遊一改め入船亭扇蔵、出演情報。 

2015年3月、扇蔵を襲名しました。タイトルは、今も仮です…。

茄子のお仕事

2007年10月30日 | 
29日。 朝湯(大石田温泉)に一瞬つかり、山形新幹線“つばさ”。 車窓から見える大宮駅近辺、だいぶ変わりました。

夜は新宿で、毎月恒例のシークレットな落語会。 一之輔さんに後に回ってもらい、「茄子娘」を。 同時刻に、目と鼻の紀伊国屋では、大師匠が「茄子娘」を。 すいませんm(__)m


30日。 たまった疲労と洗濯物の処理、足りない睡眠の補充。 要するに、洗濯機を回して昼寝。 時々、明日のネタ下ろしの稽古。

もう今年も、あと二ヶ月か…。 で、カレンダーと手拭いを発注しました。

太一&つばさ

2007年10月29日 | 
28日。 今日は“つばさ”で、山形へ。 松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で三泊もしたという大石田、蕎麦どころとしても有名です。 3年ぶりに来ました。

残念ながら、昨日と今日開催していた“新そば祭”は終了していました。 が、老舗のそば屋さんで、新そばを頂く。 もりと冷たい鶏そば、これが美味!

宿の展望風呂の眼下には最上川が、急流ではなく悠々と流れていました。 でも、句なぞは全く浮かばない…。

夜は落語会、町内の西蓮寺の本堂に一杯のお客様を集めて、柳家〆治師匠と二席ずつ。 抽選会、外れた方と私の色紙が当たった方、スイマセンでしたm(__)m

打ち上げでは、“ぺちょら漬”とずんだ餅。 ついつい、酒量も増えてしまう。

ご住職からうかがった「微妙」な話。 現在、“びみょう”と読んで、あまり良い意味には使われてませんが、経文では“みみょう”と読み、最上級の言葉なんだとか。 確かにお題目の中にも「妙」の文字が入ってますね。

※山形新幹線“つばさ”の終点・新庄は、〆治師匠のふるさとです。 国分太一さんのご両親も、新庄の出身だそうですよ。 

水戸 混んどりあ

2007年10月28日 | 
27日。 夕べの“松本落語会”、高座返しと抽選会の司会をするべく、着物になりました。 と、伯楽師匠が「せっかくだから、上がんなよ」と、声を掛けて下さり、師匠の出囃子が鳴る中、急遽高座へ。 381回目という伝統ある落語会に、出演することが出来ました。 コンタクトを装着する間もなく出て行ったので、まさに手探りの高座でした。 でも、プログラムにも載ってない私にも、温かい拍手を頂戴しました。 ありがとうございましたm(__)m 私の短い一席の後、師匠方はタップリ二席ずつ。 世話人の皆様との打ち上げでは、馬刺しと蜂の子をご馳走になりました。 お店の名は“黒門”、よく耳にする響きです。


今朝は7時起床で、“梓川落語会”へ。 9時半開演、遊一→扇遊→仲入り→小権太→伯楽で2時間。 お昼に新蕎麦をご馳走になり、“あずさ”へ飛び乗る。

都内は、土砂降りの雨。 上野へ出て、“スーパーひたち”に乗り込む。 1年に1度あるかないかの綱渡り。 台風の影響で電車は遅れ、駅からも道路は混雑。 でも、なんとかかんとか辿り着く。

“第17回 水戸開化亭”、そんな天候の中、会場はギッシリ。 三三兄さんと、30分ずつ。 きのこ鍋をご馳走になり、帰りの列車に飛び乗りました。 

※“信州は だから好きだと 蕎麦っ食い”…、「そば清」より。

昨夜の2軒目、座敷に飾ってあった絵は、諏訪大社・御柱祭の“建御柱”。 次回は平成22年、今から楽しみ!

『松本落語会』

2007年10月27日 | 
26日。 今日は新宿末広亭の昼席へ、寄席の代演でした。 雨の中、お客様の列ができていてビックリ。 高座に上がると、椅子席は一杯、桟敷にも大勢のお客様で2度ビックリ。

楽屋を出て、駅に向かう途中、大師匠とパッタリ。 「この前、ウチの近所でやったって」と言われ、またビックリ。 やはり、バレてましたか…。

一旦帰宅して旅仕度、と言っても一泊です。 “あずさ”に乗って、松本を目指す。

伯楽師匠と師匠が出ている“松本落語会”。 楽屋で、お手伝いをしていたが…。


今、ホテルの部屋に帰りました。 後ほど、またご報告致します! 

