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いま、そのとき、かんがえつつあること。

「親があっても、子は育つ」

2008-02-06 | にんげん
坂口安吾(さかぐち・あんご)は、「親があっても、子は育つ」といった。どういうことか。

太宰治(だざい・おさむ)の自殺を批判した「不良少年とキリスト」から引用しよう。
親がなくとも、子が育つ。ウソです。
親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがったできそこないが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。
なんという ぼろくそな いいようだろうか。わたしは、この一節を引用したことの罪により、いろんなひとからイジメられそうである。

安吾は、死ぬまぎわに こどもが できて、たいそう よろこび、親ばかっぷりを発揮していたようだ。

「戦争論」というエッセイでは、安吾は家族制度について、つぎのように批判している。
両親とその子供によってつくられている家の形態は、全世界の生活の地盤として極めて強く根を張っており、それに反逆することは、平和な生活をみだすものとして、罪悪視され、現に姦通罪の如き実罪をも構成していた。
私は、然し、家の制度の合理性を疑っているのである。
家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、本能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、他人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる本能や、人情が、果して真実のものであろうか。…中略…
家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたたかさは、家の子供にはないものである。
人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、わがものとすると私は信じているのだ。
「誰の子でもない、人間の子供」というフレーズが、わたしは とても気にいっている。

安吾は、「私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ」と結論づけている。

この主張が ずっと わたしのこころをとらえてきた。それでたとえば、森巣 博(もりす・ひろし)の こそだて論をよむと、安吾的なものを感じてうれしくなってしまうのだ。モリスの『無境界家族』集英社文庫のことである。

モリスは、「子供に説教をするという行為そのものがわたしにはできなかった」という(9ページ)。また、「「親」という、わかったようなわからないような権威のみを持ち出し、息子に対して「偉そーに」説教することなどわたしにはできない」という(11ページ)。つぎのような一節は、親に、人間に、反省をせまるようなところがある。
自らを無辜(むこ)の位置に置くから、じつは説教というものが成立している。すなわち、他者の矛盾や不義や粗相を指摘、糾弾することによって、自分があたかもその矛盾、不義、粗相からまぬがれていると見なす想定があるからこそ、説教ができるのではなかろうか。
わたしは、その悪から、まぬがれていない。矛盾や不義や粗相だらけの人間なのである。したがって、不登校であろうが何だろうが、わたしは息子に説教をというものができなかった。
——したいことだけをしなさい。やりたくないことはやらなくてもよろしい。
無責任なようだが、これを息子への教育方針とした(12-13ページ)。
なんとも あっぱれなことだと おもう。そして、なんとも すがすがしい。

この『無境界家族』をよんだのは、何年かまえのことになるが、最近になって、またひとつ、いい本をみつけた。紹介したい。

武田信子(たけだ・のぶこ)『社会で子どもを育てる-子育て支援都市トロントの発想』平凡社新書だ。この本をかったときは、ひさしぶりに興奮しながら本をよんだ。ソーシャルワークという職業について、わたしが まったく無知だったからでもある。ともかく、よい本だと おもう。機会があれば、よんでみてほしい。

いやさ、この本をよんで、「やめなさい」とか、そういうことを連呼してしまうのは、日本のせまい居住空間ってのも背景としてあるよなあと あらためて実感させられたのでした。それにしても、「やめなさい」と「したいことだけをしなさい。やりたくないことはやらなくてもよろしい」というのは、なんという ちがいだろうか。


※ちなみに、熱心な安吾の読者だった野坂昭如(のさか・あきゆき)に『親はあっても子は育つ』という講談社文庫がある。どこに しまったっけな。

2 コメント

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Unknown (kadoja)
2008-02-17 17:57:14
「おやがあっても…」とゆーのわ、
「きょーいんが おっても がくせーわ そだつ」
てのと おなじね。えー ことばだ。
おやも、きょーいんも、いちばん だいじな しごとわ
こどもに いらん ちょっかい ださんこと、と。
てつだいお こわれたら、てつだう、と。
じつわ むずかしーんやけど。この スタンス。
いらんこと いろいろ してしまうのよね。
おやも きょーいんも。
じりつの いみ (abe)
2008-02-21 21:48:34
べつに、ほっといても えーってことじゃあなくて、「てつだいお こわれたら、てつだう」てとこが だいじよね。そーするだけに とどめるのが、なかなか むずかしー。なにお すべきか ばっかり かんがえてしまって、なにお すべきでないかわ わすれがち。くちだし できないことわ やまほど あるのにね。きょーいんだろーと、おやだろーと。

あれこれ いわれてたら、そんなに ゆんだったら、おまえが わたしの じんせー いきろって いいたくなっちゃうだろーね。それわ だれにも できないのに。