利貞先生の工房です。突然お訪ねしたにもかかわらず思いもよらぬ歓待をしていただき、感激冷めやらずというところです。

実は我が家には美しくも厳しい鼠志野のお茶碗があります。そのお茶碗と初めて出会った時、20年にもなるでしょうか、ならないでしょうか・・・・・その時の衝撃を忘れることは出来ません。どのような言葉にしたらよいのかもわかりません。そして・・・・・そのお茶碗は我らが夫婦の手元に残り、作者の心と歴史に思いを馳せて自分の心との新しい交換を起こす契機となってきました。そのお茶碗を平戸に残して8年前上京したのですが、ご縁があってそのお茶碗の生まれ故郷多治見に移り住み、間もなく多治見を去って平戸に戻ろうとしています。何とかそのお茶碗に心を込められた作者にお会いしたい・・・・・との一念にかられ、偶然も重なって念願を果たすことが出来たというわけです。

 

お手元に残る作品が飾られたお部屋で先生ご夫妻にお目にかかり、貴重なお話を伺うことが出来ました。このことは私達のかけがえのない多治見の記念になりました。帰郷して後はお茶碗を手に取るたびにその日の先生ご夫妻のご様子やあれこれ伺ったことを思い出すだろうと思います。

 

 

わが日本の焼き物の中で特異な存在感を放っている志野。見るものの心をひきつけずにはおかない志野。私も『雪』と名付けたり『雲』と名付けたりして、手元にある食器を楽しんでいます。ですが・・・・・その出自にまつわる由来はいまだに多くが不明だそうです。現代日本人は多くの場合伝統文化になじまずそぐわず、日本人独特の感性に基づく『用の美』の工芸と遠く離れた日常生活を送っていますが、外国人はこの『志野』に大きな注目の目を向けているそうです。先生の作品は既にボストン美術館にも収蔵され、『グレーズシノ(鼠志野)』と名付けられているそうです。どんなつづりか正確にはわかりませんが、『グレーズ』という音が何となく『グレイス・グレーズ・志野』と重なるような気がして嬉しいのは私だけではありませんよね?????

 

 

この『グレーズシノ』という音を聞いて思い出したことがあります。ついこの前の11月半ば、猶興館高校の大阪同窓会がありました。そこで何と50年ぶりにあった同窓生と話したばかりのこと・・・・・『志野』は『チャイナ』という英語で括られたくない!!!!!・・・・・その同窓生はアメリカで金融関係の仕事をしている最も現代的な現役の実業家ですが、剣道と茶道も教えているのだとか・・・・・それで焼き物の話になり、意見が一致しました。『ジャパニーズ・チャイナ』というわけの分からない(?)分類も嫌だし、『チャイナ・日本』も嫌だなあ~~~~~と・・・・・・(『ジャパニーズ』は漆器の総称になっています。)

 

 でも・・・・・帰宅して考えて・・・・・若尾先生のお話を伺ってまた考えて・・・・・

     志野・・・・・信濃信野科野・・・・・チノ茅野・・・・・シナ志那支那チャイナ・・・・・

『チャイナ』とは『支那』のことで、現代言うところの中国や中国文化に代表されている焼き物の歴史的英語名だと思っていました。まあそれはそれで正しいのですが、『支那』と『中国』は同じではありません。『中国』は『チャイナ』ではないのです。(だから英語で中華人民共和国のことをチャイナと呼ぶのは間違っていると思います。)『チャイナ』の語源は、おそらく、『チーノ、あるいはシーノ』であって、『チン』あるいは『イン』・・・・・そして『・イン』という国名に由来するものだと思います。そしてその淵源は『殷』『秦』『新』『晉』・・・・・『陳』『元』(元が大きくヨーロッパに影響したと思います)『明』『清』・・・・・そしてまたこれが、わが国の信濃や茅野と深くかかわっているのだと思います。たとえば、『高志』も『越』に隠れてしまい、『高麗』も『駒』や『巨摩』に隠れてしまったように。それでも、いつも主張している通り、漢字に潜む音はその意味を時代を超えて受け継がれているのだと思います。

 

『志野』と名付けた人は、日本の桃山時代に日本の土と釉薬で新しい美を発見して『陶器の中の陶器』と感激し、歴史にちなんで『志野』と命名したのです。そこで私は提案します。日本では陶器のことを『チャイナ』という英語名は止めましょう!!!!!『シーノ』が正しいと思いますが、せめて、

             『チーノ』  または、最大限譲って『チーナ』にすべきです!!!!!

