ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.9.28 病院で死ぬということ

2010-09-28 21:18:02 | 映画
 山崎章郎さんの原作本は何年か前に図書館で借りて読んでいた。
 「ある時、偶然手にした一冊の本が僕の運命を変えることになった。その一冊とは1926年にスイスに生まれたアメリカの精神医学者 E・キューブラー・ロスが書いた“死ぬ瞬間”という本であった。読み始めて30分もしないうちに、それまで培ってきた医者としての常識がいとも簡単に覆され、どうしても解けないでいた胸のしこりが解け、まるで体じゅうの血が逆流するのではないか、と思うような深い感動を受けたのだ。」(本文より)。
 キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」は、読みたいけれど読むことを躊躇いつつ何年か過ごしていたが、ようやく意を決して今年の1月に読んだ本だ。このブログでも書いた記憶があるが、私はこの気持ちが言いたかったのだ、本当に読んで良かった・・・と思えた一冊だった。

 今回、「末期がんに侵された入院患者たちのエピソードを丹念に描き、ターミナルケア(終末期医療)のあり方に波紋を投げかけた山崎章郎の同名小説を映画化。終末期医療といっても、最末期の痛みを伴うような場面はなく、病気に対する不安、混乱、受容までのプロセスにフォーカスして4人の患者と家族たちとのエピソードを準タッチで綴っている。」と紹介された平成5年の市川準さん監督の映画がテレビ放映されていたので、録画して観た。

 息子夫婦や孫たちに囲まれた老夫婦、夫に先立たれ3人の子供たちを女手ひとつで育て上げ、さあこれから・・・、という年配の女性、40代の働き盛りの男性のがん患者とその家族たち・主治医の描写。

 カメラはひたすら病室のベッドをフィックスしたまま回っていく。病室以外の場面は殆どない。ベッドが空くと新たな患者がやってくる。病院の繰り返される日常。その間に四季折々の普通の方たちのドキュンメンタリー的映像が挟みこまれていく。

 この映画が作られた17年前、すでに平成になってからも、「あなたは○○がんである」という告知もされずに闘病することがこれほど当たり前だったのだと、驚いた。そして、皆全然良くならないじゃないか・・・、と猜疑心の塊になり、精神的にアンバランスになっていく。
 当然だ。患者は皆、良くなるんだ、治すんだ・・・という希望をもってきつくて辛い治療にあたる。それが治療をしてもきつくて辛いだけ、全然良くならないどころか自覚症状はどんどん悪くなる、それでも医者が本当のことを言ってくれなかったら、患者は一体何を信じて頑張っていけばいいのだろう。ただ、私のような乳がん患者は手術をすれば外観でわかるから、告知なくして治療はあり得ない。特殊といえば特殊なのかもしれないけれど。
 そしてみな最期が近付くにつれて「家に帰りたい」と言う。

 老夫婦は夫が大腸がん、妻は肺がん。家族の希望と病院の配慮で2人同室になったが、妻は治療の関係で転院を余儀なくされる。息子たちが父の願いを聞き、ある日彼を妻のいる病院へ連れていく。たった30分の再会であったが、家族にとって忘れられないものとなった。

 年配の女性は、最初は子供たちと明るく過ごしていたが、2度の手術を経、入院生活が長くなるにつれて、いら立ちを隠せなくなる。そこでようやく主治医は真実を告知。彼女は自宅に帰りたいと言い、主治医はその意思を尊重する。

 働き盛りの男性も病名を知らされないまま入院。手術でがんを摘出することが出来ず、そのままお腹を閉じただけ、という手術の真実すら説明を受けぬまま、いったん元気に退院。 やがて主治医の予想通り再入院。彼も妻や周囲に当たり散らすようになる。会社の同僚たちが見舞いに来る場面は身につまされた。
 しかし、その後、望んで真実を告知された彼は、次第に冷静になり5日間の外泊で自宅に戻る。そして子供たちにも全てを話し、充実した時間を過ごす。自分が近いうちに死ぬのはもう少しも怖くない、ただ子供たちのために一日でも長く生き延びたいと主治医に語り、どんな治療も受ける、と依頼する。
 そして子供たちへ宛てた手紙には「死を乗り越えることが出来るのは、勇気でも、あきらめでもなく『愛』なのだ」と遺すのだ。

 ちょうど直近に病院から帰ってきたこともあり、淡々とした病室の画像がやけにリアルに迫ってきた。あそこにいるのは未来の私?という感じ。在宅での最期を希望しても、夫と息子という我が家の家族構成ではとても末期の介護は望むべくも無い。ホスピスだって順番待ちでいつ入れるかもわからない。結局、最期は病院で、という可能性が一番高い。

 ラスト近くで、主治医を演じた役者のナレーション「病院とは不思議な場所だ。当たり前のことだが、この場所は、どの人にとっても最初から必要とされていた場所ではない。私たち医療者はその人の人生の過程に突然登場し、その人の前に大きく立ちはだかってしまうように感じる。死を自覚した人の前で、私たちに願うことが許されるなら、矛盾した言い方のようだが、この場所が『死ぬための場所』ではなく『良く生きるための場所』であるということを最期のときまで感じてほしいということ。自分の意思で自分の死を取り戻す場所であってほしいということだと思う。」の重みにしばし考え込んでしまった。

 「良く死ぬことは、良く生きることだ」これは1987年に46歳の若さで乳がんで亡くなったジャーナリスト千葉敦子さんの言葉でもあった。
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