黒秘情報

2007年10月25日 | 出演情報
25日。 黒門亭委員会に出席しました。  いろんな議題について話し合った後、12月の顔付け編成へ。 企画モノをどうするかが、悩みのタネです。

そんな中、12月16日(日)の昼席、“光る二ツ目の会”への出演が決まりました。

また、12月中席は、上野鈴本演芸場の夜席に、たけ平さんと交互で出演します!



チラシズム

2007年10月25日 | 仕事
24日。 東中野、昭和高齢者会館にて“遊和寄席”。 以前、他の会館にお見えになったお客様も来たりして、満員の盛況。 二席しゃべって、1時間ちょっと。 ご来場の皆さま、お疲れさまでしたm(__)m


帰宅し、夕刊を見て、晴乃ピーチク先生の訃報を知る。 3月に、永住亭でお会いした時は、スゴくお元気でしたのに…。 ご冥福をお祈り申し上げます。 

※会館への道すがら、画像のチラシがそこかしこに。 あの辺って、落語協会員が多いから、目撃されてたかも。

蚊 トリ 先行

2007年10月24日 | 出演情報
22日。 今日、ホントは仕事だったんですが、また無くなってしまいました。 正確には、スケジュールを“仮押さえ”されていて、「連絡無いからおかしいなぁ」と思ってたら…。 結局、かなり以前に仕事は消滅していたらしい。

捨てる神があれば、拾う神も。 知り合いと、久しぶりに会うことに。 待ち合わせに指定された喫茶店は、中国茶専門店。 

中華料理の店、客の前で烏龍茶とかいれてくれますよね?? 複雑に急須や湯呑みを扱って、でもお湯をこぼしたりなんかして。 中国では、客前でお茶のサービスをするのに資格が要るそうです。 実技と筆記の試験に通らないと、やれないんだとか。 

その喫茶店の店長さんが、青森出身の霊感の強い方で。 イタコのように、いろんなものが見えてしまうという。 そういうのは得意じゃないので、見てもらいませんでしたが。 取り憑いてる人が、店に来るとわかるらしいです。 私の場合、それは大丈夫みたいで、一安心。 おいしく、鉄観音茶を頂きました。


23日。 初日に行けなかったので、師匠宅へ。 良い天気なので、外の掃除もイイ感じ…。 と思いつつ、水を撒いてると、また蚊に刺されましたよ。 虫には好かれてるようです。

12月中席の鈴本演芸場・夜席、師匠が3日間トリを務めるそうです。 何人かの師匠と交互でのトリ、ネタは決まっております。 詳細は後日、お知らせしますね。 

その最中、私もトリを1日だけ。 12月17日(月)の“若手研精会・師走公演”で。  お江戸日本橋亭にて、18:15開演てす。 出演は、春風亭一之輔・柳家喬四郎・柳家三之助・三笑亭夢吉の面々に、遊一となっております。 ご来場、お待ちしておりますm(__)m

以上、2件の先行情報でした。

あさがや

2007年10月22日 | 仕事
21日。 午後、阿佐ヶ谷のゆうやけ市にて“ゆうやけ寄席”。

小学生から、年配の方まで熱心に聴いて下さいました。 若いカップルもたくさん来てくれて、深夜寄席のような感じ。 木戸無料なれど、たくさんのおひねりを頂戴しました。 ありがとうございましたm(__)m

ごん坊さんが三席、私が四席。 けっこう頑張りました。

待ち時間(しかも上がる直前)に、二度も蚊に刺されました。 指を刺された後は、「真田小僧」でしたので、掻くこともできました(わかるかなぁ?)。 しかし、首の後ろを食われた後は、痒くて堪りませんでした。

高座と客席が近いので叩く訳にもいかず、蚊取り線香や殺虫剤がある筈もなく。 まして「麻のれん」のように、麻の蚊帳を吊る訳にもいきません…。

犠牲番頭 失敗

2007年10月21日 | 寄席
19日。 たまっていた雑務と雑誌と洗濯物との格闘に、かなりの体力を費す。 夜はレバ刺しで、安易に体力回復をはかろうとする。 


20日。 黒門亭・昼席の番頭。 早い時間から、お客様の列ができていました。 定員40名のところへ、39人のお客様。 こういう時に、高座は無い…。 いや、私の出番が無いから、大入りなのか…。

昼席もハネ、夜席の番頭さんに引き継ぐ前、すでに表に行列ができている。 30人程の列でしたが、昼夜通し券をお持ちの方もいるので、開場時間前に札止め! 後からいらしたお客様に謝るのが、番頭の任務です。 

