「悪女礼賛 ~スクリーンの妖花たち」
「女の中にいる他人」1966年 東宝 監督:成瀬巳喜男
家庭崩壊の危機に、妻は――。
E・アタイヤの『細い線』を翻案した心理サスペンス。 夫の犯罪を知った妻が、最後にくだす衝撃の決断とは…。 心理描写に絶妙の冴えを発揮する成瀬巳喜男ならではの緻密で緊張感あふれる演出が秀逸。
気の弱い男は時としてとても迷惑。
小心者の夫(小林桂樹)は正義感とかを持ち出すけれど、要は浮気や犯してしまった犯罪を自分の心の中に仕舞っておくことに耐えられないだけ。
自分の気持ちが楽にさえなれば、残された家族の事などどうでも良いのだ。
一方、妻(新珠三千代)の方は亭主の事より残される子供たちの将来を案ずるばかりだから、心と会話が食い違いすぎる。
そして、その差し迫った思いによって、またこちらも犯罪を犯してしまう。
「今度は私が夫の変わりに一人で秘密を守る苦しみを味わうのだ」といったモノローグで終わるけれども、こちらは秘密の重圧に充分耐えられるだけの力は持っている。子供を守ろうとする母親は自分勝手な男と根性の座り方が違うのだ。
・・・いやいや、こっちだって本当に子供の事を思っているかというと怪しいもので、自分勝手な裏切り者の夫への復讐と見るべきところか。
夫を許し、あくまで夫と伴に付いていくという姿勢を崩さない古風な女の中の他人が恐ろしいってことか・・・
基本的にダメ男の話は好みなんだけど、この手のタイプは見ていて不愉快。ある意味自己を投影しちゃうからか。
小林桂樹のイライラする小心ぶりと和服の美しい新珠三千代の心理サスペンス。
ところで浮気相手役が若林映子様なので見る気になったわけだけど、妖艶な悪女といった風情は流石なんだけど小林桂樹との情事は想像しにくいなぁ。
気づいたら成瀬巳喜男作品はこれが鑑賞2作目。なかなか成瀬まで手が回らないやね。
ラピュタ阿佐ヶ谷
「女の中にいる他人」1966年 東宝 監督:成瀬巳喜男
家庭崩壊の危機に、妻は――。
E・アタイヤの『細い線』を翻案した心理サスペンス。 夫の犯罪を知った妻が、最後にくだす衝撃の決断とは…。 心理描写に絶妙の冴えを発揮する成瀬巳喜男ならではの緻密で緊張感あふれる演出が秀逸。
気の弱い男は時としてとても迷惑。
小心者の夫(小林桂樹)は正義感とかを持ち出すけれど、要は浮気や犯してしまった犯罪を自分の心の中に仕舞っておくことに耐えられないだけ。
自分の気持ちが楽にさえなれば、残された家族の事などどうでも良いのだ。
一方、妻(新珠三千代)の方は亭主の事より残される子供たちの将来を案ずるばかりだから、心と会話が食い違いすぎる。
そして、その差し迫った思いによって、またこちらも犯罪を犯してしまう。
「今度は私が夫の変わりに一人で秘密を守る苦しみを味わうのだ」といったモノローグで終わるけれども、こちらは秘密の重圧に充分耐えられるだけの力は持っている。子供を守ろうとする母親は自分勝手な男と根性の座り方が違うのだ。
・・・いやいや、こっちだって本当に子供の事を思っているかというと怪しいもので、自分勝手な裏切り者の夫への復讐と見るべきところか。
夫を許し、あくまで夫と伴に付いていくという姿勢を崩さない古風な女の中の他人が恐ろしいってことか・・・
基本的にダメ男の話は好みなんだけど、この手のタイプは見ていて不愉快。ある意味自己を投影しちゃうからか。
小林桂樹のイライラする小心ぶりと和服の美しい新珠三千代の心理サスペンス。
ところで浮気相手役が若林映子様なので見る気になったわけだけど、妖艶な悪女といった風情は流石なんだけど小林桂樹との情事は想像しにくいなぁ。
気づいたら成瀬巳喜男作品はこれが鑑賞2作目。なかなか成瀬まで手が回らないやね。
ラピュタ阿佐ヶ谷
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