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いま、そのとき、かんがえつつあること。

家庭という監獄

2006-02-09 | 国家と権力
どうして家庭というものは、こうも おもたいのだろう。

まず、結婚式なるものが いけない。あんなに盛大にやるもんじゃないよ。おひろめだか、おしらせだか しらないが、だれと だれが いっしょに すもーが、結婚しよーが かってに しなさいよ。結婚がどうして人生の一大イベントになるんですか。たいがい わかってるんだろうにさ。5年後10年後は どうなってるやら わからないってこと、いまの関係のままでは ありえないんだってことを。もちろんね、そりゃ運よく むつまじい関係をつづけてる夫婦ってのは いるんでしょうよ。そりゃ いますでしょ。けどね、運にかかってんだよ。バクチみたいなもんだ。そのバクチで どっちが損をするならですよ、えてして女性が なきをみるならですよ、そんなバクチをするようにしむける世の中の しくみってもんが おかしいんですよ。

籍をいれると いいますね。戸籍制度。なんですか、あれは。国民統制に熱心な軍事体制の発想じゃないですか。なーにがバツイチですか。天皇制と戸籍制度。この くみあわせの すごいのなんの。宇宙やばいとか、そんな次元じゃない。「わったしたち、おばか集団なんですぅーー」っていう、なに? 能あるタカはツメをかくすっていう戦略? 「まぜるな危険」とか、「猛犬注意」みたいなもん?

とどめが経済的にやってけないから離婚できないっていう構造的暴力ですよ。さらに そのひとが病弱だったら どうなりますか。監獄ですよ。そりゃね、献身的なパートナーなら いいですよ。だーけどね、世の中そんなに できたひとばっかじゃないわけ。

現代の かけこみ寺って どこにあるの。だれに たすけをもとめたら いいわけよ。監獄にいるひとたちはさ。ん? 本人は監獄とは おもってないかもしれないじゃないか? あ、そう。そういうこともある。だけど、生き地獄だと おもってるひともいる。

結婚して3年そこらのひとがさ、もうダンナのことは どうでもいい、みたいなこと いってるわけですよ。あほらしいっての、そんな状態で同居しつづけるなんて。だけど、こどもが いるから…ってことで つながってるわけ。つながってんじゃないよね。こどもっていうクサリなんだよ。こども、世間、常識っていうね。

こそだての夫婦分担も大事だけど、ベビーシッターみたいなのをもっと活用できるようにしないといけない。もっと こそだてに他人の手をとりいれようって。あれ、どのひとが おとうさんだっけ、みたいな。親が だれなんだか あいまいになるくらいに。

ひとりぐらしよりは、複数で いっしょに生活したほうが経済的で、効率もいい。それは わかるんですよ。だけど、それが血だの愛だので つながってなきゃいけないって はなしはない。いそうろうが いてみたりですよ、下宿生がいたりですよ、近所の子が あそびにきてたりですよ、そういうクサリのない生活の場。ちょっと、そういうことになると なんだか宗教がかってくるんだけどさ。こうるさくないなら、宗教的でもいい。肩が こらないならいい。

わたしが ねがうのは、努力して がんばりぬいて、うらぎられて絶望して、みずから死んでしまうような、そんなことが おこらないような社会ですよ。自殺? ころしたのは社会だっての。

あるひとに西原理恵子(さいばら・りえこ)さんの『ものがたり ゆんぼくん』を紹介したら、えらく感動していました。もっと はやくに よんでいたらと いっていました。よみかえしてみると、なるほど すてきな こそだてマンガです。家出文学といいうる名作です。常識にとらわれずに、自分で つくりあげた価値観をつらぬく。坂口安吾(さかぐち・あんご)は「人生はつくるものだ」といいました。ひとひとりが、自分の人生をつくりあげていけるような、そんな社会環境をつくっていかねばなりません。
人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。自分一人だけがそうなんだから。めいめいがそういう自分を背負っているのだから。これはもう、人間同志の関係に幸福などありゃしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、よく生きなければならぬ。(安吾「教祖の文学」より)
このセリフが空虚な絵空事のように感じられるひとが いるとするなら、わたしは かなしい。そんなふうに感じさせる社会のありかたが、どうしても ゆるせない。なんでも いいから できることをやらねばならん。すこしだろーが、きやすめだろーが、いやなものは「いやだ!」って いいつづけるために。

グーグル:「ものがたり ゆんぼくん」