私からも、謝らねばならないことがあります。 昨日知ったのですが、先日の“裏研精会”、前売券をお持ちになっていたにも関わらず、入場できなかったお客様がいたそうです。 通常の会と異なり、前売券の管理に出演者は関知していなかったにせよ、本当に申し訳ございませんでしたm(__)m 非常に不愉快な思いされたに違いありません。 ご入場できなかった皆様、本当にすいませんでした。 この件につきましては、改めて対策を講じるということになりました。 今後も、“若手研精会”と“裏研精会”、よろしくお願い申し上げます。


※事務所にて、早朝寄席のチラシを作成。 その最中、いつもお世話になっている師匠に、「ブログ見てるよ」とのお言葉を頂く。 あまりに驚いて、チラシを切り損なう。 経費節減のため、B4の紙をB5の大きさに切断するのは、早朝寄席の番頭の任務です(>_<)


忘れた頃に、やってくる

2007年10月19日 | 落語会
18日。 目白の喫茶店、ル・プティ・ニにて、“第10回 ル・プティ・ニ寄席”。 10回記念ということで、この会のきっかけを作って下すった扇辰兄さんがゲスト出演。 超満員のお客様でした、ありがとうございますm(__)m 


 扇里   「紋三郎稲荷」

 遊一   「天災」

 扇辰   「目黒のさんま」


終演後は、いつものように、お客様とコーヒーブレイク。 そして、一門で反省会と打ち上げ。 第1部の反省会は数分、あとはひたすら杯を重ねました。

次回は、12月13日(木)、20:00開演です。 出演は、今まで通り、入船亭扇里・入船亭遊一の二人で。

※お客様から、「扇辰師匠、今度はいつ出るんですか?」と。 順当に考えて、20回記念でしょうか…。 末永いご贔屓を、お願い致しますm(__)m

かめだけ

2007年10月18日 | 日記
17日。 久しぶりに踊りの稽古へ。 相変わらず、汗まみれになる。 12月2日(日)の昼、これまた久しぶりに踊ります(人前で)。 また改めてお知らせしますが、日暮里サニーホールでの師匠の会、開口一番と踊りです。


※何度も言いますが、“亀田家”が“亀嵩”に聞こえて仕方ない昨今。 「砂の器」親子とは違う宿命を背負った亀田親子の記者会見を見て、つくづく落語家で良かったなと。 弟子の私がしくじった時、師匠が頭を下げてくれましたから。 その時は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 でも同時に、師匠の有り難さも感じました。

毛に腹は…

2007年10月17日 | 落語会
16日。 初日の晩は懇親会、夕べは最終日の打ち上げ。 結局、船の朝食は一度も食べられず。 でも、無事に横浜へ帰港しました。 横浜港からは、マジシャンのカズ・カタヤマ先生と。 乗船中は、何かとお世話になりました。 私みたいなペーペーの高座まで、ご覧下さり、大変に恐縮でした。

今日は落語協会HP委員会でしたが、やむを得ず欠席。 帰宅して、改めて部屋の狭さに驚く。 “ふじ丸”の部屋は、ステートルームでしたが、かなり広かったです。 着物を入れ替え、お江戸日本橋亭へ。

 “裏・研精会”。

 市朗   「道灌」

 三之助  「千早ふる」

 遊一   「たちきり」

 こみち  「堪忍袋」

 遊馬   「佐野山」

 一之輔  「猫久」

超満員のお客様、ご来場ありがとうございましたm(__)m 昔の研精会のように、出演順は当日の楽屋にて。 微妙な出番順でしたが、「たちきり」を勉強させて頂く。 だって、お囃子の師匠がいらっしゃる勉強会って、そんなにありませんから。

噺の後半、肝心なセリフが抜け、反省しきりのところへ、驚くべき情報が。 先日の“若手研精会・神無月公演”の裏番組(はっきり言って、こっちが裏)、研精会OB会で、さん喬師匠が「たちきり」をやったとのこと。 その会をご覧になったお客様が、かなり来て下さってたそうで。 初めに聞いてれば、やらなかったのに…。 それから、あみだクジとは言え、あとのこみちさんにはご迷惑をおかけしましたm(__)m

今宵は、陸での打ち上げ。 また、明日も朝食は無しですね…。


※楽屋での会話。 胸毛の立派な出演者が一人おり、最近立派なメタボ腹を所有する私が、楽屋の女子に質問を。 「あの胸毛と、この腹、どっちがいい??」 迷いながらも質問者の私をの顔を立て、「腹です」。 すかさず胸毛所有者が、「毛は剃ればスグ無くなるけど、腹の肉は…」。 その通りです、私が悪うございました。

