遊一改め入船亭扇蔵、出演情報。 

2015年3月、扇蔵を襲名しました。タイトルは、今も仮です…。

過食の典

2007年09月30日 | 仕事
29日。 昨日は暑かったが、今朝は涼しかったですね。 今日は、単衣の色紋付を持って出かける。

今日は、結婚式の司会です。 カフェを貸し切っての、手作りの結婚式。

新郎・新婦の人柄がにじみ出た、素晴らしい宴でした。 お客様も、みなあたたかく二人を祝福、側で見ていて気持ち良かったです。 

そんな中、司会席へも料理と飲み物が…。 これも、お二人からで。 たんと頂きました、ご馳走さまです。

オーバースローのブーケトス、最高でした! 閉会の挨拶を述べると、ホントに大きな拍手をいただいて、ビックリしました。

秀一さん、京子さん、末永くお幸せに!! で、また飲みましょう!

『ドラゴン会(仮)』

2007年09月29日 | 趣味
28日。 最寄駅から電車に乗ると、入口にMXの談志師匠の番組に出てる方が。 ただ、それだけ。 乗換え、乗換えて、中野区は若宮いこいの家で二席。

暑いです、すいません、まだ絽の着物です。 団扇で仰ぐお客様もチラホラ…、すいません、また「青菜」やりました。

仕事も無事に終え、帰宅しようと駅に降り立つ。 と、ご近所の兄さんにパッタリ。 鈴本の披露目の鳴物だそうで、「一緒に行こう」と誘われたが、泣く泣くお断り。

今宵は、新宿にて“ドラゴン会”(落語協会非公認団体)の会合なのだ。 一応、落語協会員4人が所属しております。 敢えて、メンバーは公表しませんが、それぞれがブログに書いてるハズ。

ドラゴン会”のドラゴンは、プロレスラー“ウルティモ・ドラゴン”のドラゴンです。 が、レスラーでドラゴンと言えば、やはり“マッチョ・ドラゴン”“炎の飛龍”藤波辰爾だ。 藤波と言えば“無我”の総帥ですが、“ドラゴンボンバーズ”を率いていたことでも有名。 ドラゴンボンバーズには、越中詩郎や獣神ライガーもいましたが、やはり南海竜でしょ?? 南海竜と言えば、元祖・素行不良外国人力士、そして“竜”。 素行が不良で、外国人力士なら、今や“朝青龍”という“龍”(遊一と同じ誕生日、ビール瓶の双津竜は日本人)。 朝青龍と言えば、もちろんモンゴルでは英雄です。 モンゴルの英雄と言えば、もちろん“キラー・カン”。 という訳で、今回はキラー・カンが経営する、居酒屋“カンちゃん”に集結。

プロレスの話やら、寄席の話やら。 何がスゴいって、ウルティモ・ドラゴンの話も、キラー・カンの話題も全く出ないこと。 その代わり、美味しくちゃんこ鍋を頂きました。 残念ながら、カンちゃんには会えませんでしたが、楽しい一夜となりました。

以前、ブログに書きました(8月14日)が、キラー・カン氏と談志師匠は旧知の仲。 一応、冒頭のフリに戻りましたか…。

アゲ、アゲ

2007年09月27日 | 落語会
26日。 案の定、夜中に発熱、でも朝起きれば、ほぼ平熱に。 ついつい、油断してしまう。 用心のため、薬を飲んで出かける。

築地本願寺・ブディストホール、“築地本願寺寄席”へ。 今日は、昼夜の出演です。


  遊一   「悋気の独楽」

  菊志ん  「酢豆腐」


昼の部を終え、早朝寄席のチラシを作成。 鈴本演芸場に届ける。 今度の出番は、11月4日です。


  一之輔  「ろくろ首」

  菊志ん  「転宅」

  遊一   「ねずみ」


昼夜ともに前座さん無しで…、みな忙しいらしい。 

昼は最前列で話しかけてくるお客さん、夜はプログラムによるネタばれ、苦難続きの一日。 ネタ出しというのは、楽な面もあれば、辛い面もありますね。



27日。 電話で起こされたものの、快適な目覚め。 風邪は治ったようだ。

午後、噺の稽古。 教わった師匠の前でしゃべる“アゲ”、ネタ下ろし以上の緊張です。 高座も勉強だが、“アゲ”も大いに勉強になります。


熱もようやく下がって、ネタは何とかアガったと…。

ああ、無常

2007年09月26日 | 落語会
25日。 一日中、睡眠をとって、風邪を治す作戦。 ところが、日中の暑さで、汗をかいても、熱が下がったのか、単なる寝汗なのかが分からない。

