創価学会員2世・男子部ジョゼの、
学会活動の体験を、自分なりの主観で綴る。
残る体験記は、およそあと20程度です。
今回は、私の地区の男子部員の事を書きます。
ほんとに末端の男子部員の話ですが、
ある時期の彼の人生の話でもあります。長文ですので疲れるかもです。
私(ジョゼ)が学会活動に熱心に参加しだしてしばらくたった時、
幹部から、「断ったら一生後悔するよ」と言われ、
ある役職を勧められました。
役職名は、鉄人会でした。
鉄人会とは創価学会男子部の色々な会
(創価班、牙城会、文化班、鉄人会)のうちのひとつです。
一番メジャーなのは創価班、牙城会だと思います。
主に会館の警備などをする姿をよく見かけると思います。
私が勧められた鉄人会は、主に会場の設営・撤去などをするグループ。
ある日「大事な話がある」と呼び出され、
男子部本部長、部長、Aさん(私の先輩のような人)に
「ジョゼさんも最近よくがんばってくれている。
これからは学会を下から支える立場になりませんか?」と言われました。
これから数年間鉄人会としてがんばって欲しいということです。
急な話だったので「しばらく考えさせてください」と言うと、
「2日後に締め切りなんです」とのこと、で、
「今、断ったら一生後悔する」ということでした。
私は何よりもその役職を受けることを自分の意思で決めたかったので、
考える時間がないというのは納得いかなかったので
「考える時間がないのなら、どういう役職か知りませんが、
お断りします。後々それで後悔することがあっても構いません」
と言い、お断りました。
今は、断った事を本当によかったと思っています。
鉄人会に入っていれば、普通の学会員より一歩踏み込んだ、
学会を支える一人としての役職が、
足かせとなり非活動になることは難しかったのでは?と思うからです。
そして後から知ったのですが、このメンバーになる条件として
[1年以内に一人の折伏]というのが前提でした。
誘われた時はそういう大事なことは教えてくれませんでした。
やはり断ってよかったと最近思います。
で、ここからが本題なのですが、私が鉄人会に誘われた時、
同じ場所にもう一人。男子部のB君(20才仮)という彼が、
創価班に誘われていました。
B君は地方から出てきて一人暮らしです。
B君にはある職業につきたいという夢があります。
そのために私の地域に近い専門学校に通えるよう、
実家を離れ一人で暮らしていました。
見事B君は夢の就職先に内定した頃でした。
内定時期と同時期に、同じ専門学校の友人を創価学会に折伏しています。
そしてB君は、創価班に誘われ、それを快諾しました。
手続き上は1年後に創価班ですが、1年後の創価班目指して、
B君は軍隊式の訓練のようなものを受ける事になりました。
以降、B君は豹変しました。
折伏と就職先を内定させたB君はますます創価学会の活動に
傾倒していきました。創価班の訓練といっても、その訓練の目的は、
要は折伏することです。
B君がもともと決めていた友人の折伏一人という結果は、
創価班以前のことなので、カウントされませんでした。
そしてB君は猛烈に折伏に走り回りました。毎日毎晩です。
私も含め地区の男子部全員が舌を巻く程でした。で、
私にも急に幹部から夜中「今、B君と本部長が友人を折伏しているので、
皆でその間、お題目を挙げましょう」という電話がよく入りました。
私もわけがわかりませんでしたがお題目を挙げました。
そんなことが一ヶ月半ぐらい、週に何回もありました。
すさまじいばかりの勢いで折伏をするB君は、
すぐに“地区期待のホープ”のような立場になっていました。
B君の活動報告を聞いた婦人部の人が、感動して泣いてるのを
私は見たことがあります。
B君は専門学校の知ってる学生に、片っ端から声をかけていたようです。
どういう風に声をかけているのか本人に聞きました。
「僕もよくわからないんで…
とにかく創価学会に入ったら幸せになれると言ってます。
あとは本部長に全部おまかせです」ということでした。
そしてB君は言ってました。
「専門学校も、もう卒業するし。声をかけるなら今のうちしかないかと。
それと、就職したらこの地区じゃなく就職先の下宿へ引っ越しますから」
ということでした。
“地区期待のホープ”のB君が引っ越してしまうという事で、
幹部達はあせっていましたが、私たち部員は、
「B君の夢が実現したのだから、良かったじゃん」と言っていました。
暖かく見送ってあげよう。という感じです。
で、数日後。
「B君が就職を取りやめたらしい」という連絡が入りました。
本部長が引っ越しを強引に引き止めたようです。
以下私が聞いた本部長の説得理由です。
「B君は今大事な時だ。今この地区を離れたら後々絶対後悔する。
今この地区での学会活動をやることが君のためだ。引っ越すな」
私が聞いたのはこれだけです。が、
実際は何時間も説得したのだと思います。
大まかな趣旨が上記のような感じということです。
で、B君曰く
「本部長に説得されて、自分も納得したので就職先を蹴りました。
これからしばらくは無職ですが、がんばります」とのこと。
創価学会は本当に正しいのか?
