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「うたことば/宇多田ヒカル」13時台前編

2019年12月12日 21時52分41秒 | Hikki
13時~

鹿野淳さん(以下、鹿野)「何か宇多田ヒカルさんの歌って僕ね、結構12月になると、若しくは世の中の人って、例えば冬休みとか会社がお休みになってから、部屋の整理とか1日かけてしたりするじゃないですか。僕ね、あの時に宇多田ヒカルさんの曲をランダムに、ボーッとかけることが何年間かあります。これからも多分あると思うんですけど、凄く年末、若しくは総括、自分の1年間を、しやすいんですよね。だから今日も、そういうものになって貰えたら嬉しいなと」

向井慧さん(以下、向井)「鹿野さんにとっての宇多田ヒカルさんというのは?」

鹿野「でもね、その話で今思ったんですけど、久美子さんとかヒカルさんとか、ちょっとだけ年齢が上なんですけど椎名林檎さんとかね、例えばaikoさんとか、何しろあの辺のあの感じの時代観、若しくは女性観がポップミュージックを変えたっていう部分は、非常に大きいんですね。これほんと時代性です。その90年代の終わりから2000年代の始まりの中で、その辺のお話まで出来たら、今日は嬉しいなと思うんですけどね」

向井「鹿野さんが実際に宇多田ヒカルさんを認識したというのは、いつ頃なんですか?」

鹿野「僕、2001年の2月に初めて取材をさせていただいていると思うんですけど、これはどういうタイミングかと言うと、セカンドアルバムの『Distance』というアルバムの取材です。で、自分は当時『ROCKIN'ON JAPAN』』のロック雑誌を作っていて、まぁ割りとゴリゴリのロック雑誌を作っていたんですけど、2000年に入ってから、ロックバンドが沢山解散とか活動休止をするようになりました。
具体的に言うと『BLANKEY JET CITY』とか『THE YELLOW MONKEY』とか『JUDY AND MARYとか』『THE STREET SLIDERS』とかね。その所謂ロックバンドが居なくなっていく訳ですよ。で、これ、僕は12ヶ月間本を作り続けなくちゃいけない人間として、表紙になるアーティストがどんどん居なくなっていっちゃって、これまずいなぁと。で、これは裏を返せば、ああ時代が変わるんだなぁという事を感じる訳ですね。で、その時代に勿論新たなロックバンド観を持った人達も出てきたんですけど、じゃあ例えば『くるり』とか、まぁそういうバンドです。『BUMP OF CHICKEN』とかも勿論そういうバンドです。でも同時に、そういう時代の穴がやっぱりあったと思うんですけど、そこにパーンと来たのが、例えば椎名林檎さんの、あのデビューのセンセーショナルなものであり、そして浜崎あゆみさんの絶対的なブームであり、aikoさんの女性が家でひとりで聞いて、もう本当にありがとうっていうラブソングの数々であり、これがポップミュージックのあの当時の構造をね、女性アーティストが一気に、しかもかなり若かったですから、当時皆さん。
だから椎名林檎さんは、まぁ、その女性アーティストのカウンターミュージックを確率した女性アーティストで凄い。女性アーティストというものを超えた凄さみたいなものを音楽として出した。aikoさんはさっき申し上げた通り。浜崎あゆみさんに至っては、例えばそのファッションとして、ひとつのブームを作っていった。その音楽というものが持てる可能性、いろんなものの中で、女性アーティストだけが作る音楽だけで時代を構成する事が出来るようになった、非常に珍しい時代が2000年代から2001年の間だったと思うんですよね。
で、そこのところでセールス、そして人気、ある意味別格としていたのが宇多田ヒカルさん。で、その時に取材をさせていただきました」

(曲紹介『First Love』)

