古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

卑弥呼と狗奴国(卑弥弓呼)

2016-10-02 02:22:05 | 歴史
卑弥呼の年表を作成してみました。
~189年 倭国大乱 卑弥呼が若くして女王となる(邪馬台国の始まり)
     卑弥呼の出生の年は不明ですが、この頃は、十代ではないでしょうか。
238年 親魏倭王の金印を貰う。卑弥呼は既に長齢とあるので
     既に、50歳代
247年 卑弥呼死す。なので70歳くらいで亡くなった。
     当時の寿命からすれば、大変な長生きです。

狗奴国については、更に情報が少なく。
倭国の南にあり、男王がいて、邪馬台国連合に従わず。位しかわかりません。
魏志倭人伝には、30国の国名が記述してあります。
その中に、對蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国 と阿蘇山の 蘇が使われている国が3つあります。
この辺りが倭国の南の境界線ではないでしょうか。
狗奴国は、熊本南部か、宮崎辺りになります。
先に紹介した鉄器の出土数から見ると
熊本も宮崎も鹿児島も非常に少ないです。それもそのはず、鉄を入手する朝鮮半島へのルートがありません。
それに対して、倭国は、朝鮮半島へも出兵して、百済、新羅の軍隊に勝ってる程の強国です。
卑弥弓呼の狗奴国を滅ぼすなど簡単だったはずですが、卑弥呼は武力弾圧はしなかったのです。
倭国の大臣 難升米(ナシマ)は魏からもらった黄色い旗を立てて狗奴国との争いを鎮めようとするくらいです。
248年 卑弥呼の死後、男王が国をまとめようとするが、争いになり1000人が死亡
     急きょ、卑弥呼の血筋から台与(当時13歳)選ばれ女王となり国がまとまる
266年 倭国の女王から朝貢があるので、これは台与でしょう。
これを最後に、中国の史記から邪馬台国の記述が無くなります。
国内でも祈祷による国家統一に無理が出て来たのでしょう。
しかし、朝鮮半島での倭国軍の記事があり、倭国の王が朝鮮半島の王になるまでに軍事力を高めていました。
狗奴国が戦いで邪馬台国(倭国)を滅ぼしたと云う説もあるようですが、力関係で、それはあり得ないと思います。
卑弥弓呼も人間ですから、台与の時代には亡くなったでしょう。
狗奴国も倭国の一部になったと思います。


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