何人も何人も折伏したB君でしたが、
結局入会までこぎつけたのは一人でした。(創価班のノルマは達成です)
入会決意という話は何度も聞きましたが、
すべてドタキャンされたようです。ドタキャンと簡単に書きましたが、
具体的にどんな感じになるかというと、
B君の友人達は、B君を含めた数人の学会員に、
夜遅くまで入会を勧められ。その場で一旦は入会を承諾するそうです。
で、入会勤行会の日程を決めて後日連絡するのですが…。
二度とその電話に出てくれないそうです。もう二度とです。
また、入会勤行会のその場に本人が来ないという時もありました。
幹部から「今晩B君の友人の入会勤行会があるので、全員会館へ集合」
と。私たちも集まるのですが、肝心の本人が来ません。ドタキャンです。
「やっぱ創価学会入るのやめる」といった感じです。
その時も幹部が「これは魔だ。
創価学会に入ろうとすると必ず魔が現れる。お題目を挙げましょう」
となります。
B君は「本人が電話に出てくれないんですよ。ははは」と言ってました。
それを聞いた時、私は
「社会に出たら友達はできづらいよ。折伏も大事かもしれないけど、
友達なくしたらダメだよ」と言いました。
B君は「そうですね。ははは」と言っていました。
「創価学会に入ったら幸せになれるぞ」と、
片っ端から友人に声をかけまくり、それを地区の学会で賞賛され、
中にはその努力を聞き涙を流す学会員もいる。
本人は幹部に説得され、元の自分の夢を捨て学会活動により一層
のめり込む。
後日談ですが、折伏の戦いが一段落した頃、
B君は用事で実家に一週間程実家に帰省しました。
そして地区に戻ってきて幹部に言ったそうです。
「創価学会を退会したいです」
たった一週間、学会活動をしなかっただけで
創価学会の退会まで考えるB君。
B君曰く「ここでは色々考える時間もなかったです。
実家に帰って落ち着いて色々考えて、やっぱり創価学会を辞めようと思いました」とのこと。
で、例によって本部長に説得され、
あっさりB君はこれまで通りというか、これまで以上にタフな、
バリ活動家に戻りました。
彼は今、派遣社員として当初の夢と似たような職種で働いています。
良い言葉が見つからないのですが。
“すべてが過剰な感じ”がします。
「過激すぎないか?」と私は思うのです。
なにかこう、B君、その友人、色んな人の“人生”とか“つながり”
みたいなものが、いとも簡単に創価学会が絡んで、
コロコロコロコロ転がっているような感触をその時受けました。
これを思い出しながら書いてて、
なんとなくですが、口の中が苦いような、そんな感じがします。
学会活動の体験を、自分なりの主観で綴る。
残る体験記は、およそあと20程度です。
今回は、私の地区の男子部員の事を書きます。
ほんとに末端の男子部員の話ですが、
ある時期の彼の人生の話でもあります。長文ですので疲れるかもです。
私(ジョゼ)が学会活動に熱心に参加しだしてしばらくたった時、
幹部から、「断ったら一生後悔するよ」と言われ、
ある役職を勧められました。
役職名は、鉄人会でした。
鉄人会とは創価学会男子部の色々な会
(創価班、牙城会、文化班、鉄人会)のうちのひとつです。
一番メジャーなのは創価班、牙城会だと思います。
主に会館の警備などをする姿をよく見かけると思います。
私が勧められた鉄人会は、主に会場の設営・撤去などをするグループ。
ある日「大事な話がある」と呼び出され、
男子部本部長、部長、Aさん(私の先輩のような人)に
「ジョゼさんも最近よくがんばってくれている。
これからは学会を下から支える立場になりませんか?」と言われました。
これから数年間鉄人会としてがんばって欲しいということです。
急な話だったので「しばらく考えさせてください」と言うと、
「2日後に締め切りなんです」とのこと、で、
「今、断ったら一生後悔する」ということでした。
私は何よりもその役職を受けることを自分の意思で決めたかったので、
考える時間がないというのは納得いかなかったので
「考える時間がないのなら、どういう役職か知りませんが、
お断りします。後々それで後悔することがあっても構いません」
と言い、お断りました。
今は、断った事を本当によかったと思っています。
鉄人会に入っていれば、普通の学会員より一歩踏み込んだ、
学会を支える一人としての役職が、
足かせとなり非活動になることは難しかったのでは?と思うからです。
そして後から知ったのですが、このメンバーになる条件として
[1年以内に一人の折伏]というのが前提でした。
誘われた時はそういう大事なことは教えてくれませんでした。
やはり断ってよかったと最近思います。
で、ここからが本題なのですが、私が鉄人会に誘われた時、
同じ場所にもう一人。男子部のB君(20才仮)という彼が、
創価班に誘われていました。
B君は地方から出てきて一人暮らしです。
B君にはある職業につきたいという夢があります。
そのために私の地域に近い専門学校に通えるよう、
実家を離れ一人で暮らしていました。
見事B君は夢の就職先に内定した頃でした。
内定時期と同時期に、同じ専門学校の友人を創価学会に折伏しています。
