創価学会は本当に正しいのか?

活動を続けるべきか?辞めるべきか?
30代半ばの男子部員は、ある結論を選びました

創価学会の座談会

2008年11月30日 | Weblog
こんばんにゃ〜です。

さて、前回記事の内容で、創価学会という団体は、のめり込みたければいくらでも……
ということを書きました。

私が特にのめり込んだのが地区の座談会です。

教学試験勉強と草の根的な会合(同時中継除く)によって、いつのまにか、
まじめに学会の会合に参加(好きになっていった)するようになっていた私ですが、
自分の中で特に大事にしていたのが座談会です。その理由はこうです。

下町情緒みたいに思ったから。

不純ですか?仏道修行と関係ないですか?私的にはすごい大事でしたけど。
近所の子供から大人までが集まって、
ワイワイガヤガヤと会合(前向きな内容で)するというのは、
実家から離れて単身で暮らす私にとっては、すごく心温まる事のように思います。で、
それ自体は今でもいいと思っています。但し今は、

その仲の良い座談会の雰囲気や団結が、
“条件つきである”ということに気づいています。


創価学会が好き。
池田先生が好き。

この条件に賛同できないと、最終的には違和感を感じてしまうと、私は思っています。
上記がないと、だんだん噛み合わなくなってくるように感じます。
そこを考えずに参加することはできます。
そのことを本当は自分がどう思っているのか考えないようにする。
という風にすれば、まあ大丈夫かもしれないですが……。

で、創価学会に非があるかというと、私は無いと思います。
創価学会が好きじゃないなら、池田先生が好きじゃないなら。参加するな。
ということでいいと思います。

でも、何かの拍子に……、参加してしまうのが、創価であり……
そんなところが、プチカルト的な、なんとなくそんな感じでおじゃります。

麻薬みたいなもんなのでしょうか?気をつけたいところです。