ジョゼの創価学会男子部体験記の続きです。
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創価学会の教学3級試験が終わって一週間くらい過ぎた頃、
Aさんから電話で「合格でしたよ」と連絡を受けました。
私には達成感がありました。そして私は
「よし、もう終わりダ」と心の中で思いました。
何が終わりなのかはよくわかりませんが、自分的には
創価学会の活動をあれほど一生懸命やるのは「終わり」と考えました。
翌日Aさんから電話で
「急で申し訳ないですが、会合の場でジョゼさんに合格証を渡したいのです。
会合は今やってます。いっしょに行きませんか?」とのこと。
私は「合格証なんか貰えるのか」と思いました。
その時は、特に用事もなかったので、会合に行きました。みんなから拍手を受けました。
私も思わず笑みがこぼれます。うれしかったのです。
で結局、合格証は貰えませんでした。
幹部いわく「合格証渡すと言っていない、合格したと連絡したかったのです」とのこと、
よく憶えてませんがそんな返答だったと思います。
(事務&連絡処理能力の稚拙さは創価学会の特徴)
で、「せっかくなので何か一言しゃべってよ」ということでしたので、
「婦人部のばーちゃんが私のために3時間題目を挙げていた。正直困った。
でも合格しないといけないと思った。で、合格した。」という話をしました。
淡々と書きましたが結構身振り手振りで熱くしゃべっています。
(この話のことを便宜上[おばーちゃん話]とします)
みんな喜んでいました。これが功徳。とか私(ジョゼ)の顔に覇気が出てきた。などなど。
私も悪い気はしませんでした。で、
別の会合で合格証を渡す事になってるから例の[おばーちゃん話]をして欲しい。
ということでした。
その会合の時間。急な仕事が入りました。
合格証を貰うことより仕事の方が重要でしたので仕事を優先し、
会合へは終了直前に入りました。もう合格証のイベントは終わっていましたが、
みんなから盛大な拍手を受けました。会合が終わってから、婦人部の人が近づいてきて
「今日どうして来なかったの、みんなジョゼ君を楽しみに待ってたのよ」
と言われました。私は「あー悪いことしたな」と感じました。
それまでの私は、会合にただ参加するだけでよかったのですが、
その会合は一部の人にとっては[私がメイン]だったようです。
「ちゃんとしなきゃな」みたいな感じです。
それからしばらくの間、
私は立て続けにいろんな会合に呼ばれ[おばーちゃん話]を求められました。
みなさん喜んでくれているようでした。私も嬉しかったです。
[おばーちゃん話]は私の“持ちネタ”みたいになってきました。
そして私は、“会合へ参加するだけの自分”から、
“会合の中での自分の役割を自覚”するようになりました。
考えてみたら、試験の3週間程前から試験後1ヶ月ぐらい。
計50日くらいの間、私はなんだかんだ言いながら、誘われる勉強会。
誘われる会合にはすべて出席する。という状態になっていました。
いつのまにか会合のために極力仕事のスケジュールを調整するようになってもいました。
会合に行けば皆から褒められる。
という気持ちが強かったからだと思います。
その頃の私は、活動家かどうかわかりませんが。もはや、
“一番まじめに、全部の会合に参加する人”になっていました。季節は冬でした。
そして数日後、[地区の餅つき大会]がありました。(私の地区だけかもです)
「男子部は率先して餅をついてください」ということでした。
餅つきをしたのは生まれて初めてでした。
男子部の男達と、未来部の子供達が餅を付く。やり方は壮年部が教えてくれる。
つきあがった餅を婦人部の人々が細かく丸めたり。色んな味をつけたり。
出来上がったたくさんの餅を地区の学会員のご家庭に届ける。
すごく楽しいんですよ。
創価学会は本当に正しいのか?