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多治見名残りの日々

2016-11-26 10:54:09 | Weblog

来月多治見を引き払って平戸に戻ることになりました。それで何となく身辺が乱雑になり落ち着かない感じです。そんな中めづらしく主人が朝からテレビの時代劇(リバイバル?)をつけたまま出勤して、私はつい何もしないで続きを見てしまいました。それは松平健演じる斎藤道三の物語で、『油売り』というセリフに子供の頃の父の≪講談(?)≫を懐かしく思い出させられたからかもしれません。

 

『松平健』と言えば『暴れん坊将軍』・・・・・ で、私はこれがあまり好きではありませんでした。だから『松平健』よりも『高橋英樹』・・・・・という図式(?)でした。だけどこの『斎藤道三』はなかなか素晴らしい・・・・・信長の先駆者としての道三の業績も描いており、『松平健』もとても似合って梟雄道三らしい風格を漂わせていました。随分以前に記事にした韓国の時代劇『朱蒙』を思い出す場面もありました。

ですが・・・・・今回心惹かれたのは、道三と信長の対面の場面で道三が信長に『一指し舞って進ぜよう』と後に信長が好んだといわれる敦盛を舞う場面・・・・・その松平健演じる道三の足捌きに、ひときわ感動しました。あの足は確かにあの空間を制御しており、お寺の床畳と足の場面は大変美しかったと思います。もしかしてあの足は別人だったのかもしれませんが、でも『松平健』演じる道三の足に見えました。朝の貴重な時間何もしませんでしたが・・・・・良い劇を見ました。

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小学校の思い出の歌

2016-11-15 14:48:20 | Weblog

右に見ゆるは名高き御寺、東に遠くかすむは古城・・・・・・

      み~ぎにみゆるは なだかきみてら、ひ~がしにと~おくかすむはこじょう・・・・・

 

小学校何年生で習ったのか、この歌がひどく印象的でした。それは、言葉遣いがとても古めかしく、そして美しかったからです。遠足の歌であることだけは、『今日はうれしき遠足の日よ』で締めくくられるのではっきりしていますが、何となく記憶が薄れてその印象だけが鮮明に残っている状態でした。最近久しぶりに会った20歳も年上の従姉に聞いてみたところ、

           鳴くやひばりの・・・・・や?

と言われてはたと思いだしました。そうでした、そうでした。『鳴くやひばりの 声うららかに、かげろう燃えて野は晴れ渡る。いざや、わが友うちつれ行かん。今日は 楽しき遠足の日よ。』そうでした、これが一番の歌詞でした。小学生の私は『い~ざや、わが友う~ちつれゆかん』というフレーズが好きだったんです。格好良かった?????のか、時代めいていたのか、文語体の美しさというか・・・・・、言葉(音)が気持ちにぴったりだったのだと思います。

 

これが昔の言葉に惹かれた始まりでもあったように思います。それが佐藤春夫の文語体の詩の楽しみや和歌に親しむ始まりだったような気がします。こういう子供用の歌を復活させるのも子供の情操教育に良いと思いますがどうでしょうか。そして引いてはこれが先祖との対話となり、子供の健全さを守ってくれるような気がしています。春の歌でしょうが、忘れないうちに記事にしました。

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今年も、もうお雑煮!!!

2016-11-13 10:42:33 | Weblog

我が家ではもう、恒例のお昼ご飯メニュー『お雑煮』が始まりました。え!え?もうですか?・・・・・と周囲の方からよく言われますが、これは多忙を極めた舅姑譲りの産婦人科医のお助けメニューで夫には身にしみ付いた味です。それで新米のお餅が手に入るようになるとすぐにお昼のメニューになるというわけです。

 

今年は『あごだしブーム』とかでヤフーニュースにも取り上げられましたが、平戸人となれば、お雑煮に焼きあごは欠かせません。最も伝統的なあごだしの取り方は、一晩かけた焼きあごと昆布の水出しです。だけど、年末までの即席には、焼きあごを軽く洗って半分に折り、昆布と一緒にしばらく水につけてそれから煮出します。このときの注意は決してあごを煮立てないこと・・・・・昆布もあまり煮立てませんが、それよりももっともっと短時間・・・・・10秒?????もないかもしれません。フッと匂(?臭?)う直前で止めます。何しろあご独特のえぐみと言うか、かなり強烈です。初めてお試しの方に、この強烈さで嫌われることがないように・・・・・と、心から願っています。