向井「(投稿者コメントを読んで)そういうちょっと大人の人との恋愛みたいなところを、確かにこの曲に重ねる感じはあるかもしれないですね」

鹿野「でもその重ねる曲を作った方が、おいくつだったのかっていう。びっくりですよね。これ、だって16歳とか17歳とかの筈です。『最後のキスはタバコのflavorがした ニガくてせつない香り』びっくりですよ。ただ彼女の歌って、物凄くエネルギーがあるから、そのエネルギーの大きさ故に、滅茶苦茶リアリティーがあるじゃないですか。でもリアリティーがあるんですけど、どう考えても彼女はリアリティーがある歌として、これ歌ってるのかどうなのかっていうと、そうじゃないんじゃないかなっていう方が。
まぁ、16、17歳ですからね。正しい訳ですよね、何かその感じがもう未だに宇多田ヒカルさんの全てに繋がってるんじゃないのかなぁと。つまり、今であって今でない、此処であって此処でない、そして何処に居るのかもわからないんだけど、確かなものとしてそこに居るみたいな。
だいたい彼女の場合はアメリカでの生活というものが特にずっと長かった訳で、そこの中で一番最初に12歳くらいの頃にレコーディングした、その外国名名義の家族で作った作品がある訳ですけど、それを置いといて、その後、本格的に宇多田ヒカルとして出てきたのは日本な訳で、だから彼女は自分で仰ってるんですけど『私はアメリカ人でもないし、そして日本人でもないし、何かわかんないんですよね』と。だからずっと多分その感覚のままいらっしゃると思うんですよ。それこそ昔ね、女性でいるのが嫌だったと。胸も無茶苦茶押さえ付けたりとか、スカートを履くのも嫌で、友達と波長が合うのも、いつも男性だったと。これは多分男性的だったという話じゃなくて、いつも定点がない。その定まっていない彼女の感覚っていうものが、その彼女の人格と。言ってみれば音楽観というものを形成してるんじゃないかなぁとも思うし。ジャンルに押し込む方が面倒臭いんですよ、彼女の音楽は。
宇多田ヒカルという人生観と音楽観は断定出来ないと言っているようなもの。それの奥には、彼女自身のカルマみたいなものが沢山あるんじゃないかなと。この『First Love』というのも、正にそういうところから出てきた、言ってみれば彼女の処女作シーズンのひとつの作品ですから」

(『熱量うたことば』のコーナーで鹿野さんが選んだのは『ぼくはくま』)

鹿野「この曲のインパクトは凄かったですね。これ実際ヒカルさん自身も、この曲はやっぱり特別な曲だと凄く思われてるんですけど。それはこの曲を作る前にね、彼女は海外活動をされてるんですよ。海外で英語表記としてのご自分の名前で海外デビュー。そして海外でアルバムを出したんですね。それが彼女にとって改めて自分の音楽観っていうものを凄く感じる。物凄く究極で言うと『日本でも私の音楽はとても浮いていました。自分が子どもの頃から自分の生活慣習も植え付けられたアメリカに向けて音楽を作ってみて、そこで音楽を鳴らして貰った。やっぱりアメリカでも浮いていました。私は何処でも浮くんだなぁ』っていう。これは良いことでもあり、悪いことでもありますよね。浮くっていう事はどういう事かっていうと、ポジティブに言えば独立している。オリジナルだということで。で、そうじゃなくてネガティブに言えば、困ってしまう。途方に暮れてしまう。その、オリジナルでもあり途方に暮れている日々の自分の営みというものが、音楽になっていくという。これは非常に宇多田ヒカルの音楽の要素になっているんじゃないかなぁという風に思うんですけど。
そういう中で、改めて彼女自身が自分の音楽の中で、日本でもアメリカでもない、宇多田ヒカルの音楽として新しい挑戦をしようと思った時に、彼女の場合、どちらかと言うとアメリカとかね、ヨーロッパとかってリズムから音楽を作っていく事が多いんですね。だから世界のポップミュージックってリズムからレコーディングが始まっていって、最後に歌を乗せるっていうのが日本の音楽でさえ定石なんですけど、これはそもそも、楽曲というのがリズムから生まれてくるところから端を発している部分が多いんですよ。で、彼女の中でもそういう素養がそこまで強くあった筈なんですけど、でも歌っていうものとちゃんと向かい合ってみて作ってみようと思ったのがこの曲で、それを作ってみました。そうしたら正に『みんなのうた』になったと。具体的に言うと、宇多田ヒカルという、言ってみれば日本記録を持っているアーティストとして彼女の音楽というのは見られがちなんですけど、だけどこの『ぼくはくま』っていう曲に関しては、宇多田ヒカルっていう人が何だかを、若しくは存在も知らない小さい子でも、そして存在も知らない物凄いおじいちゃんもおばあちゃん…という方までがみんな、あぁこの曲楽しいなぁ、いい曲だなぁっていう風に思う曲を作れたっていう事で、彼女の中でもひとつ鍵穴に穴をさした部分が大きかったみたいで。
(子ども向けの歌ということで)まず歌詞の情報量が凄く少ない。そして裏側にある意味みたいなものも一瞬聞くと、少ない。でも、物凄くこの歌詞には裏側に意味があるんじゃないかなと思うんですよね。
この『くま』は枕な訳です。彼女がずっと慣れ親しんでいた枕だという風にも言われておりますが、作者にとってこれは『くま』というよりは、自分の枕なんですよね。彼女にとって枕は、非常に貴重な、数極めて少ない友達。そして自分が本音を言える相手だった訳です。それはもっと言うと、つまりは枕にしか本音を言えない彼女の幼少期があるように、この曲を聴いてると思える。
そしてこの『ライバルはエビフライだよ』。僕はここから実際彼女が何処まで考えてたかはわかんないんですけど、ダブルミーニングをどうしても感じてしまうんですけど、エビフライっていうのは例えば、ご飯としてエビフライ、カレー、ナポリタン、これ一番の大衆的なものですよね。その大衆的な凝り固まった観念みたいなものが音楽家としてライバルだっていう。だから私はそれを崩してくんだっていう意味合いを、ひとつ感じるんです。
若しくはそうではなくて、何でもとりあえずエビフライを食べておけばいいや、若しくはそういう固まったものの都合の中で過ごしてしまった時間に対して、いやもっと他のものが自分は良かったのにっていう意味でのライバルっていうね。それは裏側に凄く寂しさを感じますよね、みたいなものなのかなっていう風にも感じるし。
最後の方で『冬はねむいよ 夜はおやすみ 朝はおはよう』それを言うのが、この『くま』だったんだっていうね。それが彼女の自分の生業だったとしたら、その話は自分に当て嵌めると、とても寂しいじゃないですか。っていう部分があるのかと思って」



