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いま、そのとき、かんがえつつあること。

ヒトは悪魔か

2005-09-25 | にんげん
◆性善説と性悪説

よく性善説か性悪説かという話がありますが、わたしは どっちを支持するだろう。やっぱり、性善説なんだろう。もし、「どっちか こたえやがれ、こんにゃろー」と いわれたら、ですが。

◆悪魔とは だれのことか

最近、あれこれマンガをよんでいる。ほとんどは、人にもらったものですけどもね。なかなか名作があるもんだなと、いまさらながら感心する。

『ベルセルク』は なるほど人気なだけあって、よみごたえがある。どうしても『デビルマン』をおもいだしてしまうけども。『デビルマン』は、たしか途中までしか よんでなかったような気がする。『ベルセルク』28巻では、「魔女の目からみた人間社会の残虐性」という視点で えがかれている。時代設定がちょうど「魔女狩り」のころなんだよね。「魔女狩り」っていうのは、いっぺん ほりさげてみる価値がありそうですね。なんであんなことをしてしまったのか、ってのをね。

おなじく『デビルマン』の影響をうけているとされている『寄生獣』も、なかなか名作ですね。まだ半分しか よんでないけど。現実には おそらくありえない設定をおくことで、ヒト以外の視点にたって人間社会をみつめなおす。これは、なかなか大事な作業だなぁと納得させられます。なにかを想像してみることの大切さですね。

◆想像力

ヒトは想像力が ゆたかであるようで、じつはそんなに想像力をはたらかせてないのが現実ではないだろうか。肉をたべても、血みどろの死骸を想像したりはしない。台所や洗濯機の汚水が、川にながれて どうなるのかをかんがえない。ささいなものに注目すること、あるいは、日常にあふれたものに関心をもつこと。やってみれば、むずかしいことではないが、やりはじめるのはメンドーなことだ。そんなことしなくても、いきては いけるのだから。とりあえずは。

最近、テレビなどで「メダカのすめる環境」の重要性をうったえる内容のものをみかけるようになった。メダカという、ちんけな生物に注目することで、自分たちが くらしている環境に目をむけるようになる。

「川の水が のめるようになること」を目標にしている人がいるそうだ。たいていの場合、「そんなの無理」で かたずけられてしまうけれど、「そういう発想があるのか!」という おどろきを大事にしたいものだ。冷笑は、なにも うみださない。

◆人間中心主義

「いばるな人間!」というスローガンをかかげている人がいる。なるほど、同感だ。その人は、同時に「わるいのは人間だ」という一般化をゆるさない。人類全体に環境問題の責任があるわけではないからだ。

そこまでは まったく同感なのだけれど、わたしは どうも人間中心主義を肯定してしまう。動物の権利論をみていても、その人たちの倫理観が、ある文化集団や職業をおとしめているように感じてしまうからであり、「人間も動物だ」という主張には、おとしあなが あるように感じられるからだ。

人間中心主義という原則をくずさずに、ヒトと ほかの生物の関係をどのように きずいていくのかを議論することも できるのではないか。そんなふうに おもう。

グーグル:「寄生獣」 / 「人間中心主義」