伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

戦没者追悼式の遺族の言葉が胸をうちました

2018年11月07日 | 市議会
 11月2日に開かれた戦没者慰霊祭の遺族の追悼の辞が胸を打ちました。この言葉をどう受け止めたのか、議員だよりの記事に書きました。

 ご覧ください。



戦争と平和・憲法が問われる秋
戦没者遺族の追悼の辞を胸に置いて考えたい



 前号既報の通り、市議会の新しい構成を決めた10月臨時会では、2017年度の決算に対する採決が行われ、全19決算が認定されましたが、日本共産党市議団は一般会計決算など3議案を不認定としました。このうち、一般会計決算に含まれる自衛隊入隊者の激励会開催決算を不認定とする理由にあげていました。11月2日、いわき芸術文化交流館アリオス中劇場で開かれた「いわき市戦没者追悼式」の追悼の辞を聴いて、不認定としたこの決算をあらためて思い起こしました。



■会場満たした戦争の痛みと平和への希望

 追悼式に出席した戦没者遺族は350人程でしょうか。例年のように、追悼の意を示す黒い服装が会場をうずめていました。

 式辞で清水敏男市長は、「先の大戦に学んだ教訓を次の世代に伝え、世界の平和に貢献したい」と市議会を代表した議長は、「恒久平和に貢献することが犠牲者を償う道」と追悼の辞を捧げました。



 国民に310万人の犠牲を出し、73年前に終わった戦争に寄せ遺族代表の追悼の辞には、心を震わせるものがありました。

 遺族代表は、40年前にも、壇上で追悼文を読み、その時、英霊とした約束を思い起こしていると語りながら、忌まわしい戦争という時代を背負い満州に渡った母と軍人である父の結婚、捕虜となった父の連行と、子ども2人を引きつれた母の引き上げの苦労、そして父の実家で帰りを待ち18年後に無言の帰還を果たした父、物事の善悪などを教えてくれた母も、父の下に旅立った家族の歴史を語り、次のようにのべました。

 「今日の平和と繁栄は、戦禍に尊い命をささげられた戦没者の尊い犠牲に築かれました。悲しみの歴史を二度と繰り返さないこと、戦争の悲惨さと平和の尊さを風化させず未来に語り継ぎ、希望に満ち溢れた社会を維持していくことが遺族の使命です。
 時が戦争の傷跡を癒しながら、戦争経験者を減らし、戦争の悲惨さという感覚を持ち去ろうとしていますが、決して忘れてはいけません。戦争に勝者はなく、残るのは多くの涙だけと戦争経験者が言っていましたが、戦争の教訓と平和の尊さを次世代に伝え、悲しい歴史を二度と繰り返さないことを誓います。
 遺児として、追悼の碑が長く引き継がれることを心から願っています。」

 戦争が残した痛みと平和への希望が会場を満たしました。


■戦争できる安保法制は遺族の願いに応えない

 今の日本社会は、遺族の思いに応えているのでしょうか。

 戦争の教訓を忘れ、絵画に送り出した自衛隊に、米軍との共同作戦と先制的に武力行使をできるようにしたのが安保法制(戦争法)でした。

 この法が初めて適用され、武力行使を前提にした駆け付け警護等の任務を付与された自衛隊の施設部隊が、南スーダンに初めて派遣されたのが、この決算年度でした。

 引き続き、米輸送艦の自衛艦による警護など、米軍との共同作戦の準備もされています。

 歴代自民党政権の中でも、専守防衛で自ら武力行使をしないはずだった自衛隊は、いまや、海外で武力行使を含む任務を自ら遂行することができる実力組織に生まれ変わっています。

 東日本大震災で、被災者救援に奔走し、「人の約に役立ちたい」と若者たちの心をとらえた自衛隊は、一方では、戦争をする“普通の軍隊”ともいえる状況にあるわけです。

 本市は恒久平和の思いをこめた非核平和都市宣言です。若者の希望をねじ曲げる今の自衛隊への入隊を激励することができるのか。そこに決算を不認定とした理由がありました。


■軍隊明記の憲法案審議求める安倍首相

 10月24日に開会した臨時国会の所信表明演説で安倍首相は、「国の理想を語るものは憲法だ。憲法審査会で政党が具体的な改正案を示す事で、国民の理解を深める努力を重ねていく」と、国防軍の明記などを内容とする自民党改憲案を議論のまな板にのせることに意欲を示しました。

 暮らしの問題とともに、戦争と平和・憲法の問題が問われるこの秋。戦没者遺族の追悼の辞を胸に、これらの問題を考えていきたいと思います。

【伊藤浩之】



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