鹿野「前にインタビューをした時に、こういうお話をしていただいた事があるんですけど。『自分の生きてる感覚っていうのは、眠ってるようなもんなんですかねぇ』と。常に。夢でもいいっていうか、それくらい不安とか怖いっていう意識が無いんだと。『夢の中だったら何があってもいいじゃないですか。だから怖くないじゃないですか。だから私にとって、この生きてるっめこと自体が何か夢の中のような、ほんわかしているような感じがあって、何とも言えないんですよね』というお話をしていただいたんですけど、この感覚って、白でも黒でもないお話だから、こうやって言葉にしていって理屈付けしていくと全く理屈にならないし、解決が出来ない話になるんですけど、でも僕らって、大抵の人は真っ白な瞬間とか真っ黒な瞬間なんてほぼ無くて、その間の中で行ったり来たりをしてる訳じゃないですか。
で、その間の中で行ったり来たりしている部分って、なかなか音楽若しくは歌詞っていうものでは言い切ってくれないものなんですけど、それを言い切らなくちゃいけないもんだと思ってるから、言い切る事によって、その真ん中にある事って伝えられないものになっていくんですよね。
でもそれって90年代以降そうだとね、思っているんですけど、でもそういう中で彼女のこの生き方、そして彼女のメッセージ、そしてこれだけ極めて情報量がない、そこを言い当てているっていう風にキャッチする方って沢山いると思うし、僕はその部分で子ども向けに紹介された曲なんですけど、これは子ども向けでもないし、みんな向けでもなくて、言ってみれば本当に宇宙の曲だなぁっていう風に思うんですけどね」

(曲紹介『ぼくはくま』)

鹿野「彼女の曲の中で、未だに一番言葉が入ってくる歌なんじゃないのかなと。それはさっき申し上げたように、サウンドアレンジとしても言葉の為の音しか、最小限の物しか入れてないし、それだけ歌いたかった歌としてきこえてくるっていう部分も伝わってくるんじゃないのかな」



