ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.1.20 直球ど真ん中!~がん患者だって働きたい!

2015-01-20 22:10:33 | 日記
 何度もこのブログで紹介させて頂いている、読売新聞医療サイトyomiDr.の大津秀一先生のコラムの最新号。まさに私のハートに“直球ど真ん中!”だった。
 以下、長文であるが、転載させて頂く。

(転載開始)※   ※   ※

専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話(2015年1月15日)
がん患者だって「働きたい」
 「先生、仕事をしたいんです」
 進行がんで抗がん剤治療を受けている50代の男性が、切実な目で訴えられます。
 「家と病院との往復なんて…何か生きている意味が感じられなくて…」
 仕事は確かに、誰にとっても楽なものではありません。一方で、日本人は仕事に生きがいを感じていらっしゃる方も少なくないでしょう。がんの方でも経済的理由ばかりではなく、その他の意味も含めて復職したい、新しい仕事を見つけたいと願っている方は少なからずいらっしゃいます。
 
 確かに仕事を通じて、社会とつながり、また重い病気にかかった際にしばしば訪れるスピリチュアルペイン(生きる意味の揺らぎ;以前の連載も参考にしてください)を回復し得る一つの手段とも言えるでしょう。
 前述の男性も、はっきりと明示はされませんでしたが、そのような思いだったのだと感じました。
 元々仕事人間であり、単身者でもあった彼は、職場での関係が人間関係のほとんどでした。それも退職により、断ち切られてしまいました。治療して延長している生には「ただ生きているだけ」との思いが彼にはぬぐえません。経済的な理由より、生きがいを求めていらっしゃったのです。社会の役に立っている実感も得たかったのです。
 そしてまた重い病気は、不安や「考えたくないのだけれども考えてしまう」状況を頻繁に呼びこみます。体を動かさないで、家であれこれ考えていると、あまり良い方向に考えが向かわないこともしばしばあります。がんとともに長く生活していらっしゃる方は、むしろ仕事をうまく気分転換の手段として、つまり家にいるとずっと考えてしまう病気や生死のことから離れる良い方法として使っていらっしゃると感じます。

 結局それが、長く質に満たされた生活を続けるコツなのかもしれない。私は就労を続けながら外来に笑顔で通って来られる患者さんをみるとよくそう考えます。

 年末年始にかけ、Yahoo!等のポータルサイトのトップページに何度もがん患者さんの就労についての記事が掲載され、良かったと思います。
 厚生労働省がまとめた『がん患者の就労や就労支援に関する現状』を読むと、状況は楽観的ではありません。
 報告書によると、仕事を持ちながらがんで通院していらっしゃる方は実に全国で32.5万人もいます。そしてがん診療連携拠点病院に寄せられる「働くこと」に関する相談のうちの約4割は「仕事と治療の両立の仕方」(第2位。1位は経済面)です。皆さんは仕事をしながら、治療を受け、何とかその両立を図ろうと努力されています。
 一方で勤務者の34%が依願退職・解雇、自営業者等の方の13%が廃業に至っているとの現状があるのです。

