ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.7.8 最善を期待し、最悪に備える

2016-07-08 22:14:44 | 日記
 愛読している朝日新聞の医療サイトアピタルの1分で知るシリーズで、一人の進行がん患者として本当にそうだ、と思った記事があった。以下、転載させて頂く。

 ※   ※   ※(転載開始)

1分で知るシリーズ:がん
進行がんの余命宣告は必要か(石塚広志2016年7月6日)

 進行がんであることがわかると多くの患者は医師にこう聞くそうだ。「あと、どれくらい生きられますか」。日本医科大武蔵小杉病院の勝俣範之教授(腫瘍(しゅよう)内科)は「そこで医師は『実は○カ月です』と言ってはいけない」と余命宣告の廃止を提唱する一人だ。
 かつて勝俣さんも患者の強い希望で伝えることはあったそうだ。だが、悟りきったような聖職者、あるいは度量のありそうな社長や政治家であっても、具体的な余命期間を告げられると、がっくり肩を落としたり、ぼろぼろと涙を流したりする。ショックでうつ状態になる人もいたという。
 勝俣さんは「一方的な余命宣告は患者を傷つけるだけ」と指摘する。さらに医師の告げる余命は当てにならないというデータもある。勝俣さんが、自身を含む医師14人の担当した進行がん患者75人の余命予測を検証したところ、実際の期間と一致したのは約3割にとどまったという。
 医師がいくら「不確かだ」と強調しても、患者は数字にとらわれる。
 勝俣さんは余命宣告の代わりにこう言うそうだ。
 「最善を期待し、最悪に備えましょう」

(転載終了)※   ※   ※

 私も再発・転移を告げられた時に、「もし治療しなければ・・・(どのくらい生きられるのでしょうか)?」と聞いたことはある。その時は「年単位は難しい」との答えだった。けれど「きちんと治療をすれば数年単位で(延命できる)」とも言われた。

 その後転院し、紆余曲折を経て続けてこられた再発治療のおかげで8年半が経過し、今に至る。
 転院して今の主治医にお世話になってからは、余命については一切聞いていない。もう聞く必要はないと思っているからだ。

 その時、その時、自分にとってベストだと思う選択をする。結果として余命が延びるか、縮むかわからない。けれど、仮に縮んでいたとしても後悔するような選択はしてきていない、と自信を持って言える。
 何より自分なりに勉強し、主治医とも相談しながらよくよく納得した上で、治療を選んできたからなのだと思う。

 生まれたからには人は必ず死んでいかなければならない。その動かしがたい事実を人は頭ではわかっている。けれど、誰だって自分の命の限りについて宣告されたら平静ではいられないだろう。平均寿命を十分に超えて、傍から見れば大往生と思えるような人であってもそうなのだから、それがまだ働き盛りで若い患者だとしたら、そして、それが自分が思っているよりも短い期間を告げられたとすれば・・・どうしたって思考がネガティブになるだろう。

 もちろん、なにくそと思って逆に頑張る方も中にはいるかもしれない。けれど、医師も長く見積もってしまって、実際はもっと短かかった(亡くなってしまった)となって、後からトラブルになることは避けたい、と考えて短めに言うということも聞いたことがある。

 世の中には科学で割り切れないことは沢山ある。人の身体は本当に不思議だ。
 だからこそびっくりするようなことが往々にして起きる。思わぬ長生きをするケースあり、そうでないケースあり。
 けれど、聞いたらガックリくるのであれば、やはり聞くべきではないと思う。

 とはいえ、他でもない自分の身体だ。ずっと治療を続けていれば動物的な勘が働くとも思う。その時は、従容として来たるべき死を受け容れられるよう、心静かに穏やかに準備を進めたい。だからといって決して早々と諦めることなく、その時に出来るベストを尽くして生き抜きたいと思う。

 常に「最善を期待して、最悪に備え」ながら。これは進行がんと向き合う術というだけでなく、仕事でも日常生活でも、生きる上でのセオリーではないかと思う。

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2 コメント

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同感です。 (ターコイズ)
2016-07-09 17:35:01
ロッキングチェアさん、こんばんは。

お父様がご入院中とのこと、心よりお見舞い申し上げます。
お父様ご自身が何より治療でお体もお心も大変かと思いますが、支えておられるご家族の皆様がどうぞご無理なさいませんように。
お母様の術後の経過が問題なしであったことが本当に救われますね。
お父様には落ち着いて療養ができる良い病院が見つかりますように願っております。

転載された記事、私も読みました。
状況によりけりかもしれませんが、私も余命宣告は必要ない(聞く勇気も無いですが…)と思っています。
聞いてしまったばかりにそれに囚われるよりは自分の体の声に耳を傾けて悔いのないように過ごしていきたいなぁ、と。
ラストの「最善を期待し、最悪に備えましょう」との勝俣先生のお言葉。
先生の患者を見捨てない励ましの気持ちが含まれていて、いい言葉ですね。
私も本当にそうあらねば、と思うのですが、なかなか生活全般でとらえると最悪の方の備えに立ち向かえていない自分がいます。
目の前の治療に対しては効果が出ることや、現状維持ができることを期待しつつ、副作用にも備えて立ち向かうつもりなのですが、病気を抱えている身にもかかわらず、いかんせん日々のことがそれほど不自由なく出来ている現在、それが急に崩れた場合への備えができていないなぁ、と。
そのうちそんな悠長なことを言っている場合ではない状況が訪れるのかもしれませんが、
ぐうたらな私はせめて自分を取り巻く状況が散らかり放題になるのだけは避けつつ、そして念頭には「最善を期待し、最悪に備える」を置きつつ、今はまだこの状況が少しでも長く続くことを願ってマイペースで頑張りたいと思っています。

週末もお忙しいことと思いますが、少しはご自身のお身体も労わってさしあげてくださいね。
また時々お邪魔させていただきます。
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ありがとうございます (ロッキングチェア)
2016-07-10 22:38:28
ターコイズさん、こんばんは。

お見舞いのコメントを頂戴しながら、亡くなった記事が先になってしまいました。申し訳ありません。
母の術後経過でほっとしたのもつかの間でした。
転院先の希望も出していたので、こんなに早く、というのが正直な気持ちです。

ターコイズさんも記事をお読みになったのですね。
勝俣先生のお言葉はいつも本当に温かいですね。
私も自分に言い聞かせるために、この「最善を期待し、最悪に備える」を書き留めました。今の状況が永遠に続くわけではないということをやはり考えておく必要があるのだな、と思っても、日々がこうして暮らせているとどうしても・・・ですよね。

マイペースで、自分らしく、細く長くしぶとく、頑張り過ぎずにやっていきたいと思います。
暑さ厳しき折、ターコイズさんもどうぞご自愛のほど。
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