タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

たくましい彼女ら。

2010-12-12 06:41:47 | @burkina
活動の一環として、障害者団体と接点を持ちたいという意思表明をしていたところ

昨日、同僚ジュリエン氏が

「今日障害者の女性団体の何人かが講習会に参加するのに来てるから

 参加したけりゃ行ってきていいよ。」

 と声をかけてくれた。


まず、そもそもなぜ障害者団体と接点を持ちたいと意思表明しているかというところについて少々説明を加えておこうと思う。


今はセンターでの診療が主な活動となっているが、

もう+αを活動に盛り込もうと思っているのだ。

狭い意味での理学療法士としての活動のみでなく、

もっと広くリハ従事者という視点でブルキナファソの障害者をとりまく社会の状況を知り、

今何が問題で、これから何をしなきゃならないのかを検討する材料にするというのが+αの真相。



現在、ブルキナファソ保健省が管轄する国家政策レベルの取り組みは

MDGsにも掲げられるとおり、マラリア対策や母子保健対策が主なもの。

障害者の問題はなかなか日の目をみないが、息をひそめているだけ。問題がないわけじゃない。



「今何が問題で、これから何をしなきゃならないのかを検討する」なんてお題目は

一ボランティアにとっては少々大きすぎる気もするが

主役になるべき障害者の生の声を拾うことは、机に向かって仕事してるお役人さんにはできないことだし

逆にボランティアの私だからできることともいえる。

やってみないことには話題の舞台にすら上がらないのだから

とりあえずなんでもやってみようじゃないの、という想いで首を突っ込んでみることにしたわけだ。



前置きが長くなってしまったが、そんなわけでジュリエン氏からのナイス情報に

それは参加でしょ~!と思って会場に向かったのだが。。。



その後約3時間、ひたすらモレ語で繰り広げられる講習会。

わ・・・わからん。。


まぁね。女性はフランス語話せない人も多いから、当然現地語だよね。

なかにはビサ語しか話せない人もいるから、モレ語←→ビサ語の通訳シーンも垣間見られる。

こりゃ、簡単じゃないわー!!



全内容の5%くらいだけ話されていたフランス語から、なんとか内容を想像してみたところ、
 フランス語もまだ全然しゃべれないけれど、こういうときはフランス語わかるー!フランス語ありがたーい!と思ってしまう。笑


ほほー。要するに、お金の管理の話をしているわけね。

 ・・・ということだけはわかった。

3時間いてホントにこれしかわからなかったよ。。。



しかしまぁ、わからないなりにも退席せず眠らず参加したことで、

当事者の女性たちからは「自分たちに興味を持っている白人」という風に認識して頂けた様子。

これが一番の収穫!!




3週間に一度という定例会議がちょうど明日あるよ~!という情報までゲットし

今日は朝から勇んで参加しましたよ~!

もちろん会議は現地語で行われることが容易に想像できるし、実際その通りだったんだけど

ここは参加することで誠意を見せるしか手段がないので、とにかく参加。




会議の内容は、講習会に参加した女性達からの伝達講習とか

会の運営に関することなどだった。



実は、今更だがこの会の設立の経緯や主な活動について、まだはっきり確認したわけではない。
 日を改めてもう一度整理させてもらおうと思っている。え?遅い??

それでも今日参加してみて、メンバーでお金をプールし、メンバー内で貸付事業を行っているということがわかった。



お気づきの方もいるだろうが、体のこと、障害のことを話題にしているわけではないのだ。



障害は人それぞれで、総勢60名ほどのメンバーの中には

手漕ぎの3輪車にのっている人や目の不自由な人や、癲癇(てんかん)もちの人などがいる。

彼女らは家庭も子供もある人が多く、仕事もしている。

仕事は物売りが多いようで、先日の講習会もそのお金の管理をどうするか、というのが話題だったし

貸付事業も生業を成り立たせるための手段として、行われているものらしい。



日本でもこういう団体はある?みたいな質問をされて、

恥ずかしながら、そういえば日本にいたときは障害者団体の活動なんてあまり知らなかったなぁーと気づかされた。

日本の障害者も、彼女たちみたいに集まって「どうやって儲けるか?」なんて話をしたりするのだろうか?



障害のなかでも肢体不自由という分野に限定されるが

それでも障害者といわれる方を相手にする仕事をしていたにも関わらずあまりにも無知。

この自分のトンチンカンさ具合に、結構な衝撃を受けたことは言うまでもない。



ブルキナに来なかったら、このことには一生気づかずにいたのかもしれない。

今このタイミングで、こうやって気づきを与えられたことに感謝するべきなんだろうな、と思う。



会に参加しているメンバーのなかでフランス語を話すのは書記のエラのみなので

私はエラの横を陣取ってエラの通訳を聞きながら会に参加していた。

エラは私のことを「RBCAHで働いている日本人で、私たちの活動を応援してくれてるの」と皆に紹介してくれ、

参加者の出欠確認という仕事を私に任せてくれ、

「仲間だから」と会費も徴収してくれた。笑
 一回50フランだから、日本円だと10円くらいね。



会の代表者には

「あなた、今日から私たちの仲間よ。ダコー(=同意)する?」と聞かれ

「もちろんだよ!!」と答えたら

ダコーは現地語で「にゃ!」というんだよ、と教えてもらった。

にゃーにゃー言ってたら、すごく笑われたけどなんだか嬉しかったなぁ。

だって、昨日初めて会ったよくわからない外人を相手に、ウェルカムムード満開なんだもの。



会合のあと、マルシェ方面までの散歩も兼ね、エラ達とぞろぞろ歩いたのだけど、

彼女らは、ボコボコ、うねうね、ぐさぐさの赤土道を手漕ぎ三輪車でぐいぐい進んでいく。

むしろ「疲れたの?」と彼女らに声をかけられる始末。
 まぶしくて渋い顔になってただけだよ

この人たち、ほんとたくましいよ。




「今日はありがとう!また次回にね!」

「次の会合は新年会の相談をするよ。新年会、あなたも来るでしょ?」




なんだか、あれよあれよという間に障害者団体の女性達とお近づきになったこの二日間。

彼女らと何かできるのか、何ができるのか、今は全然わからないけれど

たくましく生き抜いている彼女らとのお付き合いは、私のブルキナ生活のいい刺激になってくれそうです。

彼女らにも「この外人とのお付き合いはいい刺激になってる」って言ってもらえるように、

彼女らのなかに何か一つでも残せたらいいな。

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