どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日は飲む

2016-09-11 01:09:59 | 日記

 

快晴を無駄にする寝坊をした。久しぶりの朝日は私にはきつすぎたのだ。3度寝してようやく動く。

響でT君に会い、熱くサー・トーマス・ビーチャムを語ってしまう。

 

 

NHK/FMに「夜のプレイリスト」という番組がある。一人の人が熱く一枚のアルバムをかけて語り尽くすという内容だが、エニグマの「The Screen Behind The Mirror」を大伴良則が出していたのだが、どうも納得がいかない。でもこれは誰に言えばいいのかがわからない。

このアルバムで後半に一番引用されているのは、ヴォルフの「カルミナ・ブラーナ」かもしくは原曲の民謡集「カルミナ・ブラーナ」であってグレゴリオ聖歌ではない。で、実はこのアルバムはラジオのみででしか聞いていなくて、検証していないのだが、グレゴリオ聖歌の引用は私が聞き逃していた前半にあるのだろう。

だがなんで後半までグレゴリオ聖歌と言い続けるのか。カルミナ・ブラーナは民謡集であって聖歌ではなく、旋法も違う。それをなぜ大伴良則ともあろうものがなんでいい続けるのかがわからない。



今日はよいちでベアレンビールを2杯飲みました。そして鷲の尾さんで陸羽を2杯飲みましてへべれけで、米山に疑問をいいますと、「エニグマに興味がない」で、一発終わりました。

なおニコンの10-24ミリってのはなかなかなレンズですよ。もう使いこなしてなんぼですね。本当にわがままだ。



その後米山は真面目なやつで、レコードを調べたようですが、結局よくわからないことになりました。どうもエニグマは最初のアルバムでグレゴリオ聖歌を使ったよでうす。このアルバムでは、そうYou Tubeで聞く限り、一曲目の中盤でグレゴリオ旋法らしきものがある可能性はありますが、全体通してでは圧倒的に「カルミナ・ブラーナ」でしょう。冒頭ででてきます。しかも女性合唱が入っている可能性が高いので、ヴォルフ編曲版でしょう。

ただここは何も言えないのだけど、この曲の前あたりからサンプリングが平然と行われいて、はっきりと聞こえるメロディすらも何が何だかという複雑な状況になっています。ですからどっかの民謡が入っていたとしてもよくわからないとおもいます。

大伴良則さんにはもっと頑張って欲しいと思っています。古い曲を新しい視点で見直したり、視座を自由自在に変えながら新たな音に挑戦する方なので、私に取っても刺激になる最高の評論家で音楽家です。

あれはあれで、これなんで、それでこうでもいいはなしですね。それもこんなどんなそんなあんなどうもこうにもしっちゃかめっちゃかな世界の、ふんだらくんだらなむあみほうらいうんだかしきぞくなんげの、くんだらくんだらのほうらいえんらいのえんだらえんだらくんだらほうだいの、えんうんこうだいこうこうえんだい、ほうかいほうとのそうなんかいな、うんとうんとううんと、うんだらそわか、そわかとそわな。

ここまで呪文をかければ、いいかな。大伴さんを支持しています。

視座が大切です。