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いま、そのとき、かんがえつつあること。

なにごとも なければ平和なのかって問題

2008-04-19 | 国家と権力
ことなかれ主義って いやだねえ。

なにも事件が おきなきゃ それで おっけーってのはですよ。ちょっと、そこの おまえ、だまってろってことになるじゃないですか。

がまんしなさいってことになるじゃないですか。文句をいうなとか、そういう はなしになるじゃないですか。

おさえつけてるよなあ。おさえつけられてるよなああああ。

韓国の自由主義者の左翼評論家のピョン・ヂョンスさんが『満場一致は無効だ』って本をだしてるんですよ。これが いい本でね。

ピョンさんが いうに、「意見の一致が のぞましいものであるとされるかぎり、最小限の「コンセンサス」に到達することさえできないだろう」(7-8ページ)。うひゃ。逆説的だよね。
満場一致は不可能なだけにとどまらない。たとえ それが可能であるとしても、それこそが…中略…もっとも危険なことである。それならば、のこる問題は、「だれもが同意できる不変の真理」ではない。究極的に一致しようのない数おおくの意見のなかで、「わたしは どの立場にたつのか」という問題だけだ。(8ページ)
対立するのは どうしようにも、それは必然とさえ いえるものでしょう。対立するのをおそれてはなりません。ちがうってことをいやがっては なりません。

ちがったり、対立したりするなかで、たくさんのあれこれのなかで、わたしは、さて、どうするのかということ。


韓国は最低の国家だとか、中国共産党は最悪だとか、そういった批判をいうことに ためらうひとが いるようです。これが よくわからないんですね。日本政府は、ろくでもない。最悪だ。それと おなじことで、アメリカ政府も中国政府も最悪なんですよ。それと おなじ線に、朝鮮民主主義人民共和国の最悪さも位置しているわけで、全部ひっくるめて、批判していけば よろしいことです。「外国」であるからという理由で批判するのをためらうってのは、よくわからない配慮です。わたしには、よくわからない。

だって、中国でもどこでも、「わたしの たいせつなひと」が、そういう国家というものに抑圧されているならば、断じて、中国共産党は最悪だと いってしまわないといけないものですよ。「外国」だからって批判するのを「遠慮する」というのは、「そこ」に たいせつなひとが ひとりもいないっていう、かなしい現実にすぎません。


もっと いえば いいんですよ。韓国って最悪の国だって。

まあね、ただ、「この地」で生活しているのに勝手に国境線だとか いって きりとられて、勝手に おまえの国籍は どこどこだなんて うまれたときから きまってて、なにそれ そんなのしらねーよでは すまされなくなってしまっているから、なんだ うぜえ。なにがクニだ、くそ、とか いいながら、わたしは反日。ハンニチです。アンチ・ニッポンだよ。そういうことをひきうけて、まあ、いきていきながら、いろんなところに たいせつなひとをつくって、そして、どんどん反アメリカ、反中国って、「ともだちの輪=反国家の輪」をひろげていけば いいのですよ。

国際交流? へへへへ。おもしろいことばだよね。国際交流。


あたしとって、国際交流とは、あらたに もうひとつ、反対し、批判の対象として攻撃すべき国家が ふえるってことですよ。あたりまえしょうが。

「外国」に ともだち つくって、中国って いい国だなんて いってるひとは、信じられませんね。中国に ともだちできたら、中国って なんて最悪な国なんだろうって感じられるようにならなければいけません。それが国際交流。はい、これ、わたしの こたえです。