創価学会体験記freeさんのブログにマインドコントロールについて触れた箇所があります。以下抜粋です。
マインドコントロール(MC)とは、
「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」
だと思います。人の心は大変繊細な側面があると思います。
その繊細さを利用して、特定の考え方からそれる道を封鎖しながら、
人の心を誘導していくことだと、思います。
そして、それによってコントロールしている人が利益を得るのです。
具体的には、例えば、時間をかけて考える猶予を与えない
コントロールする側に不都合な情報を制限する
アメ(安堵感)とムチ(恐怖)を使う などです。
(アメとはつまり、平穏に日々生活できるような環境であったり、
周囲の絶賛により得られる満足感だったりします。
ムチとは、その思想から離れると生じるなんらかの不利益であったり、
思想そのものに「この思想から離れると地獄におちる」といった内容を含んでいる場合です。)
私は、MCの定義などは、よくわかりません。
ですが私は、試験の合格。や、会合での賞賛。や餅つき大会。などを経るうちに、
いつのまにか学会活動をするようになっていました。
で、そのような、褒められる事や安堵感を得る環境だったりが、上に書いてるように、
「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」
によって、作為的に演出された事。と、そこまでは思えません。
地区のおじさんおばんさんがそんなMCをするとは思えないからです。
が!創価学会のいくつかの活動はMCなのかも知れないし、
そうじゃないかもしれないのです。
が!私が体験した上記の事柄は、私にとって、
[創価学会というところには思いっきり
ハマりやすいストーリーと快感]
があります。
試験の壁を乗り越える達成感はすばらしかった。
それを賞賛されると嬉しかった。
その事で「励まされた」とか「やる気になった」という人も現れてくる。
会合で話せば“賞賛される” し “人のためにもなる”みたいだ。
MCでいうところの、飴(アメ)と鞭(ムチ)ではないような気がしますが。
上記のような体験は、
少なくとも私にとっては“このうえない飴(アメ)”であったと思います。
矛盾しますが、あれが私にとっての飴(アメ)だった。
そして、誰かが、作為的に誘導したのかどうかは別として、
創価学会という団体には、
[のめり込みたいなら、いくらでものめり込めるコト が、満ちあふれている]
と言えます。
一言でくくりにくい。ややこしいカルトかも知れないです。
ダークな内容じゃの〜〜
ジョゼの創価学会男子部体験記。そろそろ佳境へ。
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創価学会の教学3級試験が終わって一週間くらい過ぎた頃、
Aさんから電話で「合格でしたよ」と連絡を受けました。
私には達成感がありました。そして私は
「よし、もう終わりダ」と心の中で思いました。
何が終わりなのかはよくわかりませんが、自分的には
創価学会の活動をあれほど一生懸命やるのは「終わり」と考えました。
翌日Aさんから電話で
「急で申し訳ないですが、会合の場でジョゼさんに合格証を渡したいのです。
会合は今やってます。いっしょに行きませんか?」とのこと。
私は「合格証なんか貰えるのか」と思いました。
その時は、特に用事もなかったので、会合に行きました。みんなから拍手を受けました。
私も思わず笑みがこぼれます。うれしかったのです。
で結局、合格証は貰えませんでした。
幹部いわく「合格証渡すと言っていない、合格したと連絡したかったのです」とのこと、
よく憶えてませんがそんな返答だったと思います。
(事務&連絡処理能力の稚拙さは創価学会の特徴)
で、「せっかくなので何か一言しゃべってよ」ということでしたので、
「婦人部のばーちゃんが私のために3時間題目を挙げていた。正直困った。
でも合格しないといけないと思った。で、合格した。」という話をしました。
淡々と書きましたが結構身振り手振りで熱くしゃべっています。
(この話のことを便宜上[おばーちゃん話]とします)
みんな喜んでいました。これが功徳。とか私(ジョゼ)の顔に覇気が出てきた。などなど。
私も悪い気はしませんでした。で、
別の会合で合格証を渡す事になってるから例の[おばーちゃん話]をして欲しい。
ということでした。
その会合の時間。急な仕事が入りました。
合格証を貰うことより仕事の方が重要でしたので仕事を優先し、
