まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
ナシーム・ニコラス・タレブ
成功者のほとんどは、単に運がよかっただけだ。
これは非常に誤解されやすい主張だが、僕は当たっていると思う。もちろん努力を怠らないからこそチャンスも生まれる訳だが、努力をしたからといって必ずしも成功する訳ではない。成功者は後付け講釈で成功した理由付けがされる。
ロシアン・ルーレットで生き残った人は単に運がよかっただけというのは誰でも解る。ゲームのルール(仕組み)が単純だからだ。現実はロシアン・ルーレットよりもたちが悪い。現実世界では出来事が起こる仕組み(ジェネレータ)が解っていないからだ。
ジェネレータが不明の現実では非対称な結果が起こる。起こりうる確率は非常に低くてもそれによる結果(例えば損失)が大きければ、期待値としてはマイナスになる。
危険なのはジェネレータの単純化をすることだ。オプション価格を計算するブラック・ショールズ式モデルでは、「原資産価格は正規分布に従っている」という仮定を出発点にしている。原資産価格の変動率はボラティリティという変数に押し込められる。ボラティリティがあらかじめ解っていて与えられるならば、原資産価格が将来どうなるかは(確率的に)予測することが出来る。
しかし現実には、市場価格から逆算してボラティリティが決められる。市場のボラティリティを我々があらかじめ知ることは出来ない。市場が荒れるとボラティリティが上昇したと言われるし、市場が落ち着いてくると下がったと言われる。ボラティリティが動くのに、それを使って確率的であれ、何か確かなことを予測できるのだろうか。オプションを学んだときからその疑問が僕の中でずっと引っかかっていた。
その疑問が、本書を読んでようやく氷解した。仮定が間違っているのだ。『原資産価格は正規分布に従っていない。』 特にテール(分布の裾野)部分が現実ではずっと起こる確率が高い。この点は、後に書かれる「ブラックスワン」で再度分析される。
本書では、人間に備わる様々な「効果」や「バイアス」について述べられる。
「後知恵バイアス」
リスクを認識するのは「感じる部分」(感覚や直感)であり、「考える部分」は理屈を後付けして合理化したり正当化することに使われる。
出来事が起こってしまった後からいろいろ理屈を付けて説明することを「後知恵バイアス」と呼んでいる。「過去を予測する」ことがうまい連中が将来も予測するのもうまいと勘違いする。人間の合理的思考は、出来事が起こる前には働きにくい。
「帰納の誤謬」
白鳥を4000羽見たけれども、黒い白鳥はいなかった。よって全ての白鳥は白い、と結論することは間違いである。このことは科学の世界にも適用される。反証がないからといって、現在の科学が常に正しいことの証明にはならない。
「生存バイアス」
偶然生き残ったものだけを母集団にしてしまう誤り。単なる偶然を才能や実力と勘違いしてしまう誤り。
これを利用した投資詐欺を思い出した。1万人のうち半分の5千人に「明日は株が上がる」、残り半分に「下がる」とメールを送る。的中した方の半分の2千5百人に「明日も上がる」、もう半分に「下がる」と送る。これを10日繰り返すと1万人/2^10=10人は全的中となる。その10人に「明日の株価を30万円で教えます」と言って騙す。
「人生の不公平さにおける非線形効果」
ほんの少し有利なだけで結果としては非常に大きな報いが得られたり、ほんの少し不利なだけで全く報われなかったりする。
成功の後ろには非線形の効果がある。熱烈なファンが一握りいる方がうまくいく。勝間和代さんがどんなに嫌われたって、カツマーと呼ばれる熱烈な支持者がいる限り成功し続けるのはその典型例だ(笑)。
第11章は特に面白い。確率が如何に我々を騙すか。「二重思考」と呼ぶ問題に触れている。ヒューリスティック(発見法的)な思考と合理的な思考との対比。我々の脳は物事に適応できるように作られているためにバイアスが掛かりやすい。それでいて情緒がなければ決断が出来ない。
では「まぐれ」で決まる現実にどのように対処するべきか。著者の意見はこうだ。
・ 耳に蝋を詰めて非合理的な感情がわき起こって合理的思考の邪魔にならないようにする。
・ 過去の経緯・経路に惑わされないように、毎日を新しい状態で始める。
・ 尊厳を持って理想主義に生きる。潔く振る舞う。「人としての品格」
本書はこれまで読んだ本の中でも最も影響を受けたうちの一冊になった。今後何回も読み直すことになるだろう。
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