創価学会は本当に正しいのか?

活動を続けるべきか?辞めるべきか?
30代半ばの男子部員は、ある結論を選びました

折伏戦1/恐れていたことが始まった。

2008年11月30日 | Weblog
このブログスタート依頼、
創価学会員としての自分の活動を回想しているわけですが、
実在する各方面への影響を多少は?少しは?
配慮しなければなんてことも思っているわけです。

が、
正直に書いたほうがいいような気がする(なんとなく、理由はないが)
ので、そういう感じでこれからも行きますので。
よろしくおねがいいたします。

で、今回からしばらくの間[折伏戦]というタイトルで、
何回かに分けて記事をアップしますね。
記事はこれから書くので何回になるかはわからないです。

ただ、私の学会活動体験としては一番濃いーーー時期ですので、
がんばって書いていこうって感じです。
どうしてこんな前置きをタラタラ書くのかというと、
私にとっての折伏戦の感想とは…。

私と創価学会員、一般の人問わず、ものすごく濃いー濃いー
かかわり合いであったなと。
これは折伏する相手との関わりだけでなく、むしろ、
折伏という自分にとっても相手にとっても大変重要な事をやる為に、
創価学会内部の、私も含めたあらゆる立場の、
たくさんの人達がたくさんの行動と言葉(私にとって)を発し、

集団でマインドコントロール(違

いや、みんなで闘った(これもおかしい

やってしまった過ち(ん〜

とにかく、たくさん人が登場しそうな予感なのだ(バカでしょ

なので、特定個人が知れるような表現は避けますが、
コアな部分は曲げずに書いていきたいと思ってますです。
なんというか、マスコミで書かれるような
創価学会絡みの大きな事件などと違う、もっと草の根的な、
普通の人(妄信とも言われるが?)同士のぶつかりあいの中で、
実は裏では組織が機能しており、でも事件という程のことではなく、
でも、リアルな現場でたくさんの人が、
真剣に創価学会の事を考え、翻弄される様を、

読んでる方々が感じてもらえたら…
みたいな事も思っています。そして何より、これを回想することで

私が救われるような気がします。(これがコイツの本音だね。

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今日は少し書いておきます。

2004年秋頃から、呼ばれる会合はすべて出席していた私は、
「創価学会も色々問題あるけど、根本的には良い団体」と
考えるようになっていました。
いま考えると2つ理由があります。

私が嫌だと思う事が一切なかったから(甘! これがひとつ。

むしろ良い事ばかりです。
会合に参加すれば喜ばれ、試験に受かれば賞賛され、
餅つき大会も行われ。
新聞営業も、折伏も、選挙活動も、私に対する依頼はありませんでした。
不思議と財務(基金)の声すらかかりませんでした。
もうひとつの理由は、

「現役創価学会員の私は、創価学会のことを、
できれば良いと思っていたい」
というのがあります。

会合に参加しだすと、
創価学会に対して疑問を持つ度に、罪悪感があるのです。
疑問を持つ自分がおかしいんじゃねーか?
「下衆なかんぐりしたくねーな」みたいな感じか。

思えば、2004年の秋から冬にかけて、
私は創価学会の飴(アメ)の部分を経験したように思います。
そんな感じで、年は暮れ。


2005年。初の男子部会合にて。
幹部が言いました。

「伝統の2月へ向けて、いよいよ折伏戦のスタートです」

「折伏戦キターーー(゜A゜)ーーーー!!」と私は思いました。

創価学会は、全国的に毎年2月が折伏戦として、
新規勧誘の期間になります。

年末から、チラホラ聞いてはいたが。ついに来やがったか。
って感じです。
まずい、これだけはやりたくない。嫌だ。頼む、見逃してくれ。
折伏をやりたくない理由は…。

自信が無かったのです。
創価学会を人に勧める自信&確信。

その時の私の考えとしては、
信仰を人に勧めるということは、
創価学会信仰に絶対の確信がないと、勧めてはいけない。
信仰を勧めるなら相手の人生を半分背負うぐらいの思いが必要だ。
そんな考えです。
(今は少し違う考え方をしています)

私には創価学会信仰への絶対的な確信はありませんでした。

池田名誉会長を尊敬してるなんて人に言えません(尊敬してないから)
同時中継が為になるから行こう。なんて口が腐っても言えません。
(北◯鮮へのプチ旅行気分を味わいませんか?なら言えるが)

()書きが多いのに今気づいた。

ま、そんな私ですが…
やはりやっちゃうわけです。折伏。

そのあたりのことを、これから書いていきます。
よろしくおねがいします。