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房総の古代と安房の義倉帳他

 最近は千葉県内の古代の様子が知りたくて午後、市原市内の研究会セミナー(市民活動センター)に参加しました。最初は「安房国の成立と義倉帳」です!安房の国は718年に上総から分置され更に741年に併合され757年に再度分置されたと云うお話と安房・上総の調傭の特徴(麻布・鰒)と貯積の義倉(ぎそう)帳の記録では粟の数値で統一され貧農にも再配分されており意外と調傭は国司の裁量が可能であって一般のイメージでは税に苦しめられたというほどではなさそうでした。聞きながら星屑はようやく「太政官」から畿内六道を経由して「国司」から「郡司」への文書伝達のイメージがつかめたのでした!千葉県は相模の国から上総・下総の国に伝達されたようですね!(詳細は省略)

次の「江戸時代の紀行文からの房総往還」では当時の著名人や一般の記録の紹介を元に江戸から安房の国にどのような旅をしたのかを紹介されました。(詳細省略)

 歴史に無知な星屑の本当の目的は上総の国から星屑の地元である地名の「国府里」「国府関」は背景にどんな意味があるのがも知りたいし当時は長柄郡の出先みたいな小さな村落と思いますが氏子である「安房洲神社」の背景と「二宮神社」はどんな繋がりがあったのかなど知りたいのですがなかなかたどりつけません!でも気が付いた時や参加できるときに出来るだけ古代の歴史セミナーに参加し続けていればいつか“なるほど”と思う時があると思っております。でも理解出来ないうちにこの世から消えてしまうかもですが・・・(^-^) 

 それでも構わないくらいの気持ちでいないと・・・!と思っています!

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