会合へは終了直前に入りました。もう合格証のイベントは終わっていましたが、
みんなから盛大な拍手を受けました。会合が終わってから、婦人部の人が近づいてきて
「今日どうして来なかったの、みんなジョゼ君を楽しみに待ってたのよ」
と言われました。私は「あー悪いことしたな」と感じました。
それまでの私は、会合にただ参加するだけでよかったのですが、
その会合は一部の人にとっては[私がメイン]だったようです。
「ちゃんとしなきゃな」みたいな感じです。
それからしばらくの間、
私は立て続けにいろんな会合に呼ばれ[おばーちゃん話]を求められました。
みなさん喜んでくれているようでした。私も嬉しかったです。
[おばーちゃん話]は私の“持ちネタ”みたいになってきました。
そして私は、“会合へ参加するだけの自分”から、
“会合の中での自分の役割を自覚”するようになりました。
考えてみたら、試験の3週間程前から試験後1ヶ月ぐらい。
計50日くらいの間、私はなんだかんだ言いながら、誘われる勉強会。
誘われる会合にはすべて出席する。という状態になっていました。
いつのまにか会合のために極力仕事のスケジュールを調整するようになってもいました。
会合に行けば皆から褒められる。
という気持ちが強かったからだと思います。
その頃の私は、活動家かどうかわかりませんが。もはや、
“一番まじめに、全部の会合に参加する人”になっていました。季節は冬でした。
そして数日後、[地区の餅つき大会]がありました。(私の地区だけかもです)
「男子部は率先して餅をついてください」ということでした。
餅つきをしたのは生まれて初めてでした。
男子部の男達と、未来部の子供達が餅を付く。やり方は壮年部が教えてくれる。
つきあがった餅を婦人部の人々が細かく丸めたり。色んな味をつけたり。
出来上がったたくさんの餅を地区の学会員のご家庭に届ける。
すごく楽しいんですよ。
創価学会は本当に正しいのか?
創価学会体験記freeさんのブログにマインドコントロールについて触れた箇所があります。以下抜粋です。
マインドコントロール(MC)とは、
「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」
だと思います。人の心は大変繊細な側面があると思います。
その繊細さを利用して、特定の考え方からそれる道を封鎖しながら、
人の心を誘導していくことだと、思います。
そして、それによってコントロールしている人が利益を得るのです。
具体的には、例えば、時間をかけて考える猶予を与えない
コントロールする側に不都合な情報を制限する
アメ(安堵感)とムチ(恐怖)を使う などです。
(アメとはつまり、平穏に日々生活できるような環境であったり、
周囲の絶賛により得られる満足感だったりします。
ムチとは、その思想から離れると生じるなんらかの不利益であったり、
思想そのものに「この思想から離れると地獄におちる」といった内容を含んでいる場合です。)
私は、MCの定義などは、よくわかりません。
ですが私は、試験の合格。や、会合での賞賛。や餅つき大会。などを経るうちに、
いつのまにか学会活動をするようになっていました。
で、そのような、褒められる事や安堵感を得る環境だったりが、上に書いてるように、
「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」
によって、作為的に演出された事。と、そこまでは思えません。
地区のおじさんおばんさんがそんなMCをするとは思えないからです。
が!創価学会のいくつかの活動はMCなのかも知れないし、
そうじゃないかもしれないのです。
が!私が体験した上記の事柄は、私にとって、
[創価学会というところには思いっきり
ハマりやすいストーリーと快感]
があります。
試験の壁を乗り越える達成感はすばらしかった。
それを賞賛されると嬉しかった。
その事で「励まされた」とか「やる気になった」という人も現れてくる。
会合で話せば“賞賛される” し “人のためにもなる”みたいだ。
MCでいうところの、飴(アメ)と鞭(ムチ)ではないような気がしますが。
上記のような体験は、
少なくとも私にとっては“このうえない飴(アメ)”であったと思います。
矛盾しますが、あれが私にとっての飴(アメ)だった。
そして、誰かが、作為的に誘導したのかどうかは別として、
創価学会という団体には、
[のめり込みたいなら、いくらでものめり込めるコト が、満ちあふれている]
と言えます。
一言でくくりにくい。ややこしいカルトかも知れないです。
ダークな内容じゃの〜〜
ジョゼの創価学会男子部体験記。そろそろ佳境へ。