田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

ヨッチさんのこと

2008-05-26 00:57:50 | 障がい者のこと

N君とかやまちゃんと同じく自立生活センター設立時のメンバーの一人で代表を務めた経験もあり、今はやまちゃんとともにNPO法人運営委員の一人になっているのがヨッチさんです。
年齢は30代の初めです。
ヨッチさんのことは先月このブログでも書いたのでご記憶の方もいらっしゃると思います。
彼も脳性まひのせいで歩行困難の上両手が不自由です。
でも彼は僅かに動く手の指で自慢の愛車(アメリカ製電動車椅子レンジャーRGX)のスティックを巧みに操り、かっ飛ばして結構遠くの方まで外出します。
自称「車椅子暴走族」です。
言語障がいもあるため話し声は不明瞭ですが、僕は彼の話す言葉なら100%理解できるので、彼とは少しのタイムラグがある他は普通に支障なく会話を交わしています。
自分で考えた親父ギャグを連発して笑わせてくれるので、彼と一緒だと退屈しません。
彼の姿はちょっとだけ個性的ですが顔はかなりイケメンの方だと思います。
何よりもその笑顔はとびっきりで癒されます。
頭はかなりいいみたいです。(僕と比較してですが)
PC歴はかなり長くしかも独学で覚えたそうです。
両手が使えないのでPCやオーディオはすべて足を使って操作します。
キーボードも器用な足の指で打ち、実に見事なタッチを見せてくれます。
ここまで上達するまでには恐らく血の滲むような練習を重ねたんだろうと思います。
僕が「50の手習い」でPCを始め、彼のHPを訪れる様になった時に彼も僕と同じく沢田知可子さんのファンである事を知ってから急速に彼と親しくなりました。
もちろんそれだけではなくて、彼のいつも自然体なところとか、「決してがんばらない」けれどもいつも前向きなひたむきさに惹かれたからです。
そんなヨッチさんですが、彼には辛い過去があります。
20代の時にボランティアの女性と恋愛結婚をしましたが、うまくいかずに別れてしまったのです。
僕にはその原因が何だったのかは分かりませんが、恐らく愛し合う二人の力でもどうしようもない壁が立ちはだかり、それを乗り越えられなかったんじゃないかなと思います。
彼は精神的に落ち込んでしまい傷心の日々を送る内に、その辛い心情を詩に託し哀しくも美しい思い出として残そうと考えたのがきっかけで詩の創作活動を始めました。
そして、自分のHPに自作の詩のコーナーを設けました。
ヨッチさんの詩は沢田知可子さんの目にも留まり、彼女の口利きでバリヤフリー情報誌に彼の詩が掲載されたこともあります。
その後知可子さんから「もっと等身大の自分を表現してみたらどう?」という助言を受け、詩の中に「車椅子」という単語を取り入れるようになりました。
彼の夢は将来自分の詩集を出版する事と、知可子さんから自作の詩に曲をつけてもらうことです。
彼は限りない才能と詩への静かな情熱を持ちながらも、彼の背負っている重度の障がい故の体調の急変という不安と常に闘いながら、こわれやすいガラスのような体で日々を懸命に生きています。
先月、知可子さんのBBSにヨッチさんから以下の内容の書き込みがありました。
「(去年の10月の知可子さんの)喜多方ライブから約1週間後に頚椎の手術をし、1ヶ月間入院しました。手術は無事成功したのですが、その後の回復が思うように進まず今も右手右足はまったく使えない状態で、わずかに動くだけの左足を使ってマウスだけでPCを操作しています。今まで当たり前のように出来ていたことが出来なくなったことへのストレスとやり場のない怒りをどこにぶつければいいのかわからない時もありますが、気を長くして生きていきたいと思います。今年もちかちゃんのライブが見たいです。」
この書き込みでお花見会では聞けなかったヨッチさんの手術後の状態と心の内を知り、愕然としました。
僕としては今のヨッチさんにかける言葉(ありきたりの慰めではなく励ましの)が見つからないですが、彼の奇跡の復活を信じて神に祈っています。

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やまちゃんのこと

2008-05-26 00:23:16 | 障がい者のこと

障がいを持つ友「やまちゃん」・・・僕は親しみを込めていつも彼をニックネームで呼んでいます。
年齢は40代です。
脳性まひの彼は自らをミスターCP(脳性まひ)と名乗っています。
やまちゃんは僕がヘルパーとして所属しているNPO法人の理事の一人としてその運営に携わっています。
彼とは自立生活センター時代から約10年お付き合いしてきており、僕がヘルパーとして担当した回数が一番多かったのも多分彼でしょう。
彼は主に右半身が不自由で歩行困難なため外出する場合は状況に応じて電動か手動かどちらかの車椅子を使用しなければなりません。
更に言語障がいが特に重く、あまり興奮し過ぎると感情をコントロールするのが困難に陥る様な症状を見せる場合も時としてあります。
僕は正直に言うと未だに彼の話す言葉を30%程度しか聞き取ることができないのです。
何度か聞き返しますが、それでも理解できない場合があります。
彼はそんな時にはいつも携帯しているトーキングエイドという道具を使用します。
これを使えば自分の意思を確実に相手に伝えることができるのです。
左手の人差し指でキーボードの文字を1個ずつ押して文章を作り細長い液晶画面に映し出して、更に必要に応じてそれを音声にして知らせたりします。
.
昔のやまちゃんはお酒がとても好きでした。
多分彼にとってお酒は小さな喜びを大きくしてくれたり大きな哀しみを小さくしてくれる「魔法の水」だったと思います。
彼は一時期アルコール依存症になったことがあります。
日々を一所懸命に生きていたにもかかわらず、いくら努力してみても自分の体を自分の力で自由に動かせない焦りと辛さをお酒の力で少しでもやわらげようとしていたのでしょうか・・・
会津に自立生活センターを設立し、初代の代表として活躍した故N君は彼の先輩であり盟友でした。
やまちゃんも設立時のメンバーの一人だったのです。
N君が体調不良を訴え自立生活センター代表の職を辞した後、副代表だった彼は二代目の代表に就任しました。
彼は仲間の期待に応えるべく自分の持てる力を精一杯発揮してがんばった・・・はずでした。
ところが、ある程度収まっていた彼のアルコール依存症がここで又出始めてしまったのです。
多くの障がい者達をまとめなければならない責任感とあまりにも偉大だった前代表と何かにつけ比較され批評される度に生じる焦燥感が巨大なプレッシャーとなって彼に襲い掛かかったのでしょうか・・・
しかし、彼は家族や周囲の方に支えられ地道な治療の日々を重ねた末に立ち直り今日に至っています。
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彼は素晴らしい才能を持っていました。
それは作詞をすることです。
高校生になってから詩の創作活動を始め雑誌やラジオ番組に投稿する内にその詩に曲をつけてくれる音楽仲間が彼の元に続々と集まって来てくれました。
作詞家・・・そう呼ぶに相応しいほど彼の詩には地元のバンドとかシンガー・ソング・ライターが曲をつけており、コンサートで歌われています。
今までに詩集の小冊子も5刊発表しています。
彼の詩を読むと、話をして(言葉で)伝える事が上手くできない彼のもどかしさが心の声(叫び)となって聞こえて来るような気がして感動で胸が一杯になるのです。
彼は歳を重ねるごとに自由が利かなくなってくる自分の体に「様々な困難が見えてくる」と不安を感じながら、「できる内に残しておきたい」と今も詩の創作活動を続けています。
僕はこれからもそんな彼と向き合って見守りながら親交を深めていきたいと思っています。

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