HiroGのフォト&トランペット

写真とトランペットに関する個人的雑感記録です。

夏休み最後の日

2008-08-31 | フォトグラフ
一般には9月から新学期が始まりますが、三女はもう1週間前から学校に行ってますし、次女はあと2週間は休みらしく沖縄旅行の準備に追われています。我が家では夏休み最後の日という気分が全然ありませんね。久々に弟一家と横浜に行ったり長女が里帰りした先週が、一番夏休みらしく感じました。

藪の出口は?

2008-08-31 | トランペット
音を出しながら時々歯の間隔を確認しています。ちゃんと開いていない時は細くつまったような音色になるので分かるのですが、歯の間隔が狭くなったこと自体は感じられないので、練習中は時々音を止めて小指の先で間隔を確かめています。きっと演奏中は音で判断するのでしょう。問題は、狭くなったと思っても、元通りに広げることがなかなかうまくいきません。正しく広がっているときの感じを体に覚えこませる必要があるのでしょう。昨日は3時間ほど試行錯誤していましたが、藪に嵌って出口がまだ見えない状態です。とにかく走り続けたいと思います。
 今日は最後の全体練習、ここでは音出しに拘っている暇はありませんので思い切りやってくるだけです。そして本番は1週間後、どう考えても大丈夫とは思えませんね。

記念写真

2008-08-31 | フォトグラフ
風に乗って飛ぶ姿は優雅で流線型にみえるカモメですが、水に浮かんでいる時は鴨などと同じように普通の鳥のシルエットをしています。そして正面に回ると、このように可愛らしい姿に。軽やかに飛べるようにはみえませんよね。

秋の空

2008-08-30 | フォトグラフ
8月最後の週末は蒸し暑くなりましたが、空は高く秋に入ったことを感じます。
 今日はこれから東京へ出張。明日は午後1時から10時までレッスン、パート練習、合同練習が続きます。耐久レースみたいなスケジュールで、楽しいような気が重いような。
 それでは、しばし御無沙汰します。

This Time By Basie!

2008-08-30 | トランペット
カウント・ベイシー楽団が結成されて25年ほど経った1963年5月に来日公演がありました。楽団最盛期に生演奏が聴けた人々は感動したでしょうね。私は当時生まれていましたが、ジャズとの関わりといったらシャボン玉ホリデーのクレイジーキャッツくらいでした。このアルバムは、その年に日本で発売されたもので1950年代のヒットソング「わが心のサンフランシスコ」、「ムーンリバー」、「フライミートゥザムーン」などが収録されています。名アレンジャー、サミー・ネスティコが参入する前のこのアルバムは、あのクインシー・ジョーンズがアレンジしています。クインシーはクラーク・テリーからトランペットを習い、ガレスピー楽団、ベイシー楽団でもトランペットを吹いたようです。当時30歳のクインシーはすでにアレンジャーとしての頭角を表していたんですね。
 演奏は決して音が密すぎず、軽やかでいてサックスのしっとり感、トランペットの華やかさがとてもよく出ています。先週イクスピアリの土産物屋で聴いたディズニーナンバーのビッグバンドに似ている気がします。生で聴いたら最高でしょうね。
 ビッグバンドは夜のお酒によく合いますが、こうやって休日の朝にレコードの針を落としてゆっくり聴くのもなかなか良いです。当時1,800円のアルバム、今の感覚ではいくら位なのでしょうね、先週買ったこのレコードは300円でした。

ビッグバンド

2008-08-30 | トランペット
徹夜ボケで日時の感覚がおかしくなったので、気付けに用語の整理などしてみたいと思います。

ビッグバンド:(スイング)ジャズを演奏する大人数のアンサンブル・バンド。ホーンセクション(サックス、トランペット、トロンボーン)、リズムセクション(ベース、ドラムス、ピアノ、ギター、パーカッションなど)で構成されている。

ジャズオーケストラ:ビッグバンドとほぼ同義。時代的には1930~1940年代のスイングジャズを演奏することが多いが、最近はアフロキューバン、ビバップ、フュージョンなんでもOK。要するに15~20人前後のホーン、リズムセクションで構成されていればジャズオケと称して可。

ウィンドオーケストラ(ウィンドアンサンブル、吹奏楽):
木管楽器、金管楽器、弦楽器(主にベース)、ピアノ、打楽器によるアンサンブル。国や組織によって構成楽器や演奏曲に差がみられる。賛美歌、行進曲、交響曲からポップス、ジャズまで幅広い。日本では管弦楽団の弦楽器パートを木管楽器が担当してクラシックを演奏するスタイルが多い。

ブラスバンド:厳密には金管楽器だけで構成されたアンサンブルで、直射日光や湿気に弱い木管楽器を用いないので、野外での演奏に適している。しかし、英国式ブラスバンドのことを指したり、日本では学校の吹奏楽部のことをブラバンと言ったり、けっこう混乱している模様。

