hoppenの韓的な日々♪

2004年・夏、イ・ビョンホンssiに出会ってから韓流へ~韓国映画&ドラマで刺激的になった日々を綴ります。

ポン・ジュノ監督、講演会 in東京工芸大学 ②3本の長編映画について(2007.11.05)

2007-11-06 23:42:19 | 韓流イベント(舞台挨拶、コンサート)

ポン・ジュノ監督講演会、その②は、監督の長編映画3本についてのお話です。
あえて、ジャンル物に挑戦しながら、それに挑むように、変奏し、はみ出していくのが、
ポン・ジュノ映画の面白いところ。
監督は、それが快感らしい。
3本の映画で、すでに、自分自身のカラーをしっかり持っている監督ですが、
自らの映画を語る姿には、常に、何かを学び、前進していく「若手」らしいパワーを感じました。
これから、ますます、進化して、面白い映画を作ってくれそうな予感がしました。
映画の中で、強烈キャラを演じる俳優たちの話も、聞くことができました。

(監督が言ったのか、司会の方が言ったのか、はっきりしない所もありますが、
 お許しください。)

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>長編デビュー作『吠える犬は噛まない(原題:フランダースの犬)』について

ポン・ジュノ監督
日本アニメ『フランダースの犬』は、韓国でも大ヒットし、
主題歌が、カラオケでポップ調にリメイクされたほどでした。
その歌を歌うシーンもあるので、制作会社の勧めもあり、
題名を『フランダースの犬』にしました。

しかし!
アニメのイメージがあり、家族映画だと思って見に行った人には逆効果。
当時は新人監督だったので押し切れませんでしたが、
題名も、これからは、自分で決めようと思いました。

また、ジャンルわけができない映画だったので、マーケティングに苦労しました。
自分独自のものを作るつもりだったので、苦労は予想通りだったのですが。
自主制作ではない、商業映画を作るのなら、ジャンル作りが重要だということを学んだ
基本的なジャンルを持ちながらも、それを超える工夫をしている。


>監督は、さまざまなジャンルと撮る、オールマイティ型に向かうのか。

ポン・ジュノ監督
ミュージカル以外のすべてのジャンルに挑戦したい。
ジャンル映画に挑戦するのは、そのジャンルを変奏したり、変形させたりしたいから。
『殺人の追憶』は刑事もの、『グエムル』は怪獣映画だが、
どちらも、セオリーどおり出発しているが、
映画が進行するにつれ、それをはずしていくのが快感!


>独特のユーモアについて

ポン・ジュノ監督
登場人物のキャラが生み出す、リアルな笑い。
私は、普通の人々よりも、「負け犬キャラ」が好きなんです。
このキャラから、ジャンルから外れたユーモアが生まれます。
笑わせるつもりじゃないのに、シナリオを書いているうちに、自然とそうなる。
リアリティに基づいた、リアルなユーモアですね。


ピョン・ヒボンさんは、監督の、すべての長編作に出ていますね。

ポン・ジュノ監督
ヒボンさんは、韓国的な雰囲気を持っている俳優。
70年代から、ドラマで、個性的なキャラを演じていました。
僕は、小学生の頃からのファンで、
自分が監督になったら、この人を使いたいと思っていました。
脚本を書くときにも、この方を念頭に、キャラを作りました。


ソン・ガンホペ・ドゥナについて

ポン・ジュノ監督
ソン・ガンホは、存在だけでインスピレーションが沸く。

ペ・ドゥナは、いわゆる美人女優とは違う、個性的な女優です。
実生活でも、自分だけの世界を持つ子で、
幽体離脱的なこと(?をやっているというか、ワンテンポずれるんですね。
『子猫をお願い』『リンダリンダリンダ』も、彼女だからこそ、できる表現です。

『吠える犬は噛まない』では黄色いレインコート、『グエムル』ではエンジのジャージ。
本人は「私もきれいに写りたいのにっ!」と言ってますが、実は、楽しんでいるはずです^^
黄色いレインコートは、たまたま、衣装リハで合ったので、そのまま使っただけなんですけどね。

ソン・ガンホは、場面を支配する、韓国的なリアリティを持つ、存在感が特徴。
怪物が出てきた後でも、ガンホが出れば、韓国的な雰囲気に戻すことができるのです。
ペ・ドゥナは、場面の雰囲気を、漫画的にさせます。
静かに、徐々に、まわりに浸透し、変えていく雰囲気を持っています。


『殺人の追憶』について

ポン・ジュノ監督
怒りや、悲しみを重視しようという、方向性があった。
ジャンルは、刑事もの。
田舎の頭の悪い粗雑な刑事&都会的な刑事、というセオリーどおりの人物が登場。
ところが、映画が進行するにつれ、二人の境界線が崩れ、最後には逆転してしまいます。
そして、事件の解決そのものよりも、
80年代の韓国社会を描くことにシフトしていきます。
都市も田舎も、犯人を捕まえられないのは同じで、対立させるのは無意味。
それよりも、犯人を生み出した社会への問題意識を重視していった。
最後に未解決で終わるのも、ジャンルをはずしています。


>雨のシーンについて

ポン・ジュノ監督
雨のシーンは、独特の雰囲気が出せるので、好きです。
音、感触など、五感を同時に刺激します。

でも、特に、夜の雨のシーンは、大変な苦労が要ります。
『殺人の追憶』のシナリオを読んだスタッフたちは、あまりの雨のシーンの多さに、
「嘘でしょ~」とびっくりしていたようです。

『グエムル』のヒボンさんが死ぬ、雨のシーンは、なんと、17日間もかけて撮りました。
大変な苦労をしたので、スタッフたちは、あの現場を通ると、ぞっととするそうです。
(笑)
でも、あの場面で雨がなければ、あのシーンの壮絶さは、減っていたと思います。
苦労したけど、いいものができました。


『グエムル』は、怪獣映画という、韓国では珍しいジャンルでした。
 『殺人の追憶』の評価が良かったから、投資がついたのでは?

ポン・ジュノ監督
いえいえ、結構大変でした。
家族や周りからは「怪獣映画はやめておけ」と言われ続けました。
幼稚なジャンルという偏見があったからなんですが。

ただ、私は、微妙な立場だったかも。
怪獣映画というジャンルを取りながらも、それを壊していく映画を作るつもりでしたから。

冒頭は、毒物によってば獲物が誕生するという、セオリーどおりの始まりです。
韓国では、実際に、アメリカ軍が毒物を流すという事件があり、
アメリカへの批判もこもっているプロローグです。

ところが、怪獣映画でありながら、
『グエムル』の主役は、あくまでも「ばかげた家族」なんです。
家族にとっては、怪獣を倒すことよりも、
誘拐された娘を救うことのほうが大事なんですから。


>家族が分裂し、それを取り戻すというのは、「統一」にも繋がる韓国的な特徴かもしれませんね。
 これは、多くの韓国映画で、繰り返し語られていることですね。

ポン・ジュノ監督
結局、娘は救うことができませんでした。
その代わり、娘と一緒にいた男の子を引き取り、新しい家族として迎えています。
家族は娘を救おうとし、娘も、また、自分よりも弱いものを救おうとしていたんですよね。

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hoppenの韓的な日々♪より
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ポン・ジュノ監督講演会 in東京工芸大学 ③新作『Tokyo!』&今後の話(2007.11.05)
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ポン・ジュノ監督、講演会 in東京工芸大学 ①監督デビューまで(2007.11.05)
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