hituziのブログ 無料体験コース

いま、そのとき、かんがえつつあること。

羊の話

2005-03-25 | 国家と権力
2004年12月13日「書評というメディア」という記事でkantiさんの書評を紹介した。そのなかで今井紀明(いまい・のりあき)『ぼくがイラクへ行った理由』の書評に印象的な部分があった。引用しよう。
「自己責任」に対抗する言葉を, 2004/09/05
本書を読んでふと羊の話を思い出した。出典は忘れてしまったが、こんなような話である。「あるところに柵で囲われた牧場があり、たくさんの羊が食用に飼われていた。人間は羊を出荷するたびに『この柵から出たら君たちは自由になれるのだよ』と羊たちを言いくるめていたので、彼らはみな喜んで柵から出してもらう日を待っていた。ところが、ある日のこと一匹の羊が言った。『人間が僕たちを育てているのは、なんだか食べるためのような気がするなあ』。それを聞いた羊たちは、みな自分が食べられたくないと思った。そこで、彼らはそのうるさい羊を殺してしまった。」…以下省略…
ほかの人の書評をみると、今井さんが話題の人だったこともあって、むちゃくちゃに いわれてますね。

はてさて、kantiさんの羊の話とも相通じる文章を発見しました。ダグラス・ラミスさんの「すべての米軍兵士へ」です。冒頭を引用します。
狼と子羊の寓話を覚えているだろうか。
狼と子羊は小川で水を飲んでいた。
狼は言った。「おまえは俺の水を汚している」子羊は答えた。「そんなはずはありません。私の方が川下にいるのだから。」すると狼は「六ヶ月前おまえは俺を侮辱した」と言った。しかし子羊は「そんなはずはありません。六ヶ月前私はまだ生まれていないのだから」と答えた。それで狼は「とにかく、おまえらはいつも俺たちを侮辱している。したがって、おまえを食ってやる!」。そして子羊を食った。
実のところ、狼はお腹がすいていたのだ。今回、新しい寓話ができつつある。
あ、でもkantiさんの話のほうが おもしろいね。「おなじヒツジ同士」による出来事だという点で。

ヒツジとオオカミといえば、必然的に善と悪が わかれてしまうような印象をうけるじゃないですか。でも、ヒツジ同士だと そういうわけじゃない。「たまたま自分の意見をもったか、どうか」なわけだ。だから、「おなじ民族なのにも かかわらず」というような意味での「おなじヒツジ同士」って話じゃないですよ。あれは、「ちがう民族」なら「理解できるけど」という ふくみがあるからね。

そういえば、わたしのIDってhituzinosanpoですけど、べつにヒツジがすきなわけでも なんでも ありません。ヘボン式ローマ字が きらいなだけで(笑)。

グーグル:「羊 寓話」