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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

夏の風物詩・おそうめん

2017-07-15 14:58:52 | 季節

夏と言えば、おそうめん!!!!!夫は昔からおそうめんが大好き?で、私はおそうめん茹での名人?????でした。おそうめんは三輪の大古物(おおひねもの)と決まっていました。島原そうめんの上等のものが三輪そうめんになる・・・・・と、誰が言っても誰からか聞かされても、三輪から取り寄せていました。おそうめんを茹でる専用の大きな有次の銅鍋も持っています。数秒間におそうめんの命を懸けています。それでおそうめんの品質にはかなりのこだわりを持っています。太さも極細ですが、これが細すぎてもいけません。白髪のように細いおそうめんは喉に詰まって、おそうめんのツルツルっという美味しさを損ないます。高校生の頃は、町の精米所でバラ売りの島の光という小豆島のおそうめんを祖母は買っていました。祖母はカビが生えている方が美味しい・・・・・と言って古いものを頼み、精米所のおじさんは店の奥の方からリンゴ箱のような木箱を出して来ました。そのおそうめんは、精米所で一年かそれ以上寝かされていたのだと思います。平戸地方のおそうめんと言えば『ごまだれ』というのが定番のお盆のメニューといった感じで、冷や麦のように冷たい水に浮かべている(?)おそうめんは無かったような気がします。

 

それが・・・・・このところ、悲しや・三輪そうめん・・・・・という感じになっています。どうしてでしょうか。どうなっているのかと言うと、おそうめんのコシの問題です。おそうめんのコシはうどんのコシとも違う、おそばのコシとも違う・・・・・針のコシ!!!!!とも言うべき、ピンとしたコシ。それが・・・・・何ともゴムのような・・・・・三輪そうめんの名を誇っていたかのおそうめんもダメ!!!!!どうしたらいいのか?????今のところ思案投げ首状態・・・・・あの精米所のおじさんがしていたように、自宅で来年まで寝かせてみようと、今保管しています。それまでは、小豆島のおそうめんを極端に短い茹で時間で半生(?)にしてしのいでみようかと思っていますが・・・・・どうでしょうか。

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平戸だより2017-7-6

2017-07-06 10:28:24 | 平戸

一週間前までは空梅雨で田植えの心配をしていました。このまま梅雨も終わりかと思っていたら、急に雨が続き平戸瀬戸は濃霧が発生して久しぶりにボオ~~~という船の汽笛を聞きました。そして雨が上がると、待ち構えていたように、蝉の声が・・・・・いよいよ夏が来るのだと思います。

 

 

先週ここまで書いて放りぱなしにしていました。それから台風が過ぎて・・・・・と思っていたら、昨日から九州は大雨!!!!!平戸も昨夜は明け方まで一晩中雷と大雨でしたが、ともかくも平戸地方は今のところ無事です。それにしてもこんなに長く雷が続く夜も珍しい・・・・・夜中ずっとです。異常事態です。

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故郷・ふるさと

2017-06-13 14:43:06 | 父の懐

8年前夫の仕事の都合で平戸を留守にし上京しました。そこで新しく発見したものの一つが、同窓会の楽しみ・・・・・私にとって、これは思いもよらない感覚でした。私の同級生たちは東京同窓会をいつからかは知りませんが、ずっと毎年1月に積み重ねていました。そこには何の屈託もない高校を卒業したてのつながりが生きていました。初めて出席させてもらった時その何とも言い難い感覚がジーっと沁みて、それ以来ずっとなるべく出席することにしています。出席したくてたまらない・・・・・と言った方が当たっています。その時は『故郷は遠きにありて思うもの』という名言の通りだと心から思いました。

 

先週の金曜日から土曜日にかけて関西地区での一泊同窓会(神戸)に出席しました(何と私達の学年は年に2回も同窓会をするようになりました。)そして長年の懸案だった下関市吉田町訪問を実行に移しました。吉田町は60年前、私が小学校2・3年生を過ごした町です。新幹線を『のぞみ』から『こだま』に乗り継いで下関で降り、その夜は神戸での坂歩きでやや疲労気味だったのでホテルへ直行し休むことにしました。翌朝下関駅から山陽本線を戻って小月駅へ・・・・・60年も過ぎた小月は、「こんなところだったかなあぁ~~~~~!?!?!?」といった感じで、駅はさっぱりとしていますが、スイカも何も使えず改札口は昔のやり方でした。コインロッカーも何もなく・・・・・だけど、ともかくの目当ての『東行庵』行のバスが運良く20分くらいで巡ってきました。『ループバス』という循環バスでした。折しも東行庵は、『菖蒲祭り』とかで賑わっていました。

                                                           

バスに乗るもタクシーに乗るも、記憶にはっきりしている今回の目当ては『東行庵』しかありませんでした。その東行庵は、東行先生こと高杉晋作を祀って野村望東尼が庵を結ばれた場所です。60年前は谷玉泉という庵主様がおられて、弟は東行庵の幼稚園に通いました。今はもう庵主様はおられず、山口県の主管になってどこかの曹洞宗のお寺の住職が兼任しておられるとか・・・・・それから第一の確認事項『もみじ山』。家族写真の父のコメント『もみじ山』はここだったのか。記憶に残っているのは、高杉晋作顕彰碑のある段々でお弁当を食べ、魔法瓶を倒してダメにした(何しろ昔の魔法瓶はガラスでしたから)こと・・・・・ずいぶん整備はされていましたが、確かに此処だった!!!!!と、確信しました。ひっそりとした東行先生のお墓もそのままだろうと思いました。     

