王臣蹇蹇、匪躬之故。(『易経』)
王臣蹇蹇(けんけん)たり、躬(み)の故にあらず(『易経』)
臣たる者、自らに降りかかる艱難辛苦に立ち向かい、身命を顧みず、一生懸命に主君に仕え、努力して事を成し遂げていく。それは、己自身の利害の為にするものではない。
明治の外務大臣、陸奥宗光が執筆した『蹇蹇録』の題名の典拠となった言葉である。
『蹇蹇録』は、明治27年(1894年)4月に起きた東学党の乱から日清戦争、三国干渉を経て明治28年5月8日の日清講和条約批准交換に至る迄の外交政略の概要を叙べた当時の第一級資料である。
→丸亀城 搦手門
←サンポート高松トライアスロン2015開催迄わずか
お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。



王臣蹇蹇(けんけん)たり、躬(み)の故にあらず(『易経』)
臣たる者、自らに降りかかる艱難辛苦に立ち向かい、身命を顧みず、一生懸命に主君に仕え、努力して事を成し遂げていく。それは、己自身の利害の為にするものではない。
明治の外務大臣、陸奥宗光が執筆した『蹇蹇録』の題名の典拠となった言葉である。
『蹇蹇録』は、明治27年(1894年)4月に起きた東学党の乱から日清戦争、三国干渉を経て明治28年5月8日の日清講和条約批准交換に至る迄の外交政略の概要を叙べた当時の第一級資料である。
→丸亀城 搦手門
←サンポート高松トライアスロン2015開催迄わずか
お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。