夜、新宿三丁目で定例の会。 あとの夢吉さんが「猫の皿」を。 この噺に出てくる熊谷寺(ゆうこくじ)、私には因縁のあるお寺だ。 もしかしたら、私が熊谷寺の住職になっていた可能性もあった訳で…(過去の話)。 総理大臣のコトもそうですが、世の中どうなるか分かりません。 定めなき世というやつでしょうか。

天安もん

2007年09月25日 | 落語会
23日。 所沢は小手指、椿峰の住宅街にある“カフェ・しゃらの木”、その7周年記念落語会へ。 近くの公民館に、カフェのお客様をお招きして落語二席。 1時間の予定が、仲入りを挟んで1時間半。 しゃべり過ぎたのも、良いお客様のおかげです。 “しゃらの木”を切り盛りするご夫婦の人徳と、感謝しきりです。 

終演後は、カフェに移動しての打ち上げ。 手打ちそばは、三杯お代わり。 ご馳走さまでした。


24日。 珍しく、休日に師匠宅へ。 師匠は、鈴本と池袋の二軒に出てるので、着物のカバンを寄席に届ける。

池袋に出て、雨も落ち着いたようなので、有楽町線で月島へ。 来月、月島界隈を歩くので(仕事です)、その下見を。 恥ずかしながら、月島は初めて。

話には聞いてましたが、もんじゃ焼屋の多いこと。 佃小橋を渡り、住吉神社へ。 隅田川の近く、佃煮屋さんが、昔のままに商売してます。 大師匠に教わった「麻のれん」に出てくる“天安”も。 中央大橋を渡り、於岩稲荷をお参りして八丁堀まで。

帰りの電車、ふくらはぎに違和感が。 歩き過ぎた訳ではなく、風邪の初期症状でした…。

人生いろいろ

2007年09月23日 | 日記
22日。 とある用事で、後輩に電話。 ちょっとしたお願いをすると、「辞めちゃったんで…」という返答。 「えっ、何を?」「噺家、辞めました」。 つい数日前、正式に辞めたとのこと。

二ツ目になって2年位だろうか、頑張ってると思ってました。 前座の時は、辞めたり、クビになったりは、よくあることですが…。 二ツ目になってからというのは、もったいない。

※悪いことをする時は、“手を染める”。 でも、悪いことをやめる時は“足を洗う”って、なぜ??


夕刊だろう

2007年09月22日 | 日記
21日。 9月下席初日、今日から“木久扇・木久蔵W襲名披露興行”です。 上野・新宿・浅草・池袋と40日間、華やかな興行が続きます。 ぜひ、寄席へお運び下さいませ。

師匠は、上野・新宿と20日間のトリを終えました。 ようやく、ゆっくり出来るかと思いきや、今日から寄席を2軒掛け持ちです。 私は、今日からお休みです。 遅い昼食は“木久蔵ラーメン”の醤油味を。 パーティの引出物で頂きました。 ラーメン用のどんぶりももらいましたが、勿体なくて使わず。 言っときますが、“木久蔵ラーメン”は「ウマい」んですよ。 お土産にも最適です。

先日、読売新聞の取材を受け、「22日の夕刊に」とお伝えしましたが、1日早い掲載となりました。 コメントのみかと思いきや、高座の写真まで! でも、写真に“入船亭遊一”の名は無く、知ってる人にしか分からない。 ということは、殆どの人が分からない…。 



楽日燃ゆ

2007年09月21日 | 寄席
20日。 師匠宅に帰還のご報告をし、末広亭・昼席へ。 やはり東京は暑い、歩くだけで大量の発汗。 もちろん、高座でも同様に発汗。 お後に上がる師匠に「高座は暑いの?」と聞かれるが、私だけだったみたい。

楽屋でお会いする師匠や兄さんに、「久しぶりだねぇ」と何遍も。 確かに、ちょうど一週間ぶりだし。 扇里兄さんに、ご迷惑をおかけしました。

楽日の打ち上げは、出演者プラス一門が勢揃い。 焼肉、食べまくり。 シメに志ん輔師匠が特製玉子かけゴハン(にんにく入り)を、私だけに作って下さいました。 船では味わえない食事に大満足の一夜。 師匠のカバンと幟を届け、任務終了。

帰宅して、録画しておいたドラマ『女帝』の最終回を。 “伊達直人”らしい結末でした。


※能代駅前には、“駅前旅館”という名の駅前旅館がありました。

ヒッキーな 天候

2007年09月20日 | 
19日。 朝8時の船内放送で目を覚ます。 すでに、船は銚子沖に来ている。

いつもクルーズ最後の昼食はカレーです。 昨晩、大揺れの中を素晴らしい歌声を披露なさった島田祐子さんが、「若いんだから」って、お代わりを注文してくれました。 「育ち盛りなんだから」って…、とても「36です」とは言えませんでした。