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アメリカ大統領選挙

2016-11-10 11:26:00 | Weblog

『やっぱり、ヒラリー・クリントン氏が大統領になるんだろうか・・・・?????』・・・・・と思っていました。ですが、昨日の選挙は思わぬ展開に・・・・・面白くて(失礼でしたが・・・・・)テレビを見はまりました。この一年間最悪の選挙戦だったと思います。民主主義の国・・・・・?????って、だんだんこういう選挙になるしかないのだろうか・・・・・と、他国のことながら、ほとほと嫌気がさしました。そういう選挙戦でしたが・・・・・

 

トランプ氏が次期アメリカ大統領に決定したことで、色々と考えさせられました。アメリカ国民の胸のうち・・・・・マスコミのいい加減さと危うさ・・・・・『アメリカと同じ物差し』を強制するコスモポリタン国家が民族(アメリカ民族?????)国家に変貌するのだろうか?????そうしたらどうなるのだろうか・・・・・トランプ氏の言い分『北朝鮮が核武装した以上、日本も核武装するほうがよい・・・・・』、これはつまり、日本への攻撃に対してアメリカは知らない・・・・・と言っているのですよね。自分で対処せよと。長閑な日本人は戦争の可能性を忘れて長い時間を過ごしました。だけど国境の防衛線からアメリカ軍が撤退したらどうなるのか・・・・・このことを真剣に考えるチャンスをトランプ氏はくれています。

 

21世紀になって中国の台湾や琉球列島への思惑やロシアによるクリミア併合を目の当たりにしてしみじみ考えたことがあります。

国境線の変化ってどうやって現実的に受け入れられるんだろう・・・・・そして新しい国の独立ってどうやって可能になるのだろう・・・・・え、選挙で?????

スコットランドが独立するって言い始めた時は本当にびっくりしましたし、それも国民投票で!!!!!!って聞いた時は、これが新しい独立の方法なのか?????とびっくりしました。だけどそれらも、アメリカが小さくなって覇権が消えれば実際に現場の武力衝突で起こるに違いありませんよね。彼のローマ帝国が小さくなってヨーロッパの国々は生まれ、周が弱くなって群雄割拠し漢が滅亡して三国時代となり・・・・・要するに誰かの力が弱くなることで新しい時代が開ける・・・・・歴史で学んできました。それが今ここに起ころうとしているような気がします。日本の平和主義が単なる幻想か希望でしかなくなる折り返し点なのかもしれません。誰かがこぶしを振り上げているから・・・・・交通ルールのような安易な感覚で世界を見ていられたのかもしれません。だけど・・・・・北方領土は占領されたままです。それも根室湾の中(と言っていい所)で・・・・・。

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平成28年11月3日

2016-11-02 20:22:53 | Weblog

今年もまた、年に2回恒例の『随想古事記・父の背負子(随想古事記)』をご案内する日が巡ってきました。5月8日が亡き父の命日(つまり、あの世への誕生日)、今日11月3日は亡き父のこの世への誕生日というわけで、私にとって父をことさらに偲ぶ日ということになりました。それでこういうことに決めています。

 

 

以下がこれまでご紹介してきた『父の背負子(随想古事記)』の記事内容です。多くの方のお目に触れることになり、たくさんの道連れさんができるよう希望しています。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30
        私の邪馬台国   2012‐10‐04
        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05
        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09
        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12
        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15
        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17
        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17
        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24
        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26
        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27
        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29
        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02
        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04
        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

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平戸(田平)に居ます。

2016-10-27 08:01:30 | 平戸

平戸だよりを更新しようとしていますが、パソコンが上手く動きません。数日間試行錯誤の状況です。これは苦肉の策で、メモ帳に書いてコピーしています。見事な金木犀をご紹介しようと思ったのですが・・・・・多治見に戻ってから振り返っての記事にします。

29日は半年ぶりの教室で、お会いできるのを楽しみにしています。

 

 

11/2追記:多治見に戻ってパソコンが使えるようになりましたので、庭の金木犀をお目にかけたいと思います。

        

 

それから、今年はとんご柿の不当たり・・・・・・残念ながら、もしかすると、最後になるかもしれない『とんご柿』(実家は道路の用地買収にあい、消えてしまうんです!!!)・・・・・食べ納めは出来ませんでした。その代わり弟がたった一つ、四寸柿(しすんがき)の熟柿をくれました。それが見事な日光が透けそうな渋柿の熟柿・・・・・