それから第二の確認事項『吉田小学校』へ。東行庵の幼稚園は昔も似たような感じでした(???)が、その前には近年出来たとかの『晋作の湯』・・・・・市民の温泉場になっていました。まあ、高杉晋作は喜んでいるかもしれません。何でも晋作の名がつけられて、晋作蕎麦、だの晋作餅、だのという感じでした。その前を通り過ぎて道沿いに歩くと、下関市立吉田小学校。その日は子供たちのサッカー大会だとかで、たくさん集まっていました。校舎と校庭の位置関係は同じように感じました。裏側にある土塀の名残が当時を偲ばせました。いつも利用していた『裏門』へ・・・・・これからが記憶をたどる私の通学路・家路。              

ここから先の路地道はすっかり変わっていました。「確かこっち・・・・、確かこっち・・・・」と言いながら行き止まりを引き返したりして、何となく『此処だ』と思わせるやや広い道に出ました。「これがあの商店街のはず・・・・・」、だったらお店があるはず。何とも不安になりながら歩いていると、お玄関先でてっせんの手入れをしていらした老婦人に会いました。挨拶をしながらお話を・・・・・『ああ、そのお店ならあそこですよ。だけどもう閉めて・・・・・』、と人気のなくなった通りについて話してくださいました。そのお店の角を曲がった筈・・・・・と、見ると、何とも石畳になっている!!!!!?????こんなではなかった(ように思う)けれど・・・・・と思いながら進むと、『旧山陽道』と書いてある小さな石碑がありました。それを越すとやや広い道にぶつかり(多分この下は、昔川だった?)、新しいJAの建物など昔はなかった雰囲気、そこを渡って細い道を不安になりながら進み、「この辺にお醤油屋さんがあった筈・・・・・」(そこのお嬢さんと同級生でした。)それらしいお家を見つけたときは、安心してとても嬉しく思いました。でもこの道はこんな道だったっけ?????途中にあった雑木林はありませんでした。

 

                                        

そこを抜けると田んぼが広がっていました。奥に住宅が張り出していて昔あった樹木などは無くなっていましたが、『此処だ、此処だ!!!!!父や弟と凧揚げをした田んぼだ!!!!!』その向こう側の細い道路は大きくなって見渡すとずっと向こうに高速道路が走っています。そしてその道を渡ると、私達の家があったところ。そこには新しい住宅が建っているんだろう・・・・・と思っていました。そしたらなんとそこは草茫々の空き地と廃屋が・・・・・お友達(?)のふうちゃんの家と私達の家?????家の前にあった小川は整備されて昔の面影はありませんでした。でも家の前にあった川への降り口が、何となく確信をさせました。『此処だ、此処だ』この廃屋は父が借りた家そのものではないかもしれないけれど、それに近い・・・・・あの大きな台風の時川があふれて家の前まで迫った『あの日々』をよみがえらせる家や風景が残っていました。ひどい状況ですが、私には心の底を暖かくする廃屋でした。

         

今は広くなった道路の先には多分あそこで夏休みの掃除や体操をした、と思われるお寺が・・・・・懐かしさに駆られて石段を登ってみると法要か講話の会か・・・・・そしてこれまた何と、ご住職が吉田小学校の同級生でした。中に通してくださって、担任だった先生方のこと、私の仲良しだったお友達のこと、そのお友達と行った思い出のある旧商店街のこれまた同級生がいたお店のこと、あのひどかった台風の時の氾濫事件と問題の橋のこと・・・・あの橋はバス通りだったのですが、橋の手前で乗客が降ろされてぞろぞろと渡り、その後をバスがゆっくりと橋を渡ってまた乗客を乗せる・・・・・という今では考えられないくらい老朽化していたのだとか、いろいろとお話を伺うことが出来ました。

またお醤油屋さんの前を通って振り返り振り返り、多分川の上の道にあるバス停まで・・・・・そこで、父が歩いた小月基地へ続く道を眺め、再び運よく来た小月駅行きのバスに乗りました。

                                                              

 

夫と博多駅で待ち合わせて帰宅しました。道中夫から「何でそんなに吉田にこだわるのか?」と聞かれて、つらつら考えているうちに、同窓会が懐かしく記憶の町が懐かしい理由が見えてきました。故郷というものが普通は生まれてきて住み慣れた場所(夫にとっては考えるまでもない平戸)だが、私にはあちこち父の転勤先で重複している・・・・・とどのつまりは父母と暮らした所なのだと。武田鉄矢の言うとおり、『お母さんが故郷そのもの』だと。そして幼いまま離れたところは記憶があやふやで、どうしても明らかにしたいと思ったのだと。同窓会はそんな故郷の中で最後の明白な確かめる必要のない故郷、遠きにあって思うものではなく思うために不可欠な確かな一部であることを感じているのだと。

