小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

<帝国の灯> 第11話 空洞のわざうた

2011年02月02日 | 小説
全員が声の主の方を向く。ある人間はうえっ、と悪態をつき、またある人間はまぁっと
感嘆の声を上げその登場に喜びの想いを伝えた。声の主はこの洞窟街のまわりを囲む
ように造られているコンクリートの船着き場の上を、こちらに向かってゆっくりゆっくりと
歩いてきている。
グレゴリー・ヴィヴァロフ、彼はそう名乗っていた。と、すると。彼は皆が言っていた
このレジスタンスのリーダー、的な位置づけなのだろうか?
偏屈で頑固で熱血で…そして知的で変なところでクールな男さ。
つい先の蔵助の言葉が自然と脳裏に浮かんだ。そんな人間、甲は知らない。
天才肌なのか、それともソフィスト(知者)なのか、古代に生きた賢者ソクラテスでも
その真意はこの言葉と遠くからやってくる容姿では判断できない事であろう。

禿げあがった頭。だらしなく着こんだ軍服。皺の寄ったみけん。
これで知的なのだろうか、ロシアでウォッカに溺れてた、といわれても信じるかもしれない。

「あージジィ、いいとこなんだからよぉ…」甲の肩に腕を回してテドは呻く。
「テドォ、すまんがそいつぁ後回しにしろ」
「なんだよ、俺が連れてきたんだぜっ」
「…おっとぉ俺達、だテド」蔵助が何故か思い出したかのように呟く。
「ともかく蔵助も。甲よ、きてくれ。」
テドラデの言葉を軽く受け流し、ヴィヴァロフは船着き場の方から呼びかける。
蔵助はそれにうなずいて、後ろの方でテドラデに絡まれる甲に、こっちへ
と身振りで合図を送った。その合図にほっと安堵の息をつきながら、「あ"っ」という
テドラデの声が後ろで漏れるのをわかりながらも、腕を振りほどいて船のガタガタと
なる桟橋を渡って行き、ヴィヴァロフと蔵助の後についていった。


テドラデは3人がティトーの居住区へ向かっていくのを見届け、ぼぉっとした様子で
眺めた。他のレジスタンスたちはまた、のろのろと船からの積み下ろし作業を続ける。

だが、テドラデは何処か落ち着かない様子でアルミ合金の甲板をふらふらと歩く。
「あんた……よく警戒されなかったね。」
年齢のわからない女性がミステリアスな視線と口調を駆使して、さらっと小麦色の癖の
かかった髪の毛を後ろの方になびかせながら、そんなテドに向かって言った。
艶のある髪の毛は天井からの淡い光でどこか妖艶に輝き、見る者を引きつける。髪は
風に揺られてもとの肩から背中にかけて、女性の後ろを数回に分けて揺れながら覆った。

「セレスト、わかるか?」
「彼、コウ君だっけ……逆にコウは特に警戒してなかったみたいよ。よかったじゃない」
「そうか、よかった……のか」
テドは力なくそう呟き、胸ポケットから煙草と慣れた手つきでマッチを取り出した。そして、
ものの1秒ほどで点火、彼の口からは枯れた独特の臭いを発するナットシャーマン・ナッツの
紙煙草がくわえられる。
だが、彼はあまり美味しくなさげにただ、煙草を吸うという作業を楽しむだけに点火したかの
ようであった。そんな彼をセレストはまるで、教師がふてくされる生徒を見るような眼で
見てため息をつく。

「あなた動揺しすぎよ。グルジア特殊作戦軍従軍時のハイエナのような眼光はどこ?
 詮索する気満々の冷静スパイ顔はどーこ?」
「はははは、ハイエナか……いいな、それ。彼はその事について、何も言わなかったよ。
 ただ何か、は感じたらしい」テドラデがせせら笑う。その枯れた笑い声に船の上で
働くレジスタンスたちもなんだ、なんだとなんだと寄ってくる。

「おいおい、お前ら、デきてるのか、ん?」
「馬鹿か、ブルーノ。休憩中だよ」
ひょっこりと船の陰から顔を出してからかうブルーノを軽くあしらって、テドラデは
ふぅっと力なく煙を吐く。煙は空中をもくもくと昇っていき、たがいに混じる事無く
純粋な白濁色を持って天井上部に取り付けられている換気装置へと向かっていった。
換気装置のグオングオンというファンの音は微かな振動と音だけを伴い、この洞窟町に
降りたつ。

テドラデは洞窟の空を見上げた。今はとっくに夜、人工的な光のみで彩られた味気ない
巨大空洞はまるで彼の心の中にあいた穴をぽっかりとあらわしているようだった。その
ぽっかりと空いた穴に微かにはいる、潮風。懐かしい風、頬を撫でる。
「決めたよ、俺はぁ。」テドラデはそう呟いた。


甲と蔵助はヴィヴァロフと共に船着き場のコンクリートを歩く。いつもの日本の中で
感じるアスファルトの感覚とは違う、なめらかで平らな地平。だが、タイルとも違う
微妙なざらつきをもった地面でもある。甲は港町などいった事はなく、こんな地面は
彼の足裏にとって初めてのものだった。

彼は船着き場の地面を歩くことに並行して、洞窟内の海とは反対側にある町の方を見る
ことにしはじめた。港に近い所には巨大な倉庫が。今のところ、この船着き場の周りに
は倉庫だけしか確認する事が出来ない。その内陸、奥の方にレジスタンスの居住区が
あるに違いない。