                           ・・・・・これほど美しくおいしい熟柿はありません。

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見事な栗

2016-10-11 09:55:00 | 季節

栗をいただきました。見事な栗です。『利平栗』という名前だそうです。

                

 

 

多治見近辺には栗が多く、道端に栗の実が転がっていることもあります。『栗きんとん』をはじめ、栗のお菓子も多い・・・・・どんぐりも多く、童心にかえって拾ってみました。どんぐりの『イガ』と言うべきか、寒冷地の知恵『いずめっこ』の『いずめ』のような・・・・・可愛らしい実です。

                                         

       

 

 追記(10/18):栗が大好きで、昔は栗ご飯もよく炊きました。だけど・・・・・栗の皮むきが段々億劫になって・・・・・それに老(?)夫婦の二人暮らし、夫は炊き込みごはんをあまり好みません。自分だけのために栗をむくなんて・・・・・。そんな私に朗報!!!!!・・・・・それは『栗のから揚げ』・・・・・鬼皮だけむいて、渋皮ごとから揚げするんです。近くのレストランで教えてもらいました。美味しく気軽に楽しめますので、どうぞお試しください。下拵えとしても使えると思います。

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冥福を祈る・・・・・

2016-10-01 11:08:08 | 最終章・これを知るために

冥福を祈る・・・・・現代社会では付き合いが広がって様々な人の冥福を祈ったりしますが、大方の場合は浮世の義理、つまり願ってはいるが瞬間的な本当の気持ちを口で言うだけ・・・・・場面が違えば忘れてしまいます。ですがこれは悪いことではなく、大して本気でないから助かっているとも言えます。本当に冥福を祈ったら、悪くすれば、何と言えばよいか、極論すれば『耳なし芳一』のようになってしまうこともあります。共鳴するだけ共鳴して、どう解き放てばよいか、何処にどうすればよいのかわからなければ、芳一のように耳をなくすか命をなくすか・・・・・それで、大事な人の死ほど、死んだ人と残された人は道に迷うことになりやすい・・・・・これはある意味命がけの仕事です。そしてすべての人が背中に負っている先祖伝来の義務なんです。

 この問題は人類の問題だと思います。そもそも死後どうなるのか、誰も知らないことが問題なのです。死んだらどうなるのか知らないで、死んだ後お幸せになりますように?????って、祈ることができますか・・・・・どうしようもないから、祈っていることに無意識にしているだけなんです。幸せに安らかに眠っている・・・・・ことにしているだけなんです。死後どうなるかわからない・・・・・なんて、生きている意味すら分からなくなってしまいます。たまたま生きているだけ?????これこそ科学が解き明かすべき問題なのですが、科学は未だ命とは何か、生命力とは何かを明らかにしていません。ですから死についても全くわかりません。だけれども待ってはいられません。私達は一人一人が死ぬまでに答えを見つけて、そして人生を終えるべきだと思います。そして『わかる』ということがどういうことなのか、『分からせる』つまり『伝える』ということがどういうことなのか、それも知らなければなりません。そうしなければ超音波のように耳を通り抜けていくだろうと思います。

 

 仏教ではなぜ追善供養をするのですか?追善供養に読経をあげれば、どうなるのですか?キリスト教徒はなぜ主に召されて、いつまでも最後の審判を待つのですか?これが明らかにならなければ、人生の最後は『死=無明(何もわからない)』で、たまたま生きていただけということになってしまいます。大方の場合その理由を知らないので、宗教はただの希望を語るものになっていると思います。こうなれば、必ず死ぬのに生きていることだけに意味を見つけ、挙句の果ては意識がなくとも生かされる・・・・・という、現代社会の『無明』そのものになります。

 私達人類は、生まれる前を知り、そして死んだ後を知らなければならないと思います(これは過去世や未来世のことではありません)。これは世間でいう宗教ではありません。本当の宗教は『宗(この世のもと)』の『教え』です。『宗』を『神』と教えたのなら、『神』が何なのか知っていなければなりません。その何なのかを知ることが人生の根本だと思います。そしてそれができないと、本当に冥福を祈ることはできないと思います。冥福とは、そうした無明の淵から脱出することなのですから。冥福とはどういうことなのか知らなければなりません。

