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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
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 岐阜県可児市で2003年夏に行われた市議選の電子投票について、最高裁が7月8日、県選管の上告を棄却し、選挙を無効とする判決が確定した。この問題はメディアではあまり大きく扱われていないようだが、実のところ影響はきわめて大きい。

 判決が確定したことで、この選挙で当選した市会議員は全員が8日付で失職し、再選挙が行われることになった。せっかく必死で選挙運動を戦った議員たちにとっても大きなショックだろうが、しかし問題はそれだけにはとどまらない。

 確かに可児市の電子投票は、悲惨としかいいようのない状況だった。2003年7月に行われたこの選挙は、10万人規模の自治体で行われる初めての電子投票で、しかも全国初のサーバー・クライアント型電子投票システムを使うという「初モノづくし」の選挙だったのだ。このシステムを受注したのは、従来型の選挙機材(投票箱とかそういうモノだ)で圧倒的なシェアを持つムサシと富士通である。

 可児市選管とムサシは、事前に入念なリハーサルを行ったとされている。だが投票日の朝、いざ投票が始まってみると、システムはいきなり障害に見舞われた。市内29カ所すべての投票所で、サーバーが断続的にダウン。10分から最長75分間、有権者が投票できなくなってしまった。ひとつの投票所でサーバーが3回もダウンしたケースもあった。この間、投票所には長蛇の列ができ、中には投票をあきらめて帰ってしまった有権者が少なからずいたことが、多数の人に目撃されている。

 この障害は予備サーバーに切り替えるなどして順次復旧した。原因は選挙後の市選管の説明などによると、MOドライブの異常な温度上昇。機器をムサシと共同開発した富士通関連会社が、MOドライブの冷却ファンの位置をリハーサル後に移動させてしまい、冷却性能が低下したためだったという。

 しかし、さらに大きな問題が起きたのは、開票終了後だった。実際に投票された数と、開票時に各候補者の得票数を合計した数字が食い違い、得票数の合計の方が6票も多くなってしまったのだ。市選管の説明によると、ムサシの社員が投票所で電子投票機の操作をサポートしていた際、「タッチペンの反応が遅い」と有権者から苦情を受け、感度を調整している際に誤って白票を投じるボタンを押してしまったという。この6人がその後、再び投票したため、開票数が6人分多くなってしまったのだ。

 そんなこんなで可児市の電子投票はボロボロの結末を迎え、行方を見守っていた全国の自治体選挙担当者の間には、「電子投票はしばらく見送ろう」という機運が一気に高まってしまった。“可児ショック”などという言葉が広まったのだ。

 とりあえず選挙は終了したが、最下位当選者と次点の得票差は35票しかなかったことから、この次点候補者や有権者らが「トラブルがなければ逆転していたかもしれない」と県選管に審査を申し立てた。県選管は「トラブルが選挙結果には影響していなかった」と退けたが、有権者らは名古屋高裁に提訴し、そして高裁は選挙無効の判決を下した。これに対して県が上告し、そしてそれに対して今回の最高裁判決となったのだ。

 この判決確定で、電子投票の機運がさらに盛り下がり、ふたたび遙か彼方へと遠ざかってしまうのは間違いない。旗振り役の総務省はまだ電子投票推進の姿勢を崩してはいないが、どこの自治体も火中の栗を拾うようなことはしたがらないだろう。

 しかし本当に、これでいいのか。可児市のケースは、受注したメーカーの開発体制や品質管理にかなりの問題があったのは間違いない。だがその問題を、電子投票すべてに当てはめてしまうのが妥当かどうか。

 電子投票に取り組んでいるメーカーは、富士通+ムサシ以外にもNTTや東芝、さらには中小企業の集まった電子投票普及協業組合(EVS)などいくつか存在している。

 今回の件について、EVSの赤羽聖子さんが、次のような見解を私に送ってきてくれた。EVSはあくまで電子投票メーカー業界の一社でしかなく、メーカーの担当者の意見を紹介することには、「しょせんはカネ儲けの片棒担ぎではないか」と批判される方もいるかもしれない。だが以下の赤羽さんの見解は、非常に重要な問題を含んでおり、きわめて貴重な問題提起ではないか??私はそう感じた。

