「いい音楽を聴かせる店があるから、そこへ行かない?」
ファラン(欧米人)も少ないし、静かな店よ・・・と、ラーは付け加えた。
私はトゥクトゥク(3輪タクシー)の運転手がたむろするいつもの“屋台居酒屋”に行くつもりだったのだが、さすがに女性向けではない。
なにしろ、ガールフレンドのベンはまったく酒の類を飲まないので、女性向けの店など知らないのだ。
「たまには気分を換えて、別の店で飲むのもいいか」
そう考えて、ラーの勧めに従った。
一緒に歩き始めると、ラーの速度が異様に早い。
私も歩くのは早い方だが、とても追いつけない。
「・・・早いねえ」
感心して言うと、「私はカレン族よ。いつも山の中を歩き回って働いているんだから」と得意そうに笑った。
ちょうど日曜日の夜なので、通りは“サンデーマーケット”で賑わっている。
その雑踏の中を、ラーがぐんぐん突き進んでいく。
やっと雑踏が途切れると、両側にバーやプールバーが集まった通りに突き当たった。
しばらく歩くと、ラーが“バビロン”という店を指差した。
そこは、大きな樹を中心にして作られたオープンバーで、ステージでは数人のタイ人バンドがビートルズやボブ・マーリーをコピーしていた。
センソン・ウイスキーの小瓶とソーダ、水、氷のセットで200バーツ。
ライブ演奏付きだから、安いものだ。
とりあえず乾杯すると、すぐに足元に蚊がたかり始める。
ラーがタイガーバームをバッグから取り出し、指ですくって私の手のひらに乗せた。それを手のひらで伸ばして足に擦り付け、かゆみ止めと蚊よけにするようにとジェスチャー付きで指示した。
なるほど、こんな使い方もあるんだ・・・。
「一番好きなミュージシャンは、ジョン・レノン。村にいるときも、英語の勉強のためにいつも英語の音楽を聴いているの」
そんな話をしながら、ラーは結構いいペースでグラスを開ける。
そして、レノンの曲がかかると目を閉じ、静かに体を揺らす。
さらに、ボブ・マーレーやカラバオ(タイの社会派フォークグループ)の曲になると、立ち上がって右手の人差し指を天に向かって伸ばし、ゆっくりとくるくると回すようなしぐさで踊り始めた。
そのしぐさは、なんだか霊魂の世界と交感する巫女やシャーマンのようで、「ベンがよく話題にする村の“霊仏陀”もこんな雰囲気を持っているのだろうか」と考えたりした。
演奏が終わると、グラスも空になった。
斜め向かい側の店に移ると、店の奥にプールバーが見えた。
席に着くと、ラーは同じウイスキーセットを注文し、ビリヤードを楽しむ白人男性の様子をじっと眺めやった。
そして、ウイスキーには口をつけず「ちょっと行って来るね」と言い残して、プールバーに向かった。
“一体、何をする気だろう?”
私は、興味津津でラーの様子を遠くの席から見守った。
彼女が白人に声をかけ、すぐにふたりでのゲームが始まった。
ラーは慣れた様子でボールを睨み付け、鋭く突く。
10分ほどすると、ラーが右手にグラスをもってニコニコしながら席に戻ってきた。
「勝った、勝ったよ!これは戦利品」と言いながら、私にオレンジジュースのグラスを掲げて見せた。
どうやら彼女は賭けゲームに挑み、見事勝利したらしい。
「普段の私はシャイだから、勝負をする前に少しお酒を飲むの。そして、リラックスしながら、カモを探す。カモはもちろん、酔っ払った白人よ。相手は酔っ払いだから、集中力がない。逆に、わたしは一気に眼と頭を集中させて勝負に勝ち、ビールやジュースをおごらせるの」
この作戦で、彼女は一度も賭けゲームに負けたことがないのだという。
いやはや、まったく恐れ入った。
さて、夜もふけた。
宿に向かってぶらぶら歩き出すと、ラーが「踊りに行こう!」と言い出した。
「踊りって、ディスコ?俺は、駄目だ。踊れないし、うるさいのはかなわん」
そう言うのだが、ラーは強引に私の腕を引っ張っていく。
握力も、膂力も、かなり強い。
そういえば、さっきの店で「酔っ払い相手に賭け勝負なんかやってると、いつか危ない目に合うぞ」と私が注意すると、彼女はケロッとしてこう言ったものだ。
「問題ないよ。わたしは、モエタイ戦士だから」
なんでも、17歳のときに村の祭りでモエタイに出場し、グローブなしの素手で戦って2連続ノックアウト勝利。相手の女性は、気の毒にも前歯が吹っ飛んでしまったそうな。
「よし、踊りながら俺にモエタイの型を教えてくれ。それなら付き合ってもいいよ」
「オーケー。ただし、店の中には悪い女がいっぱいいるから絶対に相手をしないでね。仲良くなったりしたら、パンチが飛ぶわよ」
「分かった、分かった。絶対にほかの女性とは踊ったりしないから」
モエタイのことはほんの冗談のつもりだったのだが、ラーと向かい合うとディスコティックのフロアは、一転して“モエタイ修行”の場と化してしまった。