イエス様が本当に『信じよ!』と言ったのかどうか・・・・・私は疑わしいと思っています。何が何でも信じよ・・・・というのは、教える側の無明そのものです。イエス様は分かっていたのだと思います。だけどイエス様の分かった『言葉』を聴く側が分からなかった・・・・・つまりオウム返しをしていただけで、それも自分は正確にオウム返しに繰り返したつもりでいたが、自分の言葉とすることが出来なかったがために多種多様の意味不明を生み出していったと思います。お釈迦様の語られた方便も同じ、孔子様の徳を論じる『仁』もまた・・・・・これは、このカテゴリーで私がテーマとしている『言葉』の問題であり、これが『命』に直接関わってくる『カタカムナ』の問題だと思っています。『言葉』とは共鳴によって新しい波動を自分でコピーしたとき(これが楢崎先生が言われた共振というものだと思います)初めて理解されるものです。そして共鳴は体質に依存し、コピーの精度は異なっていきます。つまり正確に共振は出来ません。するとどうなるか・・・・・共鳴源がなくなると消えて行き(身近な例をあげると、恩知らずとなり)、誤差のあるコピーを作り出して誤解していくことになります。

 

『言葉』というものが人間の『脳』の働きの基本であり全てだと思っています。『言葉』というものは音波であり『力』の形だからです。そして人間が霊長類の長たる所以も分かりました。他の霊長類との間にもある画期的分岐線・・・・・それは、

            人間のみが先祖を祀る・・・・・

これは同じ生命力を親から子へと『言葉』によって分け移された(コピーした)ものの義務、つまり今となっては多くの無明に漂っている先祖伝来の義務であり、『死ぬ』とはどういうことかを知って宗(もと)の自由さに、先祖もろともに戻らなければならないからです。そのことに気が付いた時、代々慈しみ育てられたわけを知りはるか昔の先祖を思い、人類は人類になり霊長類の長になったのだと思います。過去の冥福を祈り、未来の冥福を祈る・・・・・人類はそのために今を生きているのだと言ってよいと思います。

 

『死ぬ』とはどういうことか・・・・・体は元の構成要素に分解して地球圏にもどし、体の構成力(生命力)は宇宙の自由さの中に没入してワタシというテリトリー範囲を融解する(宇宙はチカラ・ポテンシャルといったようなもので出来ているんです)・・・・・これが今の私の結論です。融解出来るように自分の構成力(生命力・コピー力)を鍛えなおし(宇宙と相似させ)続けること・・・・・これが、残された人生の期間に許されたことです

 

折しもお彼岸のニュースをテレビで見たり・・・・・従妹の死で冥福を祈らねばならない身近な人が増えたり・・・・・それで、冥福を祈るということについてまとめてみました。我が子がいつか考えてみるだろうかと思ってみたり、若者はみな子供と同じですから、誰かが何かを感じて継ぎ足して行ってくださるといいなと思ってみたりしています。ここで『構成力』と書いたものは考える力そのものです。そもそも『考える』という言葉も、カタカムナの『カムカヘル』から来ているんです。もともと『宗(もと)に戻る』(つまり、宗に沿ってコピーを作る)という意味なのです。そしてそこから道を探るという意味なのです。同じ言語を守り続けるということがどんなに大事なことか・・・・・『考える』ことが日本語そのものに依っているのです。家庭において親が慈しみ育てる『母国語教育』がどんなに大事なことか・・・・・私達は家庭生活というものの位置づけを確認すべきだと思います。そして子供に向ける『言葉』の重大性を認識しなければなりません。

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あごの季節

2016-09-29 12:27:13 | 平戸

今月平戸はあごの季節を迎えているはず・・・・・。あごはしいら(平戸ではひうお、秋のお彼岸のお刺身の定番です。)に追われて平戸地方にやってきます。昔は押し寄せたこともありました。最近はめっきり少なくなりました。海水温が高くなって海流に変化が起こったとか・・・・・言われています。我が家にも恒例のあごが届き、平戸の味とあご風を懐かしみ、そしてお助けメニューが出来ました。

 

そんなあごがヤフーニュースに上がりました。何と『あごだし』がブームなのだとか?????・・・・・それも粉末にされるのだとか・・・・・それでトロ箱一杯のあごの値段が10倍にもなりそうなのだとか・・・・・でも、平戸の伝統の知恵の『焼きあご』が認められたのではない・・・・・のですね。何だか訳の分からない商品の材料にされてしまうのは悲しい気がします。

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