 以下は、その見解の全文である。

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 現在、電子投票導入のメリットとして、(1)開票が迅速になる(2)選挙人の正確な意思が反映できる(3)自ら投票できない(身体の故障により)選挙人が、投票できるようになる(4)長期的には、選挙費用の削減になる??などがあげられている。

 しかし、次に議論するように、投票の電子化による本質的なメリットは、紙という物理媒体を使用した場合と比較して、選挙への参加機会を拡大することができ、民主主義のグレードアップにつながることにある。多様化した社会への対応方法であり、全ての人の投票行動に対するバリアーを取り除くことができるという可能性を持っている。

 わが国で、低投票率が議論されて久しい。過去、投票率アップのためのさまざまなキャンペーンが行われているが、芳しい成果を挙げているとはいえない。選挙そのものにしっかりとした争点があり、選挙民の耳目を集めるものでなければ、投票率が上がらないということもある。しかし、投票率の長期低落傾向は、実は、選挙が激戦なのかどうかとは関係ない。ちょっと考えればわかることだか、自民党一党支配の時代で政権選択と程遠い環境であっても、高投票率の時があったのだ。低投票率の原因は、国民生活の多様化によって、選挙というイベント(誤解を恐れずに言えば)の魅力が薄れてしまったと言うことに尽きる。率直に言えば、他に、もっと面白いことがあるから、参加しないのである。

 選挙へ参加することによって得られるメリットと参加することのコストを比較して、費用対効果が合わないから参加しない。参加メリットは、政権交代の可能性が大きくなった分、実は過去よりも大きくなっている。にもかかわらず参加しない。日曜日には政権交代よりも、もっと面白いことがたくさんあるので、参加コストが高くなってしまっているのである。語弊があるが、もっと気楽に選挙に参加できないと、決して投票率は上がらないのだ。

 ここで、本質的な議論が生じる。民主主義社会はどのような国民によって担われるべきか。古い政治学の教科書には、自ら判断できる独立した市民が民主主義社会を担いうるとされている。革命で民主主義を勝ち取った市民は真剣に政治と対峙していたのだろう。現在でも、この考え方は定着していて、まじめな人間はちゃんと投票に行くべきだとされているし、政治にかかわる人々は、いわば、生死をかけて臨んでいるので、選挙民も真剣に臨んでほしいと願うだろう。民主主義社会の市民は自ら判断して投票所へ足を運ぶ「はずだ」、もしくは「べきだ」という考えが底流をなしている。投票もしない愚民はほっとけばいいという、極端な意見もあるだろう。愚民が気軽に投票できるようになったら、衆愚政治に陥って民主主義が崩壊するというわけだ。

 しかし、昔の市民は民主主義のお手本のような人々だったので、大勢投票に行ったのだろうか。もしかして、単に、日曜日が暇だったからではないだろうか。こういう極端な想像を働かすことは無益ではないだろう。なぜ、投票しないのかというアンケートは、過去何度もおこなわれている。必ず、「政治は変わらない」に類する答えと、「忙しい」がトップツーである。投票行動は費用もかかるし効果は薄いというわけだ。これを総括して政治的関心の低下としている研究は数多い。しかし、政治的関心の低下も含めて、選挙への参加の機会費用の増大は国民生活の多様化が根本原因であり、市民が不真面目になって愚民化したからではないのである。

 民主的な統治と政治的指導力に正当性と信任を与えるには、一定の投票率が必要だという前提に立つのであれば、国民を説得して投票行動に駆り立てるのではなく、多様化した国民生活に沿った選挙制度を真剣に模索する必要があるのだ。