浦賀水道を過ぎると、全く揺れず。 下船準備もはかどります。 時間通り、17時に横浜港に着岸。 下船口にて、お客様のお見送りをする。 「あれっ、まだ乗ってたの?」というお客様。 寄席の後は、部屋に引き籠もってましたからね。 食事の時間も違うし、天気が悪いのでデッキにも出ませんでしたから。 海を見るのも、部屋の窓からが多かったような。 引き籠もってたら、お客様にも気付かれません。

それでも、「楽しかったよ」とか、「頑張ってね」とか、温かい言葉もたくさん頂戴して。 安堵して、我々も船に別れを告げました。

横浜港から都内某所へ、久しぶりに電車移動。 とある集まりで、一席。 しかも、「“勘定奉行”にお任せあれ」でお馴染み、オービックの社長さんのスピーチの後で。

船と違って高座は揺れませんが、「何をしゃべろうか」と心は大揺れ。 緊張の一席でした。 

帰宅すると、日付はもう千秋楽(寄席のね)の20日でした。

揺れ船てぇ

2007年09月19日 | 
18日。 今日も船に乗りっ放し、終日航海日。 太平洋に出て、朝から揺れが収まらない。 日本海側は、とても穏やかだったのに。

午後、岩手の三陸沖で携帯の電波をキャッチ。 関係各所に電話連絡を。 

今宵のドレスコードは“インフォーマル”、いつもはスーツですが、今回は黒紋付で。 スーツ一式を持参するより、着物を一枚追加する方が、だいぶ荷物は小さくなります。 で、最後の夕食は、フランス料理のフルコース。 満腹にも関わらず、夜食もキッチリ頂く私たち。

食っちゃあ、寝て…を繰り返しましたが、とあるDVDのおかげで、体重は1.5キロ減という奇跡が!


※画像は、映画『飢餓海峡』のエンディングのような波。

高浪 消ぇたろう

2007年09月19日 | 
17日。 天候のせいで、ホオーツク海は波が高く、深夜に何度も目を覚ます。 7時起床で、なんと午前9時から45分間、落語の時間です。 お客様がいらっしゃるか不安でしたが、結構集まって下さり安心しました。

ところが、船の揺れがだんだん激しくなるんです。 高座に上がるまでもが一苦労。 しゃべり始めても、しばらくは下半身は安定しません。 ちょっと腰を浮かせると、もっていかれそうな感じ。

お客様が「あっ!」と声を上げるほどの揺れ。 シャレに「落語が終わる頃には揺れも収まります」と言ったところ、終演後本当に揺れが止む。 スタッフの間では、前日のメインショーといい、今朝といい、「揺れの原因は遊一」との見解が…。 

ウルップ島の北端を回ったのが正午くらい、気温14度で海水温8度。 揺れは落ち着いたものの、波の高さは2メートル。 外に出ると風もあり、寒い寒い。 今日も部屋に籠り、DVDを観る。 久しぶりに『飢餓海峡』を、やはり弓坂刑事は伴淳三郎ですな。 

夕食後のメインショーは、“ルーテシア”の弦楽四重奏。 「津軽海峡冬景色」を聴くことが出来ました。



『びいなす寄席』

2007年09月18日 | 
16日。 7時に網走港着なので、6時過ぎから着岸準備で騒々しい。 「到着しました」という船内放送で、完全に起床。 20歳以来、16年ぶり3度目の網走だ。

17歳の時、その日が最後の運転となる特急“おおとり”に乗って来たのが初めての網走。 たしか、1988年3月12日だったでしょうか。 翌13日の青函トンネル開業に伴い、大幅なダイヤ改正が行われたのでした。 青函連絡船も廃止、函館から網走を結ぶ“おおとり”も消えてしまいました。 その時は、上野から急行“津軽”で青森へ出て、青函連絡船で函館、そして網走まで至りました。 今までで、船酔いしたのは、その連絡船の時だけ。

網走の朝は気温15度、寒いです。 勝丸兄さんと“網走感動朝市”へ行き、朝ゴハンを食べることに。 いくら丼セットには、“鉄砲汁”という蟹の入った味噌汁が付いている。 『食物アレルギーの方は、お申付け下さい』と、大きく表示されていたので、甲殻類アレルギーの私は、その旨を伝える。 と、「カニを抜いても駄目でしょ?」と店のおじさん、「はい、駄目です」。 「いくら丼、鉄砲汁無しで」と厨房へ伝えるおじさん、「じゃあ、いくら丼を単品ってことで」と私。 「単品はできないよ」とおじさん、「じゃあ、値段は?」「同じだよ」…。 そのやり取りを聞いていた勝丸兄さんが、「俺が2杯食べるよ」と。 「お申付け下さい」って書いてあるから言ったのに、言うだけ損しました。 食後、雨も降り出したので船へ戻る。

