
生駒家は、生駒騒動で生駒高俊が改易となり、讃岐高松17万3000石から出羽矢島1万石へ転封となった。
矢島では、生駒高俊の後を嗣いだ生駒高清が弟生駒俊明に2000石を分知した為、8000石となり幕末迄交替寄合として存続している。
丸亀城城代であった佐藤家も生駒家に付き従い、讃岐から出羽へ移り、矢島生駒家の重臣として明治まで続くのです。
平成27年5月撮影。
→丸亀城城代 佐藤掃部4~生駒家家紋
←丸亀城城代 佐藤掃部2
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