私が踊りながらゆっくりとパンチを出すと、ラーがそれを肘で掃い、肘打ちを放ってくる。彼女もゆっくりやっているのだが、やはり酔っているものだから、なかなか加減ができない。
彼女の肘が私のメガネに当たり、遠くまで吹っ飛んでしまった。
こちらがボディにパンチを入れると、両腕で私の首を抱え込み、いわゆる“首相撲”で私のわき腹をあけ、そこに膝を叩き込む。
痛くはないのだが、蹴りこむ瞬時のスピードが速くて、圧力がすさまじい。
10分ほどで私はギブアップして、彼女の独特の“巫女踊り”を鑑賞することにした。
ひとりになった彼女に、相手のいない男たちが近づいてくる。
だが、彼女は目の前に別の世界を見ているようで、まったく相手にしない。
ひとりの白人がしつこ過ぎたのか、彼女は男の胸を突き飛ばした。
「おい、おい、気をつけろよ。肘打ちで目じりを切られちゃうぞ」
私は、ニヤニヤしながらその白人男に同情の念を送った。
外に出ると、すでに夜が明けている。
すると彼女は空腹を訴え、そば屋に入った。
確か、踊る前にもピザを食ったはずだが、なんという食欲、なんという体力なんだろう。
さらにさらに、彼女は帰途の途中で“ラッキー”という店に私を引っ張りこんだ。
騒音渦巻くまっくらなスペースの中で目を凝らすと、そこここで“体格のいい美女”たちが、ファランを相手に踊っている。
かの有名な“レディボーイ”である。
私はあわてて彼女の手をひっぱり、外へ出た。
そして、まぶしい朝の光の中でゆっくりとビールを飲み干した。
改めて、ラーの顔を眺めてみた。
彼女の顔は、どちらかといえば中国系、日本系で、肌色はかなり濃いものの美人の部類に入るだろう。
あえていえば、“若いころの日焼けし過ぎた大原麗子”(ちと、褒めすぎか)という風情で、なかなかに鑑賞のし甲斐がある。
その顔と、山岳民族の野性味と荒々しさのギャップの大きさには、思わず笑わずにはいられない。
やっと宿にたどり着くと、時計の針は7時を回った。
ラーはまだまだ元気で、ルドルフの部屋をノックしてたたき起こそうとしている。
私はそそくさと部屋に逃げ込んで、ベッドに倒れこんだ。
ファラン(欧米人)も少ないし、静かな店よ・・・と、ラーは付け加えた。
私はトゥクトゥク(3輪タクシー)の運転手がたむろするいつもの“屋台居酒屋”に行くつもりだったのだが、さすがに女性向けではない。
なにしろ、ガールフレンドのベンはまったく酒の類を飲まないので、女性向けの店など知らないのだ。
「たまには気分を換えて、別の店で飲むのもいいか」
そう考えて、ラーの勧めに従った。
一緒に歩き始めると、ラーの速度が異様に早い。
私も歩くのは早い方だが、とても追いつけない。
「・・・早いねえ」
感心して言うと、「私はカレン族よ。いつも山の中を歩き回って働いているんだから」と得意そうに笑った。
ちょうど日曜日の夜なので、通りは“サンデーマーケット”で賑わっている。
その雑踏の中を、ラーがぐんぐん突き進んでいく。
やっと雑踏が途切れると、両側にバーやプールバーが集まった通りに突き当たった。
しばらく歩くと、ラーが“バビロン”という店を指差した。
そこは、大きな樹を中心にして作られたオープンバーで、ステージでは数人のタイ人バンドがビートルズやボブ・マーリーをコピーしていた。
センソン・ウイスキーの小瓶とソーダ、水、氷のセットで200バーツ。
ライブ演奏付きだから、安いものだ。
とりあえず乾杯すると、すぐに足元に蚊がたかり始める。
ラーがタイガーバームをバッグから取り出し、指ですくって私の手のひらに乗せた。それを手のひらで伸ばして足に擦り付け、かゆみ止めと蚊よけにするようにとジェスチャー付きで指示した。
なるほど、こんな使い方もあるんだ・・・。
「一番好きなミュージシャンは、ジョン・レノン。村にいるときも、英語の勉強のためにいつも英語の音楽を聴いているの」
そんな話をしながら、ラーは結構いいペースでグラスを開ける。
そして、レノンの曲がかかると目を閉じ、静かに体を揺らす。
さらに、ボブ・マーレーやカラバオ(タイの社会派フォークグループ)の曲になると、立ち上がって右手の人差し指を天に向かって伸ばし、ゆっくりとくるくると回すようなしぐさで踊り始めた。
そのしぐさは、なんだか霊魂の世界と交感する巫女やシャーマンのようで、「ベンがよく話題にする村の“霊仏陀”もこんな雰囲気を持っているのだろうか」と考えたりした。
演奏が終わると、グラスも空になった。
斜め向かい側の店に移ると、店の奥にプールバーが見えた。
席に着くと、ラーは同じウイスキーセットを注文し、ビリヤードを楽しむ白人男性の様子をじっと眺めやった。
そして、ウイスキーには口をつけず「ちょっと行って来るね」と言い残して、プールバーに向かった。
“一体、何をする気だろう?”