『ふじ丸寄席』

2007年10月16日 | 
15日。 徳山を出た船は豊後水道を抜け、今朝はもう室戸岬沖。 そこから、かなり揺れ始める。 具合の悪くなる方も、結構いたそうです。

午前中の揺れも、昼食後はやや収まる。 14時台と17時台に、それぞれ45分ずつ。 元気なお客様に助けられました。 夕食後、22時から45分間の“ナイト落語”。 夜も、だいぶ揺れました。 知らず知らずのうち、足に力が入ってるようで、くたびれました。

展望浴場は広々していて、サウナまでありました。 さらに、マッサージチェアまで完備! 早速、使わせてもらいました。

船に乗ってると、地上波のテレビは観られません。 代わりに、ふだんは観ることのないBSデジタル放送を四六時中。 中島静佳アナが出ている“日テレニュース24”、昼間も見られてラッキーでした。



フジマール快調

2007年10月14日 | 
14日。 7時起床で、東京駅へ。 改札付近で、松村邦洋さんを見かける。 カバンにはデカデカと“松村邦洋”と刺繍されている。 大丈夫ですよ、みんなわかりますから。 7年前、前座になりたての頃、一度だけご一緒しました。 非常に気さくな方で、私が東洋大出身と知るや、「今岡と桧山が…」とタイガースの話題に。 「清水も東洋です」と私、ジャイアンツの話題は余計でした。

東京駅から“のぞみ”で広島へ。 駅弁は“黒田の男気弁当”、カープ・黒田投手の好物がおかず(揚物プラスたこ焼・焼そば)です。 “こだま”に乗換え、徳山へ。 新幹線で新岩国までしか来たことがなく、今までで一番西へ到達。 徳山駅から見える港には、“ふじ丸”の姿が。 初めて乗る船です。

昨日、フジテレビで映画「踊る大捜査線 レインボーブリッジを封鎖せよ」をやってました。 映画の冒頭、船でのSATの訓練シーン(青島大奮闘)に使われていたのが“ふじ丸”です。 湾岸署の面々がSATと戦ったラウンジで、落語をやる訳です。

乗船して、出港までの間、大学の同級生が来てくれました。 一昨日の秋に、山口市内で二人で飲んだ時、彼は独り者でした。 去年の11月に会った時は結婚式で、今日は身重の奥さんと一緒でした。 その奥さんが、「一緒ですね」と、私の腹を指差しましたよ。 私の場合、生活の変化は無いですけど、身体的にはかなりの変貌を遂げてるようで…。

16日の午後、横浜へ戻ります。 その晩は、“裏・研精会”に出演します。 お江戸日本橋亭にて18:15開演です。  

三遊亭遊馬・柳家三之助・春風亭一之輔・柳亭こみち・柳亭市朗というメンバーと一緒です。 出演順は未定、当日のお楽しみです! もちろん、市朗さんは開口一番ですけど。

木戸銭は、前売・予約は1000円、当日は1500円です。

お問合わせ・ご予約は、オフィスM's(3999―3225 sui@ta2.so-net.ne.jp)へ。


※画像は、港から見た夕日。 “ふじ丸”が停泊していたのは、徳山港の晴海埠頭です!

私、まつや

2007年10月13日 | 寄席
12日。 四谷駅下車で、迎賓館方向へ歩く。 学習院の初等科って、四谷にあるんですね。

コア石響にて、“第6回 ラジオデイズ落語会”

 遊一   「たらちね」

 遊雀   「初天神」

 菊之丞  「幾代餅」

 菊之丞  「紙入れ」

 遊雀   「寝床」

遊雀師匠、菊之丞師匠には、太鼓と高座返しを助けて頂きました。 二番太鼓は菊之丞師匠と、仲入りの太鼓は遊雀師匠と。 結局、高座を下りた後は、兄さん方の噺を聴くのみ…。


13日。 仕事の予定が変更になったので、一週間ぶりに浅草へ。 “木久扇・木久蔵W襲名披露興行”、現在は浅草演芸ホールの昼席です。 前座さんの数が少ないので、太鼓を叩く。 披露口上の幕開きの太鼓“片シャギリ”を久しぶりに。 笛は、太神楽の勝丸兄さん。 その勝丸兄さんの高座、途中からコンビに。 誰とやったかというと…、なんと小朝師匠。 傘の曲芸の他、曲独楽まで披露なさってましたよ。

昼がハネてから、後輩と神田の某老舗のそば屋へ。 行列も出来るその店、我々の後ろに並んだのは、“真相報道バンキシャ”等でお馴染み、元東京地検特捜部・河上和雄氏。 後輩たちに伝えても、誰も知らない。 やはり、テレビの見過ぎなんでしょうか、私…。