 投票用紙を用いた投票を実現するためには、投票所と開票所という物理空間が必要になる。また、選挙民も投票用紙とゆう物理媒体に候補者名を記入できるという物理的条件が課せられる。投票を電子化するということは、このような物理的制約をはずすことができる可能性を大いに秘めているのである。

 アメリカや韓国では、低投票率の問題を電子投票を含めた、選挙制度のトータルの議論によって解決していこうとしている。

 もとより、技術の進歩を盲信して、投票の秘密という民主主義の根本を揺るがすような、冒険はすべきではない。しかし、国民生活の多様化に即した選挙制度を模索する上で、既存のさまざまな物理的制約をはずして、投票の機会費用の低減を図ることは、今後、ますます、社会が多様化することを考えれば、正面から議論すべきことと思われる。

 わが国でも電子投票は一部地方選挙で導入が始まっている。しかしそこで論じられているのは、主に開票が早くなる、コストが削減されるといった、あくまで行政効率に関することである。しかし、電子投票によって得られるメリットはそのような狭義のものではない。

 電子投票によって、身体が不自由で字をかけない人がタッチパネルを使うという入力手段を用いて投票できるようになり、視覚障害者も音声案内とキーパットの利用により投票できるようになっている。自書式投票でも代理投票の制度があるのだが、自分が投票する人を他の人に知られてしまうことが嫌で、投票所に行く前にあきらめている障害者は多い。健常者にとっては投票の秘密が守られるということは当然なのに、障害者は代理で投票できるのだから良いだろうというのは、不平等でおかしい。技術的にそれが可能な時代になったのだから、取り入れるべきであろう。今後こういった方法が普及し認知されれば、より利用者が増えることと思われる。電子投票はこのように障害者の投票に対するバリアーを取り除くことができる。しかしそれだけでは恩恵を受ける人は限定されてしまうことになる。

 現行法では、指定した投票所に出向いて、投票しなければならないが、電子化によって、どこの投票所でも、つまり、選挙区とは関係ない場所のキオスク端末を使用して投票することもできる。日曜日にディズニーランドへ出かけても渋谷へショッピングに行ってもそこの端末から投票することができる。さらに、インターネットを活用できるようになり自宅や職場の端末を利用することができるようになれば、寝たきりの者でも投票することができる。海外在住の邦人の投票の機会を拡大することもできるし、遠洋航海の船員も現行のFAXを利用した不自由な方法を用いなくてもすむのだ。つまり、電子投票とは投票の意思がある人なら誰でもどこからでも投票できる、全ての人のバリアーを取り除くことができるシステムなのだ。

 もちろん、投票がしやすくなるというだけでは、効果は限定的だろう。現在のように候補者の政権の情報を入手する手段が、きわめて限定されていては、まともな判断ができようもない。その意味で、電子投票を契機として選挙制度そのものを時代に即したものとして、大きく見直す必要があるのである。

 原点に立って考えてほしい。選挙というシステムは何のためにあるのか?

 そして今、この岐路に立っていることに気が付いてほしい。

 日本では事務効率化と費用対効果という低レベルの論争に明け暮れ、人々は自分たちにとって多くの利益をもたらす可能性のある仕組みだということに気づかされずにいる。国の予算も方針も曖昧なままであり、このままではせっかく実施した自治体も次々に条例を廃止してくこととなる。つまり、中途半端に掲げた国の政策のためにリスクも費用も負担した上、自治体は電子投票を廃止していくことになる。一度掲げたものがなくなる、するとそこには新たに国と地方自治体との不信が生まれ、もしまたこの国のインフラとして電子投票を行おうとしても、誰もそれに乗ることはないだろう。

 本当にそれで良いのか?国民にとって自分たちの社会の仕組みを根本からドラマティックに変える可能性のあるものを、気が付かないうちに失わせて良いのだろうか?せめて、本質的な論議を戦わせる機会を与えてほしい。

 リスクも費用も責任も可能性も価値も……全て総合して。
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