私は、興味津津でラーの様子を遠くの席から見守った。
彼女が白人に声をかけ、すぐにふたりでのゲームが始まった。
ラーは慣れた様子でボールを睨み付け、鋭く突く。
10分ほどすると、ラーが右手にグラスをもってニコニコしながら席に戻ってきた。
「勝った、勝ったよ!これは戦利品」と言いながら、私にオレンジジュースのグラスを掲げて見せた。
どうやら彼女は賭けゲームに挑み、見事勝利したらしい。
「普段の私はシャイだから、勝負をする前に少しお酒を飲むの。そして、リラックスしながら、カモを探す。カモはもちろん、酔っ払った白人よ。相手は酔っ払いだから、集中力がない。逆に、わたしは一気に眼と頭を集中させて勝負に勝ち、ビールやジュースをおごらせるの」
この作戦で、彼女は一度も賭けゲームに負けたことがないのだという。
いやはや、まったく恐れ入った。
さて、夜もふけた。
宿に向かってぶらぶら歩き出すと、ラーが「踊りに行こう!」と言い出した。
「踊りって、ディスコ?俺は、駄目だ。踊れないし、うるさいのはかなわん」
そう言うのだが、ラーは強引に私の腕を引っ張っていく。
握力も、膂力も、かなり強い。
そういえば、さっきの店で「酔っ払い相手に賭け勝負なんかやってると、いつか危ない目に合うぞ」と私が注意すると、彼女はケロッとしてこう言ったものだ。
「問題ないよ。わたしは、モエタイ戦士だから」
なんでも、17歳のときに村の祭りでモエタイに出場し、グローブなしの素手で戦って2連続ノックアウト勝利。相手の女性は、気の毒にも前歯が吹っ飛んでしまったそうな。
「よし、踊りながら俺にモエタイの型を教えてくれ。それなら付き合ってもいいよ」
「オーケー。ただし、店の中には悪い女がいっぱいいるから絶対に相手をしないでね。仲良くなったりしたら、パンチが飛ぶわよ」
「分かった、分かった。絶対にほかの女性とは踊ったりしないから」
モエタイのことはほんの冗談のつもりだったのだが、ラーと向かい合うとディスコティックのフロアは、一転して“モエタイ修行”の場と化してしまった。
私が踊りながらゆっくりとパンチを出すと、ラーがそれを肘で掃い、肘打ちを放ってくる。彼女もゆっくりやっているのだが、やはり酔っているものだから、なかなか加減ができない。
彼女の肘が私のメガネに当たり、遠くまで吹っ飛んでしまった。
こちらがボディにパンチを入れると、両腕で私の首を抱え込み、いわゆる“首相撲”で私のわき腹をあけ、そこに膝を叩き込む。
痛くはないのだが、蹴りこむ瞬時のスピードが速くて、圧力がすさまじい。
10分ほどで私はギブアップして、彼女の独特の“巫女踊り”を鑑賞することにした。
ひとりになった彼女に、相手のいない男たちが近づいてくる。
だが、彼女は目の前に別の世界を見ているようで、まったく相手にしない。
ひとりの白人がしつこ過ぎたのか、彼女は男の胸を突き飛ばした。
「おい、おい、気をつけろよ。肘打ちで目じりを切られちゃうぞ」
私は、ニヤニヤしながらその白人男に同情の念を送った。
外に出ると、すでに夜が明けている。
すると彼女は空腹を訴え、そば屋に入った。
確か、踊る前にもピザを食ったはずだが、なんという食欲、なんという体力なんだろう。
さらにさらに、彼女は帰途の途中で“ラッキー”という店に私を引っ張りこんだ。
騒音渦巻くまっくらなスペースの中で目を凝らすと、そこここで“体格のいい美女”たちが、ファランを相手に踊っている。
かの有名な“レディボーイ”である。
私はあわてて彼女の手をひっぱり、外へ出た。
そして、まぶしい朝の光の中でゆっくりとビールを飲み干した。
改めて、ラーの顔を眺めてみた。
彼女の顔は、どちらかといえば中国系、日本系で、肌色はかなり濃いものの美人の部類に入るだろう。
あえていえば、“若いころの日焼けし過ぎた大原麗子”(ちと、褒めすぎか)という風情で、なかなかに鑑賞のし甲斐がある。
その顔と、山岳民族の野性味と荒々しさのギャップの大きさには、思わず笑わずにはいられない。
やっと宿にたどり着くと、時計の針は7時を回った。
ラーはまだまだ元気で、ルドルフの部屋をノックしてたたき起こそうとしている。
私はそそくさと部屋に逃げ込んで、ベッドに倒れこんだ。