私にはまだまだもやもやとした記憶の向う側の故郷がある。宮城県矢本の水がめに氷の張った囲炉裏のある家、浜松で入学式を迎えた家と鴨江小学校、そこから転居して鴨江小学校に越境通学した家とお隣の神社、吉田小学校から転校した豊前市の八屋小学校、築城小学校と八築中学・・・・・そこで交わった人々。だけど今回の吉田訪問で少し落ち着いた気がします。父母との暮らしを具体的に確認できてとても満足しています。生まれて4歳か5歳まで平戸で過ごして宮城県矢本に行きました。今回途中の記憶が地についたというか、とても安堵した気分です。そして、故郷とは懐かしいものかもしれませんが、その前に明白なものでなければならないと断言します。

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糠漬けの季節

2017-06-08 09:15:13 | Weblog

これからの季節は『糠漬け』が特に美味しくなりますね。引っ越し後やっと糠床をまた始め、きうりの糠漬けを楽しみました。というより、美味しそうなきうりに触発されて・・・・・というべきでしょうか。夏の盛りになれば、またきうりとおナスしか手に入りにくくなる・・・・・そんな田舎暮らしに、美味しいきうりとナスの糠漬け・・・・・糠漬けは大切な食事の友ですよね。

 

その大事な糠床・・・・・最近ではタッパー容器で冷蔵庫保管というのが多いと思います。小さいためすぐに水が出ますが、水抜きがなかなか難しい・・・・・最良(?)の方法を見つけました。娘にも教えたのですが、野菜をつけて糠床の表面を平らにして、蓋をして、冷蔵庫へ・・・・・という過程で、平らにした糠床の表面にガーゼ(またはペーパー)をきれいに折って適当な厚さにして被せ、それから蓋をします。そして冷蔵庫へ入れるのですが、蓋を下にして逆さまに入れます。これで水をたっぷりと吸って、糠床はいつも快適です!!!!!お試しあれ!!!!!(ガーゼはもちろん洗って何度も使えます。ですが、キッチンペーパーだって使えます。方法は、外したペーパーを『水に浸しては畳んで押す』を数回繰り返して、ガーゼと同じように干します。結構丈夫です。)

 

 

これからは私の希望です。メーカーさんに関連した方の目に留まって、いつか実現したらどんなにかいいでしょう!!!!!逆さまに置いておくのに適した蓋の形をした容器・・・・・さんざん探しましたが、どこにもありません。ちょっと深さがあってバターケースのような蓋の形をした容器があれば・・・・・どんなにいいでしょう。いつか見つかるようにと、願っています。

          

      !!!!! 逆さま に 保管する 糠床用容器 !!!!!

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都民ファーストとアメリカファースト

2017-05-31 10:40:13 | Weblog

言葉だけは似ているけれど、小池都知事の都民ファーストとトランプアメリカ大統領のアメリカファーストの『ファースト』は全く違ったものだということに、今更気付いて、やっと納得(?)が行きました。

小池都知事の都民ファーストは、都民の利益が都民の代表である都議会や都民のために働く都職員によって損なわれないようにする(現在は損なわれている)と言っており、トランプアメリカ大統領のアメリカファーストは、アメリカ国民の利益を他国や全世界の利益より優先する(現在はアメリカが自腹を切って世界の安全のために貢献しているのに報われない)と言っているのですよね。都民ファーストは内部問題で敵は内部(都民の一部)にあり、アメリカファーストは対外的な問題(敵は外国)なんですね。

 

小池さんの笑顔に騙されて(?)おざなりにしていましたが、二つのファーストが全く別の構造を持っていて、必然的に問題の種類も解決方法も全く違っていることをやっと認識に上げることが出来ました。キャッチフレーズには騙されないようにしないといけませんね。まあともかくも、内部の問題である方が簡単ではあるけれども、矛盾も近くにある・・・・・対外的な問題は、回りまわって自分に降りかかるかもしれないけれど、意識的には簡単である・・・・・どうなるんでしょうね。

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平戸だより・田舎暮らしの実際

2017-05-28 15:06:14 | 平戸

平戸に戻って半年が過ぎました。初夏の平戸は豆の季節・・・・・スナップエンドウに始まって、さやえんどうにそら豆。田舎暮らしの醍醐味(?)は生産者ご本人からのおすそ分け!!!!!だから量もたっぷり!!!!!・・・・・お豆は嫌いではありませんが、そんなにたくさん食べられるものではありません。でも主食にするぐらいの量をいただいてしまって・・・・・それでも粗末には出来ませんよね。

 

それで美味しく主食(?)にたっぷり食べることが出来るように考えました。それは、イカとの炒め合わせ(これは私好みということにしてお好きなようにアレンジしてください。)、それも春から初夏の平戸のヤリイカは絶妙の相性です。それでも生のまま炒め合わせても、イカは水っぽい、お豆は硬い・・・・・それで、下拵えに二方法あります。①さやえん豆やスナップエンドウは下茹でします。イカの下ごしらえは、ワタを抜き目と口を取り輪切りにして乾煎りし水気を飛ばします。それから茹でたお豆を油でいためるのですが、ごま油は中華風になってしまうので、白ゴマ油かオリーブオイルかにします。少し焦げ目がつくくらいしっかり炒めます。そこにイカを加えて軽く炒め合わせて、イキな塩で味を調えて出来上がり!!!!!