船内では、洗濯したり、持参したDVDを観たり。 網走監獄見物の代わりに、吉村昭原作のドラマ『破獄』を観た。 実在の脱獄王・白鳥由栄の4度の破獄を映像化した名作だ。 緒形拳と津川雅彦が、脱獄犯役と看守役を演じています。 今は博物館になっている網走監獄へ行くと、その脱獄の凄まじさが展示されています。

船は17時に出港、19時頃から揺れ始める。 台風11号が温帯低気圧に変わり、その影響らしい。

20時半からメインラウンジで、今宵のメインショー“びいなす寄席”に出演。 翁家勝丸兄さんの太神楽曲芸と、私の落語一席。 大勢のお客様で、盛り上がりました。 二人で軽い打ち上げをして、明日に備えて早めの就寝。



航海、左舷立たず

2007年09月16日 | 
15日。 終日航海と言いたいのに、“終日後悔”と変換してくれる私の携帯。 能代から網走の間、陸地が見える右舷側では電波をキャッチしてくれる。 しかし、左舷にある私の部屋でアンテナは立たない、ほぼ圏外。

積丹半島、天売島、利尻島、礼文島、宗谷岬…。 船から陸地が見える時、たいがい電波は入ります。 本当に、今の携帯電話はスゴいですね。 利尻島を左に見た時、初めて部屋で電波をキャッチ。 何だか嬉しい。

明朝、網走に入港し、夕方出港すると、北方四島のさらに北、ウルップ島の北側を回ってから南下します。 16日の17時から、横浜へ着く19日の17時までは、船に乗りっ放し。 その間、連絡が途絶えると思いますが、ご心配なく。 たぶん、拿捕されることはないと思います。

※画像は、日没後の利尻富士です。


のしろうと

2007年09月15日 | 
14日。 秋田・能代港に11:00着。 港からブラブラ歩いて、市街地を目指す。 日本五大松原の一つ“風の松原”(他の4つは、三保の松原と…??)を抜け、バスケで有名な能代工業脇を通り、小一時間。 ようやく、繁華なところへ辿り着く。

勝丸兄さんと二人、煮魚定食とイカ刺し。 お店のテレビはNHK、国分太一さんが出てるなぁと思ったら、映画や落語の話をしている。 しばらくすると、映画『しゃべれども…』の映像、私が太鼓を叩いてるシーンが! 「おっ! 出てる、出てる」、素人のように大騒ぎする私に驚く店員さん(他に客はおらず)。 直後、同級生からメールが来て、状況がわかる。 “スタジオパーク…”の5月の総集編だったそうで。 映画の上映も、ほぼ終わってるのに、おかしいと思いましたよ。

街中を散策し、船へ戻る。 ほとんどのお客様は世界遺産の白神山地へ観光へ行っているため、船内は静かです。 チャンスとばかりに、11階の展望浴場へ。 貸切り状態で、日本海を眺めながら、旅の疲れを癒す…。 って、まだ何もしてませんでした(>_<)



『ぱしふぃっく びいなす』

2007年09月14日 | 
13日。 東京10:12発の上越新幹線。 先日、白河に行く際、師匠連を待つ間に眺めていた列車だ。 ちょうど一週間前は、永島キャスターを見かけましたが、今朝は作家の藤原正彦氏を発見(意外に大柄)。

越後湯沢から、ほくほく線に入り、金沢まで約4時間。 駅からタクシーで、金沢港無量寺埠頭へ。 タクシー乗り場の先頭で客待ちの運転手は、背もたれを倒してグッタリしてるおじいちゃん。 もちろん、自分達の荷物は、自分達でトランクへ。 リクライニングも戻さずに発進させるおじいちゃん、後部座席が狭くて仕方がないよ。 法定速度遵守のおじいちゃんに、ちょっとイライラ。 同行の勝丸兄さんに、「反対俥の一人目ですね」と耳打ち。 安全運転のおじいちゃんタクシーは、他のタクシーにバンバン抜かれまくる。 「若いタクシーに花を持たせ過ぎ」と、兄さん。 乗船予定時刻ギリギリで、停泊中の“ぱしふぃっく・びいなす”号に、なんとか乗り込む。

今年の2月以来ですが、前回もお世話になったスタッフの方ばかりで安心。 荷を解いて一息つくと、ほどなく出港。 ほんの一瞬の金沢、窓から見えた太陽もすぐに沈みました。

夕食の後、今宵のメインショーは、“デューク・エイセス”コンサートでした。 「野風増」や「千の風になって」なども、披露なさってました。 我々のメインショーは16日、19日に横浜へ戻ります。


※“花を持たせる”とは、連句の世界からきた言葉だとか。 その座の一番若手に、特別に“雪月花”の“花”を詠ませるんだそうで。 先日の鈴本の打ち上げで、ある師匠に教わりました。 ちなみに、連句のお終いは“挙句”。 これも打ち上げでの知識…。