 がんは、他の疾患と比べると、比較的良い状態が最後の2~3か月前まで続く特徴があります。

 また疼痛に対しての適切な医療用麻薬の治療では、「意識に影響を与えず」苦痛緩和ができます。私の外来患者さんでも、医療用麻薬を使って苦痛緩和をされながら、知的労働を含めて、繊細な、判断力を要する仕事を為している方も当然いらっしゃいます。
 適切な医療用麻薬治療は判断力にも性格にも影響を与えてはいません。もちろん必要な医療用麻薬の量を巧く調整し、むやみに増やし過ぎない等の通常通りの配慮は必要です。
 がん患者に対する就労支援モデル事業として、平成25年度からがん診療連携拠点病院とハローワークの協働も全国5か所で始まっています。がん患者のうちの3人に1人は就労可能年齢(20~64歳。罹患者全体の32.4%)であることを考えると、支援体制のますますの拡充が求められるでしょう。
 それと同時に、私からのお願いは、どうか企業の方にも「比較的末期まで良い状態が保持される傾向がある」進行がんの方を受け入れて頂きたいというものです。確かに治療に伴う体調の変化、例えば就労の妨げとなる倦怠感や下痢などの副作用が一過性に出現しうるなど、まったくの健康人を雇うよりも大変な場合、躊躇する場合もあるとは思います。しかしその一方で有能な人材、頼りになる働き手が埋もれているとも思います。そしてまた病を得たものであるからこそ培われた、細やかな配慮や優しさにあふれた方も多くいらっしゃいます。罹患されている方の希望があれば、ぜひ就労可能かどうかを罹患者とともに担当医に尋ねて頂きたいと思います。
 がんの累積罹患リスクは生涯で男性54%、女性41%(がん情報サービス)です。
 誰もがなり得る状況であり、明日の我が身かもしれません。「がん=近い将来の死」であった時代は終わりを告げているにも関わらず、いまだに「がん」という言葉は必要以上に重々しく捉えられ、その世間の感覚が就労の妨げになっているとも感じます。実際は、私より活動的で、より創造的な進行がんの方もまったく珍しくないのです。個人差がとてもありますから、「がん患者」ではなく、どうか目の前の「○○さん」の事情や状況はどうなのかということを担当医の意見も求めながらよく見て頂きたいと思います。

 「がんとともに生きる」ことになっている時代、経済的な安定や生きがいを継続的に得られることは質に満たされた生活を送るうえで非常に重要だと思います。もちろん無理をして働くことはありませんが、希望がある方には、必要としている方には、どうか職が与えられてほしいと思います。そして世間一般にももっと、現代のがん治療の考え方や、進行がんを抱えていらっしゃる方の生活のことが知られてほしいと思います。
 「先生…ダメでした。問題外だそうで…仕方ありません、諦めます」
 50代の彼は、窓口ですげなく断られてしまったそうです。聞いた私もとても残念でした。
 一朝一夕には変わりませんが、上と現場の努力と、世間の正しい理解の広まりで、彼のような苦悩が改善されてゆくことを願います。

(転載終了)※   ※   ※

 さて、どこから書き始めようか、と思うほどあれもこれも頷くところばかりである。先生の文章の順を追って、なるべく対応する形で思うことを書いていきたい。
 罹患した時も再発転移確定した時も40代だった私であるが、既に五十路を超えて3年が経つ。この年齢で再発進行がんであることを明らかにして、今以上の就職口を見つけるのはまず無理だろうと重々承知している。
 誰にとっても仕事は決して楽なものではない。ひたすら地味な積み重ねが殆どだ。言ってみれば、自分の自由な時間を切り売りしてお給料を頂いているわけだ。そして、ご褒美があるとすれば、年末に私が記事にしたような20年ぶりのメールだったりする。けれど、そうした本当に小さなご褒美こそが仕事を続けていられる原動力、醍醐味であるとも思う。もちろん綺麗事ばかり言うつもりはないし、仙人ではない(タイの仙人もいいかもしれない、とヨガスタジオのルーシーダットンクラスには細々と通っているけれど)から、霞を食べて生きて行くわけにもいかない。口に糊するために働くことは必須である。更に今の私にとっては治療費を自分で捻出する為、というのも大きい。

 この10年の間、特にエンドレスの再発治療を始めて7年の間、仕事を辞めることなく働き続けることが出来て良かった、と思うことは一度や二度ではなかった。先日のお友達のお別れの式でご遺族の弟さんが、知識欲に溢れ、自らの職務に忠実だった彼女が、上司から「(君は)もう来なくていいよ」と言われなかったことが姉の大きな励みになっていた、とご挨拶されていた。本当にそうだ、と思う。自分が役に立てていること、自分が必要とされていること、それを実感出来ることがどれほどの力になるだろう。それが家と病院の往復だけの生活になったら、と考えると本当に切ない。24時間、365日全く働けないほどの不調であるわけでない。治療により辛い幾日か、あるいは数週間かをやり過ごせば、十分仕事をする意欲も能力もあるのに、問題外、と全面否定されてしまうこと、辞めざるを得なくなること、は、ずっと仕事をして生きてきた人にとって絶望以外の何物でもないと思う。