マーチングバンド:行進を目的としたブラスバンド。ミリタリー、パレード、ショーなどで利用される。歩きながら演奏できるように特別に設計された楽器(スーザフォンなど)も使用する。

シンフォニーオーケストラ:管楽器、弦楽器、打楽器で構成されたアンサンブルで最も多人数。時代的に、ヨーロッパで作曲されたクラシック音楽を演奏することが多い。

みかけの構成や演奏曲目は、大体上記のように分類されていますが、実際はどっちに属するのか分からない場合も多いようです。例えば、ニューオリンズの黒人が編成したブラスバンドはジャズオーケストラなのか、ブラスバンドがジャズを演奏しているのかよく分かりません。でも、どうみても吹奏楽団にはみえませんね。また、構成はジャズオーケストラでも、全員がノリノリのアフロキューバンでルンバやサルサを演奏していたらラテンバンドの方がしっくりくるかも。
 要は、構成よりも誰が何をやるのか、の方が重要ということでしょうか。

徹夜のつけ

2008-08-29 | フォトグラフ
昨夜練習と反省会が終わった後に臨時の仕事が入って、結局家に帰ったのは夜が明けてからでした。久し振りの徹夜です。若い頃は何とかなっていましたが、今ではきっとつけが大きいだろうな、と思っていたら案の定。日中は気が張っていて普通に仕事していたのですが、17時を過ぎたら体が重くて急に気力ダウン。早々に切り上げて7時前に軽く食事したら、もう起きて居られなくなりました。遣り残した事務処理とトランペットの練習が気になるものの、やむを得ず床に入りました。
 さっき、目が覚めてすごく熟睡した気分、外が暗いのでまだ夜明け前だったかな、と思って時計をみたら、……「22時22分 ??」。
 今が何日なのか、とっさに判断がつきません。ひょっとして丸一日以上寝てたってこと?   いやあ、変な気分ですね。目が覚めてもうすぐ1時間が経過しますが、まだ金曜だということが信じられません。なんだか騙されているのか、ぼけてしまったのか?  もう少し起きていて、夜中になったら寝直すことにします。

馬の背

2008-08-29 | フォトグラフ
今年は局地的な豪雨が頻繁にみられます。今朝も道路が冠水する雨の直後にご覧の通り青空がみえていました。そして太平洋上にはまだ雨雲があり真っ暗、海のすぐ上の低いところには乱層雲がもくもくとたなびいていました。快晴と嵐の同居ですね。

常に口を開けて

2008-08-29 | トランペット
今週のMさんワンポイントアドバイスは、ダブルタンギング、ハーフバルブ、スタッカート。
 ダブルタンギングはやり方を知っているのでOK、出来るかどうかは自分の練習次第です。ハーフバルブは原則として全てのバルブを半押しするのですが、イメージとしてはまず半音下を狙っていくのだそうです。例えば1,2でラの音を吹いているときは3を半押ししてソ#を、2でシを吹いているときは1を半押ししてシ♭を狙います。音程が急に下へ移動しない様に連続的に下げるのはブレスコントロールで。これはリップスラーのときと同じ、常に歌うように吹けということです。
 スタッカートはしっかり「ン」と止めること。演奏している曲は全てラテン(アフロキューバン)リズムなので、同じ乗りで吹かないとリズム感が出ないようです。たった一音吹くのでも、けっこう難しいものですね。
 今日は、いつもより15分ほど早く練習に行ったのですが、すでにサックスのTさんが来ていました。Tさんはいつも一番乗りで、こっそり耳寄りな情報を。「全体練習は8時からだけど、この場所は7時30分から借りています。でも7時に入っても大丈夫。たぶん6時30分でもOKだよ!僕はやってるけど文句言う人はいないから。」ということは、最高1時間半も思う存分音出しして個人練習できるわけですね。来週から楽しみです。
 今日の練習は、とにかく口を開けて吹くことを心がけました。まだ板にはついていませんが、出てくる音が心なしか太く感じ、気持ちよかったです。毎日こんな風に吹ける環境が欲しいですね。まあ、贅沢は言えませんので今日は自作防音室に入ります。