鹿野「インタビューでお話されていたんですけど、この曲が出てからお父さんからメールが来て『これ、やっぱり親への怒りの歌なのかなぁ』というメールが来たんですけど、本人の中では、もっとふっと出ちゃったものだから、別にこの曲で何かを訴えたい訳でも、何かを申し上げたい訳でも全然無いんだっていうね。話のオチがあるところもヒカルさんらしいなと思ったんですけどこれ、自分の子どもから歌われたら、自分の事に置き換えたら完全にアウトだと思うんですよ。実際はね、そういう気持ちを込めて作った訳では全然無いという。だから彼女はね、インタビューで『中途半端に受け入れられないんだったら、求めない。願いが叶わないって事を学んだら、もう願わない』っていう事を言ってるんですね。これ凄いですよね。
ポップミュージックって結局中途半端に受け入れられているところから、もっとっていう事を作っていく事で成立してる部分が多いし、願いが叶わないかもしれないんだけど、でも叶えたい。東京ドームまだまだ先なんだけど、東京ドームでライブやりたいみたいなね。そういうものを押し進めていくのがポップミュージックとかロックミュージックとかのストーリーだったりする訳じゃないですか。もうそれ、全然いらないですからっていう。この時点で音楽に対する立ち向かい方が圧倒的にオリジナルなんですよね。
これもう、23、4歳くらいになられていたんじゃないかなと思うんですけどね」

(曲紹介『蹴っ飛ばせ!』)

鹿野「この曲威勢がいいじゃないですか。やっぱりまずシングルのカップリング特有の曲だなぁと思うと共に、30代のヒカルさんが歌わない曲だなぁっていうか、10代っていうものが聞こえてくる曲だなぁとも思うし、そういう意味では初期の宇多田ヒカルというものを凄く生々しく感じる歌だなぁと思いますよね。
(中略)カップリングってみんなね、楽しんで作ってるんですが、ミュージシャン、多くの人は。それは表題曲ほどちゃんと役割が無いし、だから自分の今、何か本音を出したりとか、そういう貴重なアーティストにとってのリハビリっていうか何て言うか、凄く自分が新陳代謝出来る大事なものなんです。だからそういうカップリングっていう概念もこれから先無くなっていくと、こうやって蹴っ飛ばせなくなっていく感じが何か出てきたら、それはそれでひとつちょっと寂しくなっていくよなぁと、この曲を聴きながら。何か、蹴っ飛ばしてますよね、凄くね。
彼女の場合、この曲とかもやっぱりそのちょっと元気を出そうよっていうね。そういうムードがあって、それは自分もそうだし、周りもそうだし、っていう事を感知した時に、こういう歌を敢えて蹴っ飛ばせっていう言葉をね、敢えて元気のいい跳ねたリズムで歌ったりとかすると思うんですけど、何かそういう世の中がどうのこうのっていう、誰かに対してっていうよりは世の中のムードっていうものに対しては、凄く自覚的な歌を非常に作ってるなぁという風に思うんですけど、それって例えば僕大好きな曲でね『travelling』ってあるんですけど、あれからの感じで、あれって2001年の後半に出てる歌なんですけど、この曲2001年って9月の11日に世界が大変な、世界中がぶっ壊されたような気持ちになる事が911ですね。テロ事件があった訳じゃないですか。あの後で何ヵ月か経って、これが出てる訳ですよ。
ニューヨークっていうのは彼女にとってもとても大切な場所だったんじゃないのかなっていう事も想像するんですけど、僕はこの曲のいろんな部分から、タクシーとかアスファルトとか、それこそtravellingとか、そういう部分から凄くニューヨークっていうものを感じるんですよね。つまりは彼女の中で、911以降はこのダンスビートでみんなでほんの少しでもいいから、心と体を動かせる事が音楽によって出来るんだったら、そういう音楽を作りたいっていう気持ちがとてもそこには込められていると思うんですけど、つまりはそれを歌で直接言う訳じゃなくて、リズム、そして断片、そして自分の心情っていうものを全部合わせて作っていくっていうは、ある意味音楽としての究極のメッセージソングなんじゃないのかと思ったんですけど。そういうリズムと歌心と、自分の心情っていうもののバランス感覚が、彼女の音楽家としてとても優れているなぁと。『蹴っ飛ばせ!』もそういう曲ですよね」



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