 私も休職中家にいた時は、どうしても思考がネガティヴになり、負の螺旋に陥っていくのが判った。考える時間がたっぷりある、ということは病とともに生きる上で決してプラスにだけ働くことではないのだ、と身をもって知った。だからこそ、今も気付けばどんどん予定を詰め込んで、目一杯忙しくしている。考えることから逃げているのかな、と苦笑いすることさえある。少なくとも仕事をしている時には病気のこと、予後のことなど必要以上に余計なことは考えなくて良い。そして、人のために役立っていると実感出来るわけだから、こんなに幸せなことはない。
 おかげさまで私なりに、とても良い生活を送ることが出来ている。そのことを実現させてくださっている職場関係者の皆様、病状をうまくコントロールしてくださっている主治医をはじめとした医療チームの皆様に改めて感謝したい。

 先生も書いておられる通り、最近がん患者の就労について、テレビでも新聞でもしばしば取り上げられるようになったと思う。だんだん他人事ではなくなっているのだな、という思いを強くする。もちろん、望む人全てが仕事と治療を両立させていける社会が実現出来ればそれが理想だけれど、まだまだ道が険しいのも事実だろう。こう書くと、お前は公務員で恵まれている、職住近接で暇だから務まっているだけだ、偉そうに言うな、とおっしゃる方もおられるかもしれない。けれど、真剣に仕事をした経験のある人ならば仕事は暇が幸せだ、などとは決して思わない筈だ。仕事をする人間にとって暇であることは辛いことではないだろうか。少なくとも私は暇だったら苦痛に苛まれるであろうと思う。

 お正月に旅立ったお友達も10月の半ばまでは第一線で激務をこなしておられた。そして、11月末迄年休を取り、12月はなんとか在宅勤務で繋いで、新年から休暇がリセットされたところでまた仕切り直しをしたい、と思っていらした。
 実際にがんは、末期といわれる病期でも、最後の最後まで働くことが出来る病気であるのは間違いなさそうだ、と思う。彼女は医療用麻薬治療もされておられたけれど、実に上手にコントロールされていて、私がお目にかかった(その後10日で旅立たれたのだけれど)時まで、判断力も性格も元気な時の彼女のままだった。もちろん、先生が書いておられる通り、何事にも個人差は当然あるのだろうけれど。

 一方、私のような進行がん患者を受け入れてくれている今の職場には、感謝しても感謝しすぎることはない、と思っている。これ迄7年間という長期に渡り再発治療を続けてきた中で、薬のチェンジのタイミングで緊急入院したり、酷い副作用が出現し、いつも通りの成果が出せない日も少なからずあった。けれど、病を抱えたことによって、かつてブイブイ言わせながら仕事をしていた時には考えられなかった優しく穏やかな気持ちが、ごく自然に湧きあがって来るのを感じることがしばしばだ。誰か困っていそうであれば、配慮してあげる、ではなく自然に手を差し伸べたくなる、そんな気持ちになるのが不思議でさえある。

 そう、私は“乳がんステージ4で全身に多発転移があり、近い将来、間違いなく死んでしまう可哀想な患者”ではない。これまでどおり仕事も趣味も欲張って、言ってみれば更に欲張ったことに“しぶとく治療を続けている”という○○○○個人なのである。
 同じような境遇のがん患者、あるいはそれに限らず、働きたいと希望する誰もが働ける世の中、小さな子どもを育てるお母さんも、ハンディキャップを持って生まれた方も、皆がそれぞれの働き方で働ける、それがバリアフリーな世の中なのではないだろうか。そういう社会に一日も早くなってほしい、と切に思う。

 今日は大寒。天気予報を信じしっかり完全防備の厚着で出かけたので、震え上がることなく過ごせた。冬至からひと月、日一日と日が長くなっているのを実感する。日が暮れた後のマジックアワーの空の色が美しかった。
 帰宅すると今年初めてのお花が届いていた。赤とピンクのアルストロメリアが2本ずつ、白いスプレーカーネーションが3本、そしてカスミソウが2本。花言葉はそれぞれ「凛々しさ」、「女の愛」、「清い心」だという。カスミソウの英名がBaby's Breathということも初めて知った。寒い日の夜、ぱっと気持ちが明るくなった。

コメント (8)
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