②イカも豆も下茹でします。イカはワタを抜いて目と口を取るまでは同じですが切らずに先に茹でます。そのゆで汁で豆を茹でます。豆はしっかりと茹でます。それから茹でたイカを輪切りにし、さやえんどうなど大きすぎるものは適当に切ります。それを同じように炒め合わせて出来上がり!!!!!

 

私は②が好きです。コツはイカに火を通し過ぎないこと・・・・・硬くなりますから。豆をよく炒めること。炒め油の量を少なめにすること。それに、光食品のウースターソースをかけて食べる・・・・・というのが、夫のいないお昼の簡単メニューに加わりました。お蔭でいただいたたくさんのさやえんどうをたっぷりと今日もいただきました。これは本当においしいと思います。

 

 

同じようにどっさりいただくのが春の筍・・・・・来る日も来る日も筍が手を変え品を変えで、美味しい好物ではあってもそうそう食べ続けると変調をきたします。孟宗が終わったら今度は淡竹・・・・・柴漬けにしたりしますが、これは薄切りにしてワカメとお味噌汁にします・・・・・。おすそ分け出来る人がありがたいのですが、多くの場合みんなもらっていることが多い・・・・・というのが嬉しい悲鳴の現状です。

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種実・タネとミ(サネ)

2017-05-24 11:24:19 | 自然食品和みさん

『サネ』という日本語を聞いたことがおありですか?私は結婚して初めて聞きました。姑の口からその言葉が漏れた時心底びっくりしました。以前どこかの記事に書いた記憶がありますが、古代の言葉が生きている!!!!!・・・・・あの時の驚きは忘れることが出来ません。姑から聞いたそうした単語はいくつかありますが、今回和みの堀江さんの悩みを引きずってもやもや考えているうちにこの記事を書く段になりました。

そもそも『種』というのは生命の歴史の中で私達が獲得(?)した『永遠に生きる方法』です。これなくして今日の私達はありません。『種』は自分の命の次世代であり、タイムカプセルです。それを日本人(日本語を作って使ってきた人々)は『タネ』と呼び、今日もそのまま使われています。それを姑が育った地域の人々は、もう一つの日本語『サネ』と呼びならわして今もそう呼んでいる・・・・・し、全く知らなかった嫁の私に多少の違和感があったとしても、意味が通じている!!!!!姑は私に色々な言葉を教えてくれました。その中で古代に通じる言葉の音・・・・・

  1. ウーヅラニクイ・・・・・たいへん憎たらしい(大面憎い)
  2. ウーカ・・・・・・・・・多い
  3. サス・・・・・・・・・・咲く
  4. ・・・・・・・・・
などが代表ですが、その時は『オオヒルメノムチ』と『ウヒルキ』という天照大神の呼称をめぐって『オ』と『ウ』の音の関連が今も生きていることに感動しました。今回は『サネ』・・・・・これは大した言葉です!!!!!そしてこれこそが、私の友人でもある和みの堀江さんの悩み(?)の根元であることに思い至りました。私達がいつも使っている『タネ』・・・・・・私達は当然生きているものとして思っています。例えが悪いかもしれませんが、人間の体に生体と死体とがあるように、種にも生きている種と死んでいる種とがあります。そして『サネ』とは種の中身の機能を指す言葉なんです。種を生かす機能・・・・・命を付与する機能を指しているんです。そして選んだ漢字も『実』・・・・・実体を表し日本語の音で『ミ』と当てました。『サネ』『ミ』の構造というか、発生の仕組みを表しているんです。この『実』・・・・・私達は『サネ』と呼ぶことに慣れ親しんできました。『熊谷次郎直実』・・・・・『ナオザネ』。私達は何の躊躇もなくそう読みます。
 
 
 
これが堀江さんの悩みとどうつながるのか・・・・・そこが問題なのですが、実は堀江さんたちがやっていることは、その『サネ』の領域なんです。『ミ』というのは命の力の単位なので、その『ミ』が滞りなくいきわたるように食品の『サネ』の構造力を復活させることを大事にしているんです。もともと『イノチ』という日本語もその『ミ』が連続している様子を表しています。それでこれはマクロビオティックとか、菜食主義とか、全体食とか、健康主義とか、そういった類のレベルではなくて、乱暴に言えばそんなことはどうでもよくて、『生きる」ということと『暮らす』ということの接点の問題です。堀江さんはこれを一事が万事お客さんに説明したいのですが、通じさせることが難しい・・・・・それで友人として稚拙ながら今回『サネ』を思い出して例にとりお手伝いしてみました。
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平戸便り・川内のマダコ

2017-05-12 19:53:50 | 平戸

従弟からタコをもらいました。平戸川内(かわち)のマダコです。これが美味しいんです。東京や多治見やあちこちで店頭に並ぶタコを見てきましたが・・・・・比べられないんです。足を切り分けて冷凍にしました。そして早速、これも最近知った黄色の柚子ごしょうで食べました。本当に、美味しい!!!!!

