安久津八幡神社は、貞観2年(860年)慈覚大師が豪族・安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりといわれ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えるが定かではない。
生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は山形県の指定文化財になっている。
鳥居の両脇に置かれている爺婆石(じじばば)は、飛鳥時代ののぼり旗を支えた支柱という説があるが謎。
舞楽殿
本殿
この近くに日本三文殊のひとつ ’亀岡文殊’ がある。此処、高畠を管轄するのは本来なら上杉藩だが、幕府の天領になっていた。
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生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は山形県の指定文化財になっている。
鳥居の両脇に置かれている爺婆石(じじばば)は、飛鳥時代ののぼり旗を支えた支柱という説があるが謎。
舞楽殿
本殿
この近くに日本三文殊のひとつ ’亀岡文殊’ がある。此処、高畠を管轄するのは本来なら上杉藩だが、幕府の天領になっていた。
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ここに参拝させていただくと
いにしえのロマンが伝わりますね
歴史を感じます。
三間社流造、総茅葺、和様平三斗の軒組の神社は初めてみました。
このような神社もあるのですね。
見聞が広まります。
>浅草は、映画全盛のころまでは、人出はいまの比ではないほど賑わってましたから、浅草芸人の出身である渥美清ことフーテンの寅さんは、まだまだだと言っているはずですよ。
そんなに大勢の人ででしたか。私の認識不足でしたね。
失礼しました。
ボクと山形のつながりは蔵王の樹氷か、市内見物だけです。
この神社の近くに日本三文殊のひとつ ’亀岡文殊’ があります。そのうえ、此処、高畠を管轄するのは本来なら上杉藩ですが、
幕府の天領になっています。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/055aa82699c80a9cc87222be8d6f6303
一方のハナミズキ(花水木)が、珍しい紅白に花が咲いて美しいです。
桜が去った後に、紅白ハナミズキが咲いたなら、お赤飯でお祝いしたいですね。 ^^
源義家などが通れば、”武神”の八幡神社を ”普請”したくなるでしょう。