そしてB君は、創価班に誘われ、それを快諾しました。
手続き上は1年後に創価班ですが、1年後の創価班目指して、
B君は軍隊式の訓練のようなものを受ける事になりました。
以降、B君は豹変しました。
折伏と就職先を内定させたB君はますます創価学会の活動に
傾倒していきました。創価班の訓練といっても、その訓練の目的は、
要は折伏することです。
B君がもともと決めていた友人の折伏一人という結果は、
創価班以前のことなので、カウントされませんでした。
そしてB君は猛烈に折伏に走り回りました。毎日毎晩です。
私も含め地区の男子部全員が舌を巻く程でした。で、
私にも急に幹部から夜中「今、B君と本部長が友人を折伏しているので、
皆でその間、お題目を挙げましょう」という電話がよく入りました。
私もわけがわかりませんでしたがお題目を挙げました。
そんなことが一ヶ月半ぐらい、週に何回もありました。
すさまじいばかりの勢いで折伏をするB君は、
すぐに“地区期待のホープ”のような立場になっていました。
B君の活動報告を聞いた婦人部の人が、感動して泣いてるのを
私は見たことがあります。
B君は専門学校の知ってる学生に、片っ端から声をかけていたようです。
どういう風に声をかけているのか本人に聞きました。
「僕もよくわからないんで…
とにかく創価学会に入ったら幸せになれると言ってます。
あとは本部長に全部おまかせです」ということでした。
そしてB君は言ってました。
「専門学校も、もう卒業するし。声をかけるなら今のうちしかないかと。
それと、就職したらこの地区じゃなく就職先の下宿へ引っ越しますから」
ということでした。
“地区期待のホープ”のB君が引っ越してしまうという事で、
幹部達はあせっていましたが、私たち部員は、
「B君の夢が実現したのだから、良かったじゃん」と言っていました。
暖かく見送ってあげよう。という感じです。
で、数日後。
「B君が就職を取りやめたらしい」という連絡が入りました。
本部長が引っ越しを強引に引き止めたようです。
以下私が聞いた本部長の説得理由です。
「B君は今大事な時だ。今この地区を離れたら後々絶対後悔する。
今この地区での学会活動をやることが君のためだ。引っ越すな」
私が聞いたのはこれだけです。が、
実際は何時間も説得したのだと思います。
大まかな趣旨が上記のような感じということです。
で、B君曰く
「本部長に説得されて、自分も納得したので就職先を蹴りました。
これからしばらくは無職ですが、がんばります」とのこと。
創価学会は本当に正しいのか?
何人も何人も折伏したB君でしたが、
結局入会までこぎつけたのは一人でした。(創価班のノルマは達成です)
入会決意という話は何度も聞きましたが、
すべてドタキャンされたようです。ドタキャンと簡単に書きましたが、
具体的にどんな感じになるかというと、
B君の友人達は、B君を含めた数人の学会員に、
夜遅くまで入会を勧められ。その場で一旦は入会を承諾するそうです。
で、入会勤行会の日程を決めて後日連絡するのですが…。
二度とその電話に出てくれないそうです。もう二度とです。
また、入会勤行会のその場に本人が来ないという時もありました。
幹部から「今晩B君の友人の入会勤行会があるので、全員会館へ集合」
と。私たちも集まるのですが、肝心の本人が来ません。ドタキャンです。
「やっぱ創価学会入るのやめる」といった感じです。
その時も幹部が「これは魔だ。
創価学会に入ろうとすると必ず魔が現れる。お題目を挙げましょう」
となります。
B君は「本人が電話に出てくれないんですよ。ははは」と言ってました。
それを聞いた時、私は
「社会に出たら友達はできづらいよ。折伏も大事かもしれないけど、
友達なくしたらダメだよ」と言いました。
B君は「そうですね。ははは」と言っていました。
「創価学会に入ったら幸せになれるぞ」と、
片っ端から友人に声をかけまくり、それを地区の学会で賞賛され、
中にはその努力を聞き涙を流す学会員もいる。
本人は幹部に説得され、元の自分の夢を捨て学会活動により一層
のめり込む。
後日談ですが、折伏の戦いが一段落した頃、
B君は用事で実家に一週間程実家に帰省しました。
そして地区に戻ってきて幹部に言ったそうです。
「創価学会を退会したいです」
たった一週間、学会活動をしなかっただけで
創価学会の退会まで考えるB君。
B君曰く「ここでは色々考える時間もなかったです。
実家に帰って落ち着いて色々考えて、やっぱり創価学会を辞めようと思いました」とのこと。
で、例によって本部長に説得され、
あっさりB君はこれまで通りというか、これまで以上にタフな、
バリ活動家に戻りました。
彼は今、派遣社員として当初の夢と似たような職種で働いています。
良い言葉が見つからないのですが。
“すべてが過剰な感じ”がします。
「過激すぎないか?」と私は思うのです。
なにかこう、B君、その友人、色んな人の“人生”とか“つながり”
みたいなものが、いとも簡単に創価学会が絡んで、
コロコロコロコロ転がっているような感触をその時受けました。
これを思い出しながら書いてて、
なんとなくですが、口の中が苦いような、そんな感じがします。