          お・・・い・・・し・・・い・・・・・・

 

平戸を離れて、忘れていた味を取り戻しました。この味をどう説明したらよいのか・・・・・・無理やり言えば、『甘くない甘さ』といったような味です。

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父の命日

2017-05-06 22:01:17 | 父の背負子(随想古事記)

父の命日・・・・・あんなに大事にしてきた記念日であり祈念日でもある父の命日をすっかり忘れていて、2日前の今日になって突然思い出しました。20年前の5月8日に父は私の目の前から消えて、私の背中に回りました。それでこの父から受け継いだ一連の記事を『父の背負子・随想古事記』として毎年生前の誕生日と命日にご紹介をすることに決めていたのに・・・・・間に合って嬉しく思っています。

 

 

以下がこれまでご紹介してきた『父の背負子(随想古事記)』の記事内容です。いろんな方と意見の交換が出来たらいいなと思います。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30
        私の邪馬台国   2012‐10‐04
        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05
        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09
        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12
        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15
        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17
        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17
        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24
        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26
        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27
        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29
        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02
        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04
        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

 

追記:実は私の生家がいよいよ取り壊されます。引き継いでいた弟夫婦はもう立ち退いていて誰もいなかったのですが、先月の最後の日決心をして見に行きました。祖父母が槇林というか岡というべきか・・・・・その地を開き槇を製材し総槇の家を建てました。釘一本使ってないという大工さん自慢の家でした。その家で祖父母は庭を作り・・・・・敗戦後は父も農業をしました。母が嫁入りをし、私と弟二人が生まれました。二番目の弟はその家で死にました。父が自衛官になってからはその家を離れて暮らしましたが、折々の家の都合で小学生の時も中学生の時も飛び飛びに帰郷して暮らし、高校三年間は祖父母のもとでその家で暮らしました。その家の書棚で、講談全集を見つけ・・・・・修養全集を見つけ・・・・・白隠だとか浅見絅斎(?名前の文字が間違っているかもしれません)などという和綴じの本を見つけたり・・・・・私の心の中に大きな家だったと思います。そして退官後この家にもどっていた両親が余生を過ごしました。その家が間もなく消えてしまい、無残にも道を作るために6メートルも掘り下げるのだとか・・・・・父を送って丸20年、21回忌を迎えました。来年は母の13回忌です。そして、その父の年まで私も残すところ5年余り・・・・・

私は背中に負っている父(父の背負子)の奥に今を生きている命の声があると思っています。すべての命が過去の命を負って生きていると思っています。ですからみなアイデンティティを知りたくなりルーツを探るのだと思います。そんな中で私を通して残っている命の声を、『父の背負子・随想古事記』というカテゴリーにして記事を書いたつもりです。そしてそれが、これからに引き渡していきたい命の声だと思っています。現代社会は家系が薄くなった社会、それなら多くの若者に引き継いでもらいたい・・・・・と、ひそかな望みを持っています。そして私のオリジナルと言ったら変なのですが、私がオリジナルに得たこの世の解釈を『最終章・これを知るために』というカテゴリーにしました。これが残りの人生の課題だと思っています。

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田舎暮らしのビックリ騒動

2017-04-27 23:21:04 | Weblog

これこそ田舎暮らしならでは?????・・・・・朝方の仕事が一段落して、メールでもチェックするかとパソコンに向かって座りました。両手をキーボードに載せようとしたとき、左手首に近いところにモゾモゾとした違和感が!!!!!なんとなんと・・・・・ムカデが這っているではありませんか!!!!!

      え!え!え!え!え!・・・・・

 

慌てて払いのけたら、キーボードの上に飛びました。引っ越しの空箱がそこらじゅうにあったので、その中に入れて外に出しました。刺されたわけではないのですが、それから神経が異常になったのか、何となくどこかでモゾモゾしているような気ばかりして、ムカデ?????と気になります。とうとうムカデの忌避剤を買ってきて、家の周りに撒きました。あんまり来てほしくないお客騒動でした。

 

 

後日記:ご注意ください!!!!!忌避剤は要注意です。それも厳重に要注意です。ムカデに這われたショック(・・・・・大きかったんです。12~3センチあったんです)と周囲の忠告もあって忌避剤をまきました。かなり高性能のマスクをして軍手をはめてまきました。それでも終わった時に手に違和感を覚えました。丁寧に洗ったのですが、その日の夜には目がショボショボになり腫れぼったくなりました。次の日も目ヤニは出るは、顔は腫れるは・・・・・飲料水は梅醬番茶と水素水にし、時々ご紹介している塩浴法で昨夜は頭頂まで・・・・・・今朝は顔の腫れは引きましたが、上下の瞼の腫れがかなり残っていて目もまだすっきりしません・・・・・・多分明日には傍からは分からなくなるでしょう。明後日には自分も楽になると思います。

今までもムカデは出ましたし、夫が嚙まれてくれました?????(どういうわけか、私は噛まれたことがありません。今回も這われただけですし・・・・・)それで、箱か袋で捕まえては外に放り出していました。今回はその前日に夫とムカデの話をしたばかり・・・・・家人の過敏な(?)反応もあって、ついその気になり忌避剤をまきました。それでこんな目にあっています。まあ、良い経験をしたことにしておきます。

 

 