リハビリ

2008-08-28 | トランペット
音楽家が創造性を高めるには音楽以外の経験を重ねることも大切らしいです。そういえば日野皓正さんは、絵画にも造詣が深いですよね。人間性が広がればそれだけ音楽も豊かに表現できるのでしょう。
 私の場合は、音楽性以前に音が出るかどうかが問題なので、まるで運動機能回復のリハビリをやっているようなものです。そうすると師匠はさしずめ理学療法士ということになりますね。ちゃんと歩ける(吹ける)ようになるまで、真剣に付き合ってくれる頼もしい存在です。先週で32回目のレッスンでしたが、最近師匠は初めの頃のレッスンで話してくれたトランペットの吹き方を繰り返し説明してくれます。私の吹き方がいいとか悪いとかは言いません。
 今日、元大学の教授だった先生の話を聞くチャンスがありました。英国の教育についての話でしたが、イギリスの先生は徹底的に生徒を褒める訓練を受けるそうです。生徒が何か正しいことをしたら、どんな些細なことでもすかさず褒めちぎる、反対に悪いことをしてもあまり怒らない、とくに注意をするときに規則を守れ、とか責任を持てという言葉は絶対使わないそうです。もし否定的な状況で規則とか責任という言葉を使うと、子供達はこれらの言葉に嫌なイメージを持ってしまうからです。褒めるときにだけ「あなたは責任ある行動をとりましたね。」という風に使えば、責任という言葉に誇らしい崇高なイメージを持てるようになる、ということでしょう。
 師匠が私の吹き方についてコメントしないのは、イギリスの先生と同じかも知れません。どうも口をつぐんでしまう癖がある私は、ちゃんと開けて吹くように練習中ですが、まだコツがのみこめないでいます。師匠は今「違う」とは言わず、ちゃんと出来たときに褒めてくれるのかも知れません。そのおかげか、未だに出来ないことも、毎日音出しの試行錯誤をしていることも、嫌になったり苦痛に感じることはありません。ただ、ビッグバンドで音がちゃんと出せないことは気になっていますが。
 今日もロングトーンをしながら、時々マウスピースをはずして歯の間隔を確認したりしています。早くリハビリから音楽に進みたいですね。

トランペットの魅力

2008-08-27 | トランペット
以前から気になっていた疑問があります。どうしてトランペットが流行ったんだろう?といっても何のことか分からないと思います。
 19世紀まで、オーケストラで使われるトランペットにはバルブが付いておらず、倍音だけで演奏していましたた。ですから、ある程度のフレーズは吹けても旋律を担当することはなかったようです。それに対して、コルネットにはバルブが付けられて12音階が演奏でき、ブラスバンドを中心に旋律を受け持つ楽器として多用されました。オーケストラでもコルネットが使われることはありましたが、喇叭らしい艶やかな響きが必要な時は、やっぱりトランペットが使われたそうです。つまり、トランペットの魅力はその音色にあったということですね。
 20世紀初頭前後にトランペットにバルブが付けられ、管長もコルネットと同一となった頃、かの名手ハーバート・L・クラークは、トランペットなど吹くものじゃない、やっぱりコルネットこそ最高の楽器と言ったそうです。その理由は知りませんが、楽器としての完成度はコルネットの方が上だったんでしょうね。少なくとも管長の短くなったトランペットは19世紀までのトランペットが持っていた艶やかな音色を失ったようです。
 では、その後わずか20~30年の間に、あらゆるジャンルの音楽でトランペットが使われるようになり、コルネットが徐々に登場しなくなったのは何故なのでしょうか?演奏のしやすさは今でもコルネットの方が上だと、よく言われます。音色はバルブ無しトランペットより劣る。じゃあ、今のトランペットの利点って何?と思ってしまいます。
 名手がトランペットを吹いたとき、低音域はフリューゲルやコルネットとはまた違った、艶のある柔らかい響きを持ち、高音域はスピード感があって突き抜けるような存在感のある音がします。柔らかい低音から煌びやかな高音まで守備範囲の広い音色を持っていることがトランペットの特徴ですね。
 コルネットはトランペットと比べるとマイルドで優しい音に聞こえ、やっぱり良い音だなと思いますが、トランペットの音は聴いていると心が揺さぶられる感じがします。この差がトランペットの魅力だと思います。もっとも、これは名手が吹いたときの話です。私も、どの音域でもいいから、とりあえずトランペットらしい音が出したいです。

バニーカクタスの子

2008-08-27 | フォトグラフ
ウチワサボテンは扁平の葉っぱのような茎の縁から新しい子供の茎が生えてきて、どんどん継ぎ足しの様に伸びていく丈夫な植物です。これは古い茎から芽が出て、少し大きくなった、子供くらいの茎です。

カップ

2008-08-26 | トランペット
「Bach1(カップサイズ17.5mm)で実用音域:ペダルBe〜ダブルハイF、これより小さいMPを使うとカップ形状には関係なく、高音域も低音域も苦しくなります。結局のところ、奏者の特質に合ったカップの絶対的な大きさが最も広い音域を鳴らすことができるわけです。」と、ある奏者のお言葉。これは、中川先生の「カップサイズは靴みたいなもので、体に合わないサイズではいくら頑張っても使い物にならない。」というご意見と共通しますね。
 私の使用しているサイズはYAMAHA16番(17.0mm)、果たして体に合っているかどうか今は全然判断できません。靴みたいに、履いたとたんに分かればいいのですが。