【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【わが家の“日食”】

2009年07月22日 | アジア回帰

 今朝は、タイの各地で“部分日食”が見られるという。

 さっそく、7時過ぎからオムコイの空を見上げるのだが、厚い雨雲の隙間から、かすかに陽光が垣間見えるだけである。

 テレビを付けると、もちろん日食の話題で持ちきりだ。

 ある局では、画面を9分割して、皆既日食が見られる中国の武漢など、世界各地の様子を映し出している。

 日本のトカラ列島にできた、見物客向けテント村の様子も紹介された。

        *

 だが、村人たちはまったくの無関心だ。

 ニュースも見ないし、それで暮らしの何かが変わるわけでもない。

 おそらく、わが村で日食現象を見ることができたら、男衆たちは一斉に空に向けて猟銃を撃ち放つに違いない。

 たとえば、晴れた空に突然雨雲が湧いて雷が鳴り出すなど、いわゆる天気雨の状態を村人は“不吉の前兆”と見なし、一斉に空を撃つのである。
      
      *

 わが家の場合も同様で、嫁は今日も朝から甥っ子を引き連れて仕掛け網の引き揚げに向かった。

 獲物は、鮎に似た小型のプラーアオ1尾と雑魚数尾、それにおまけのサプライズである。

 サプライズとは、網揚げについていった愛犬の“雄太”と“元気”が得意の連携プレーで捕獲した1羽の鶏である。

 もちろん、誰かが飼っていたものに違いないが、すでに昇天してしまったものは致し方がない。

 まあ、これも弱肉強食の摂理であろう。

 というわけで、ただいま午前8時半現在、わが家では日食そっちのけで鶏料理の真っ最中なのだ。

 ぐらぐらと煮立った湯に丸々と太った鶏を浸けて、黒い羽毛をむしっている甥っ子のジョーは、日食のニュースなどには見向きもしない。

 嫁のラーも、「それは今夜の話でしょ?」などと上の空で、調味料にする薬草を庭で探している。

 やれやれ。

 数十年ぶりの日食よりも、日々の“日食”の方が大事なようで・・・。

 私は思わぬ到来物を祝して始まった焼酎の献杯を受けながら、ちらちらとテレビの画面に目をやるばかりだ。

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