それから : 顔のむくみも取れてきて肌がザラザラ・・・・・皮がむけて粉が吹いたようになっています。それはそれでいいとして・・・・・あれからムカデが二度家の中に出ました。夜テーブルで書き物をしていた時のこと、目の端に動くものを察知したので目を移すと、床をムカデが這っています。すぐに窓を開けて『まだ家の中に残っていたのね!!!!!・・・・・』とばかりに、外に掃き飛ばしました。それで安心していたら、昨日また出ました。同じくらいの大きさのがまた!!!!!どうもムカデとお隣暮らしをしなければいけないのかと、いささかあきらめムードです。

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法と鏡2

2017-04-23 19:58:03 | 最終章・これを知るために

北朝鮮をめぐって、戦争になるかならないか・・・・・どのテレビ局も連日放送しています。そして私達日本人が忘れていた事実を、今更ながらに思い起こさせています。それは国という単位を規制する法がこの地球上には無い・・・・・ということです。私達はまだ国以上のものを持っていません。それなのに日本人だけは、憲法というものに理想を託している・・・・・ばかりか、個々の命を託している?????・・・・・なぜそんなことが世界で唯一できるのでしょうか。私達は今その理由と、世界の現実から顔を背けている自分達をはっきりと知る必要があるのではないかと思います。

 

それはひとえに日本人が『鏡』というものを心のよりどころにして暮らしてきたからではないかと思います。そしてその鏡と法とを同じように思っているからではないかと思います。日本人の心情は、自分が正しいか間違っているかを確かめる時に照らし合わせるもの・向き合うものは、『鏡』に映った自分だからだと思います。その鏡の奥にあるもの・・・・・これは天岩戸屋でアマテラスが向き合わされた鏡と同じで、そこに映っている美しいもの・貴いもの・正しいものをのぞき込む自分の姿勢だと思います。これは本当に世界に誇るべき姿勢だと思います。そしてそれが普遍的世界中の心情になれば、もっともっと世界は住みやすくなるかもしれません。だけどこれがまかり通っているのは、日本だけ・・・・・あるいは、日本のほかに何か国あるのでしょうか・・・・・私達日本人の使命はこの美しい『鏡』の国を守ること。これがいつの日か世界平和に寄与する道なのだと思います。『鏡』は『鑑』であって、自分の姿を映すものであり自分のお手本でもあります。

でも、そもそも『国』というものは自分たちを守るための集団から発達してきたのではないかと思います。だとすれば、対立する相手があるのが前提条件で、対立関係を如何に納得のいく状況にするかが世界の近代化であり、条約というものの性質だと思います。それで世界の考える『法』というものが発達してきたのであって、東洋哲学的な『法』とは全く違うものです。西洋の『法』は神から授けられる統治上の決まりで権力も一緒に付与されます(ということにして、人間が作った法を発布し行使する権力の正統性を表明しています)。でも東洋哲学の行き着く果ての日本では『法』とは『道理』であって、もともとあるものであり、逆らっては『ばち』の当たるものです。だから日本人ほど『法律』に合わない国民性のものはいません。裁判に対しても同じです。日本人は『大岡裁き』が好きなんです。

 

どうしてこんな世界に独特の国柄と国民性が生まれたのか・・・・・これは、ひとえに日本語の音波による脳神経のオペレーション(言霊)であって、カタカムナのおかげというべきか所為というべきか・・・・・『鏡』に映して自分を正しているもの、それは『カガミ』であって、『鏡』の奥から自分に向かってくる『カ』の『カ』の『ミ』と照らし合わせているんです。そういう心情になるように日本語というものを作って今日まで伝えてきました。(このことを知りたいと思う方はご自分で研究なさってください。簡単ではありません。それは既成観念というものがあって言葉を聞いても分からないからなんです。知識として知っても何の役にも立ちません。私はそれを探求して放浪50年のような気がします。)ただ日本人と自分のことを言うならば、最低でも、美しい『鏡』の日本語を使わなければならないと思います。なぜなら自分の発する日本語が、また『鏡』になって『カ』の『カ』の『ミ』として放出されるからです。『言葉』というものは本来そういうものなんです。これは『認識』の表明であって、私達が受け取っている脳の刺激のコピーなんです。私達の体全体がその波動で振動しているんです。その振動するもので私達は心身ともに出来ていて、それが『カ』の『カ』の『ミ』なんです。それを繰り返しているうちに、最初は何となくわかってきて、いずれは体得できるだろうと思っています。

 

