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大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第3編 我等の生活談義 第2回

2007年08月20日 | 大森町界隈あれこれ 戦後史
kan-haru blog 2007

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新円切り替え
第二次世界大戦に敗れた日本経済は、戦争によって国富の約4分の1を失いました。それにより、生産水準も戦前の2~3割にまで落ち込み、大きな痛手を被りました。
そうしたなかで、終戦処理費として巨額の財政支出を出費されたことから、日本経済は激しいインフレに見舞われ、国民生活は極度に窮乏化しました。実際には、1935年(昭和10年)の卸売物価水準を基準として、終戦時には3.5倍、1949年(昭和24年)には208倍を記録するなど、復興期の日本経済はハイパーインフレの渦中にありました。

これにより、政府では1946年(昭和21年)2月に、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布して、5円以上の日本銀行券を預金や貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させました。こうして、既存の預金とともに封鎖したうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払い出しを認める「新円切り替え」という非常措置が実施されました。

金融緊急措置の実施に伴い、金融機関からの預金引き出しは厳重に制限されましたが、一定の生活資金や事業資金については新円での払い出しが認められたため、封鎖預金の払い戻し請求はかなりの金額に達しました。
これにより、日本銀行券発行残高は金融緊急措置実施後1か月のうちに6割にまで縮小したが、その後再び増大しインフレの減速は一時的なものにとどまりました。
これは、マネーサプライ増大にある財政赤字の削減が、進まなかったからでした。

しかし、1948年(昭和23年)に経済安定9原則が連合軍総司令部から発表され、続く翌年には、均衡財政による財政の健全化と、1ドル=360円の単一為替レートの設定を主たる内容とするドッジ・ラインが実施されて、インフレも終止符が打たれました。

・尺貫法
日本では江戸時代から尺貫法が用いられ、1891年に制定された度量衡法により尺・貫を原器により定義し、メートル法も認める体系となり、1921年にメートル法を基本とする度量衡法を改正し国内単位の統一を計り、1951年に度量衡法は廃止され計量法が制定されて、土地・建物を除きメートル法が実地されました。
全面的な実地は1966年のことであるが、現行計量法は1992年に公布されました。
 長さ 1尺 = 30.3cm
 重さ 1貫 = 3.75kg
 容積 1升 = 1.8リットル


若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 我等の生活談義 第2回

インフレその1
一体全体物価はどれ程暴騰したものか、第一お札の方から見る事にしよう。
昭和十二年日華事変の頃は発券高二十億円に過ぎなかったのが、二十年一月百七十億円、七月末二百八十五億円となり、終戦の八月十五日三百三億円、九月四百二十億、本年モラ旋風ストップ六百十八億と三十一倍に膨張したのである。それが新円となってとにかく百五十億円におさまったのである。
処が、ヤミ値は「おさつ」のふくれる通り足並そろえて値上がりしたから面白いのである、然し面白いというのは生産家だけ、配給以外ヤミ生活を強いられている我々勤務消費者は泣きつらに蜂である。

 ○ヤミ値の騰貴率  「主要物資のみ」
              ・二十年十月迄は日銀調査
              ・本年七月は自己調査
              ・最高、最低は主として品質による


上表昨年十月迄の分は、日銀がその職員と関係業者とを動員して、一種目に付き五十から約百の報告を基準にして、其の平均化したものである。十月迄の平均暴騰指数は三十四倍となると。

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