今日テレビで、どうして国と国の争いに国民が巻き込まれるのか、というようなことを言っている人を見ました。だけど、国と国の争いは国民と国民の争いなんです。日本人ほど国と国民の関係を遠くに感じている人々はいないような気がします。(これは国というものを超越していない現在の世界では危険なことです。)また今は難民などといって保護活動が行われたりしますが、そうやって(武力で追い出して武力で攻め取って武力で自分たちを守って)別の国を建ててきた歴史があって全世界の国が出来ました。そんな現代の難民をどうするのか・・・・・これは大変な問題です。現代は新たな建国の余地がない?????国境の変更は認めない?????だけど難民を受け入れる余地もない?????先ごろもハンガリーだった(ブルガリアだった?)かと思いますが、国境を閉鎖して難民の門戸を閉じました。この難民の問題が、大騒動の挙句に『国』の性質を変えるかもしれませんし、もっと頑固なものになるかもしれません。大昔から私達日本人は難民を受け入れて国を作ってきました(これについては自説を『随想古事記』という形でこのブログの記事にしました)。もちろん武力と日本語を使ってです。『海幸山幸』の山幸彦は豊玉姫の父(当時の日本の支配者)から治水権(シオミツ玉シオヒル玉)と言葉(呪文)を贈られました。それがこのお話しの伝えていることであり、古事記のお話しです。『ホツマツタエ』にも国内の争いを治めるために、イザナギイザナミ両尊が国民の言葉を正して回られた、という記述があります。言葉というものが人間性の問題そのものだからでしょう。この建国や国の立て直しは何千年も前のことで可能でしたが、それを現代社会でどう出来るか・・・・・全世界は『バベルの塔』以前に戻ることが出来るのか・・・・・というくらい深刻な問題だと思います

 

最後に心の底から考えなければならないことは、この事態に至るまで私達は拉致被害者と呼んでいる同胞を救出できずにいるし、方策もない・・・・・また核廃絶を叫びながら、隣国の核開発を止めさせる方策もなければ、放置して瀬戸際まで来ている・・・・・ということです。この無策はひとえに憲法に道理を求めているからではないかと思います。だけど憲法は道理ではない!!!!!その証拠に憲法では加害者の権利は保証しているが、被害者の権利は認められないと思えるようなことが多い。それは死亡事件の裁判になった時、被害者の多くは死亡しており国民ではなくなってしまう(?)からではないでしょうか。私達は死んだら日本国民ではない?????そして悔しいかな、拉致被害者と呼ばれている私達の同胞は憲法の支配下にいない?????裁判すら出来ない・・・・・相手は国民ではなく、北朝鮮です。これでは納得がいかないことばかりです。そしてこれが、憲法が私達の『鏡』ではない証拠です。

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挑戦!!!春の味

2017-04-22 13:01:38 | マクロビオティック

春になって庭の手入れが大変になってきました。オオデマリは満開、ツツジも咲き始めています。木蓮と柿の葉の独特の新緑が初夏を告げています。かいうの清々しさが嬉しくて、家の中にも取り込みました。気分爽快です。

 

        

そんな庭巡りで目に留まったヨモギの新緑?????摘み取った爪は黒くなりました・・・・・『あく』が強いんですね。お団子や天ぷらにすべきでしょうが、物は試し・・・・・野草ですからお湯にかなりたっぷりのお塩を入れて茹で、水にさらして食べてみました。ちょっとモゴモゴした味と感触で、食べられないことはありませんが、そのまま食べるには・・・・・?????何しろ『もぐさ』の原料(?の仲間?)でしょうからね!!!!。それで思いついたのは、ふりかけ。小さく刻んで乾煎りし、炒って擂ったゴマと削り節を混ぜ、濃い口しょうゆを炒りつけて味をつけました。・・・・・これが何と・・・・・初めは大根葉のようにすっきりとはしてなく、最初の感触通りモゴモゴが残った感じ・・・・・だけど、何となく病みつき(?)になる味で、ご飯をお代わりする始末!!!!!

たっぷりの擂りゴマとかつおの削り節を混ぜたのが正解だと思います。今日もう一度試してみるつもりです!!!!!

 

 

 

23日追記 : 続けて作ってみました。これは案外万人がおいしく食べられる『ふりかけ』なのではないかと思います。子供の頃怪我の血止めに使っていたくらい、なじみのある野草です。先々の万が一の『飢饉の備え』になるかもしれません。嫁菜でも試してみようと思います。

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浅田選手引退

2017-04-13 10:23:33 | Weblog

連日浅田真央選手の引退が報じられています。『真央ちゃん』とみんなから好かれた浅田選手のおかげで、フィギュアスケートがどんなに楽しかったか・・・・・本当にスケートリンクに映える上品に愛らしく美しいスケーターでした。『真央ちゃん』のスケーティングに固唾をのみ喝采を送り一緒に喜び悲しみました。涙に胸を詰まらせ言葉に共感したものです。

 

そんな『真央ちゃん』の引退会見で再び彼女が感じて選ぶ言葉の重さに胸が熱くなりました。若い孫に近い『真央ちゃん』・・・・・とても美しくラファエロの聖母にも似た雰囲気が西洋人にも好かれるんだろうと感じていました。今回の会見でふとローマの休日のアン王女を思い出しました。多分100分の1秒か1000分の1秒かの確率の精度を磨いて日々を積み重ねているフィギュアスケート選手しかわからないんだろうと思いますが、笑顔の裏にある彼女の人生・・・・・何とも言えない後ろ向きの仕草を見せた『真央ちゃん』は回転の女王でした。これからの新しい人生も『真央ちゃん』にふさわしいものになるだろうと思います。

 

 

 

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また、ハゼにかぶれました!!!

2017-03-21 14:15:17 | Weblog

何でかゆいんだろう?????・・・・・と思っていました。当たるようなものは食べてないし・・・・・と考えながら、一昨日の夜からのかゆみに困惑しながら考えました。両手の肘から手先の方へ半分、手の甲までかさかさした湿疹状のブツブツが出来ました。朝方は布団で暖かくなっているのか、撚れて腫れたような・・・・・かゆくて、搔いたためだったのかもしれません。

 

「どうして?」と思ってはみても、特に思い当たるものは・・・・・?????・・・・・?????・・・・・何度考えても、何もありません。

 

それが、それが・・・・・今朝になって、はたと思い当たりました。一昨日お天気も良いし、夫もいないし・・・・・というわけで、垣根の伸び放題に伸びている枝を切りました。その切った中に、垣根の中に紛れ込んで生えている『ハゼ』の小さな苗木があったんです。『あれ!これはハゼの木!』と思ったんですが、後の祭り・・・・・触ったわけではないし・・・・・と自分を慰めて、放念していました。

 

実は思い返すこと55年あまり・・・・・中学1年生の秋、テニスボールを拾いに山に入り込み(田舎の中学校ですから)、翌日から顔はハゼに負けて真っ赤にはれ上がり、挙句の果ては、出てくる汁(?)がガワガワにこわばり、表情を動かすとそれが割れてまた汁が出るという有り様・・・・・に。それはひどい目にあいました。学校を1週間以上休んでしまいました。それを思い出しました。

ハゼに負ける人は下を通っただけで負けると言います。あんな思いをしなくて良かった~~~あ!!!!!だいぶ落ち着いてきました。都会にいると忘れてしまいますが、帰郷してまた生々しい自然に触れています。

 

 

3/25追記:おかげさまで日中も睡眠中にも、かゆくなることがなくなりました。造園をしている従弟が「一週間すればよくなる」と言っていた通り・・・・・で、あとはガサガサしている湿疹の痕跡が消えれば全快です。ありがとうございました。

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教育勅語

2017-03-16 13:47:37 | Weblog

教育勅語は偏向しているのか?????・・・・・そもそもこれは明治維新政府が封建制度と決別するための政策の一つを、国家の顔である元首の言葉として発布されたもののはずです。日本が国際社会に蹂躙されないように明治天皇はご自分の誓いとして五か条の御誓文を、国民に向けての願望として子弟教育の根幹を教育勅語として示されました。日本の近代国家としての出発点だったはずです。それがどういう風に偏向しているのか・・・・・?????

国会やマスコミの報道で、それが悪のように吹聴されています。まあ、世界の歴史教育は大方において、各国の都合で偏向されています。どういう風に偏向されているかというと、自国の正義と敵対国への憎悪とでです。そういう意味で、韓国と中華人民共和国は日本を敵国とみなしていると言ってよい!!!!!あるいは、敵国でないと言うならば、金銭目的で自国を下品な国に落としている!!!!!そして昨今の日本の風潮は、哀しいかな!!!、自国の歴史を敗戦前後の二分割で、戦前は軍国主義の悪で戦後は平和主義の善としている・・・・・これでは歴史の断絶で、日本としての美しさを未来に残せるかどうかの瀬戸際に来ています。そういう意味では韓国と中華人民共和国の憎悪のほうがかの国の歴史にとってはましかもしれません。でも、教育勅語には『国の役に立つ』人材になるようにとの国家運営の永遠の真理(?)が述べられているだけだと思いますし、それをどう活用するかということは、ひとえに国家国民の資質に関わることだと思います。

 

私の随想古事記のテーマですが、日本は他民族への憎悪を融和することに成功した国なのですから、そういう美しい日本を滅ぼさないように国に役に立つ人材の育成がどんなに大事なことか・・・・・それが教育勅語の根幹だと思います。 まあ、教育勅語が子供の暗唱に適しているかという疑問は私も感じます。だけど、子供の記憶力の向上には資しているかもしれません。私も父から歴代天皇名を50代まで暗唱させられたし、中学校の教科書に載っていた円周率を小数点以下41位まで暗唱して覚えました。中学一年の英語の宿題は3~5ページ(習いたてですから、大した量ではない)暗唱してくることでした。声を出して暗唱すれば、肺の機能にも良いかもしれませんし、姿勢もよくなるし・・・・・・それに、幼い子供は大して意味は分からない・・・・・私自身や我が子の経験で実証済みです。カトリックの幼稚園に通わせた子供たちは、『・・・・・神の恩寵マリア・・・・・』なんて、大きな声で唱和してました。それはそれとしても、子供の教育には一般的な、そしてもっと時間的に古くなった『孝経』を暗唱させる方が良いかもしれません。『孫氏の兵法』だって『韓非子』だって、誰も文句をつけないでしょう。

 

 

余談ですが、子供に『安部さん頑張れ』と言わせて何が良いのか嬉しいのか・・・・・安倍総理も迷惑でしょうし、聞いている方も不愉快です。その安倍総理が夫人をかばって『不愉快だ!』と言われたのを聞いて、私はとてもうれしく感じました。よくぞ言われた!!!!!夫たるもの、妻をかばわなくては!!!!!誰だって、つい言ってしまった、あるいは言わされてしまった・・・・・という経験はあろうかと思います。総理夫人の映像を見ると、そんな気がします。人間誰だって、相手のあるいはその場の意向を汲むものですから。そしてそんな映像を流すマスコミに不愉快を禁じ得ません。これが私の個人的感想ですが、コメントに自由なご意見をお願いします。

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