その期待通りにヴィヴァロフは船からおおよそ50mほど行ったところで、右の
小道にそれて入っていった。倉庫と倉庫の間を抜けるようである。小道は
1車線の道のような感じで地面はザラザラとした川から取ってきたような小石が、
敷き詰めてある。ここまではコンクリートの地固めによる行っていないようで
あった。

しかし、右で曲がったばかりだというのにヴィヴァロフはまた2つある道を左へ曲がる。
と、思ってまた数歩進むとY型の道だ。左右はまるでプレス機のようにコンクリートの壁が
堂々とした面持ちでこの場を歩く3人を見下ろす。
Y型の道を今度は左へヴィバロフが行った。甲は曲がる瞬間、右の道の方に視線を向ける。
錆びた扉が建物に出入り口としてあり、そこを進むとまた、2つに道が分かれるT路路
になっていたのだった。

こんなところで…迷ったらどうすれば。急に、周りの建物が高圧的な態度で睨む、
軍人のような姿に変わった。口が細かく動く。早口のように軍歌を口ずさむ。
軍歌の旋律は重々しく、そして力を持って左右上下からのしかかって窮屈な想いが
ずんずんずんずんと積もっていく。

不安げな心が甲につもっていった。必死に曲がった所を覚えようとキョロキョロ。
行ったところを振り返って覚え、地面を見て特徴を掴もうとする。だが、地面は
のっぺらとした笑みをこちらに送るだけ。壁を見るとときたま、染みが面白い造形に
見えた。入れるような扉もいくつかある。だが、それはすぐさま目に入った瞬間、
後方に残っていき曲がり角とともに去っていく。
迷路だ…これはまるで…。不安な想いだけが甲に行進を始める。

「ああ、甲さん、迷路みたいだろ?ここは、その通り迷路さ。
 中身のある建物もあるが張りぼても結構ある、フェイクの町よ。
 こんな要塞、絶対ないぜ、ハハハ」
絶えずキョロキョロと周りを見回す甲が気になったのか蔵助は強面の表情に、
そぐわない笑みを浮かべて話しかけた。
「……とてもじゃないけど……覚えきれなくて迷いそうですよ」
「まぁ心配するな、慣れるし、最初の内は誰かに言えばついってってくれるさ」
その時、ヴィヴァロフの頭が軽くかたむく。頷いたの…か?
甲がその答えを求める前に、ヴィヴァロフは右の角をまた曲がって視界から
消える。その時、開けた空気がすぅっと甲の肌を撫でていった。

はたっとなって甲は自然に早歩きになって蔵助を追い越した。この重圧をしか
ける軍人たちのむじなから一刻も早く、出たい。そして、待ち受ける新しき風景。
ヴィヴァロフは数メートル前に居た。こちらが付いてきているか確認すると
またツカツカと歩き出す。その物腰は妙に柔らかであった。

少し小さな広場に出ていた。さしづめ市街地の一角に出来た小さな公園並みの
広さほどだ。今、日本はアジア諸国をとりかこみ、資本のながれを国々間でスムーズに
さして急激な経済の発展を遂げて、いまや経済大国ドイツにも迫りくる勢いだ。
破竹で猛進する経済状況の中、首都、東京ではめきめきと日進月歩の勢いで立つ
ビル群。アジア圏帝国樹立と平和の要として建設されたシンボル、東京タワー。
2010年は激動の時代なのだ。

先進する都市と反比例的に小さくなる人々のなごみの場。都市部ではその減り方は
尋常ではなく、ちょっとした公園でさえ貴重な存在となりかけていたのだ。
そんなはるか遠くに萌えゆる面影をここは残してくれていたのだった。

甲の目に浮かぶ、過去の記憶。急に頭が冴えてきた、この広場を見てからだ。
懐かしい記憶、全てにおいて失われていた記憶、おかしいな……。彼は眼の端に
濡れるものを覚えた。
瞳の裏に映る顔さえも忘れていた、両親の顔形がくっきりとうかぶ。公園で
その腕に抱かれながら、自分は何を思っていたぁか、彼は問いただす。

何を考えて、何を思って、何を心に秘め、両親と過ごしていたか。降り注ぐ懐かしい
光、公園の角に座り両親は自分の事を抱いて、その顔を覗きこんだ。夕陽が斜陽し、
彼らの顔に陰を創る。
夕陽……それはあの日。緑色の軍服、あれは後に天皇近衛兵だとわかった。彼らは
土足で家に入り込み、すぐさま幼い甲と母親を囲んだ。無表情な顔と真一文字に
結ばれた口は開く事を許さず、それに立ち向かうように母も今まで歌っていた
歌を口ずさむ事を止め、厳しく睨む。その時甲はいわれもない恐怖にかられていた
、無力な存在。

幾分と経って響く近衛兵の声。父の書斎からの方だったらしい。その声とともに
近衛兵は引き上げる。幼き子を残し、母と父だけを黒塗りの大型車に乗せて。
引きずられる母、手を伸ばしても、その距離は数十センチでありながらも
惑星間ほどあるのではないかというほどの届かぬ距離。

最後に彼女は何といっただろうか。そう、あのわざうた(童謡)。
母はそれを口ずさんでいた。それが最後に残る記憶。
耳に残る、音。微かに残る、音。調和していき、響き合い、消えていく。
音しかない、歌詞が思い出せない、母はなんて言っていたのだろう。
口元が
動く
記憶だけが目に映る。

その時、甲は自然にそのメロディーを口ずさんでいた。懐かしい歌、なんと
いうのだっけ。忘れられた、失われたメロディー。旋律しかない、空洞の歌。

「今日が毎日、ひとつづつ…昨日になってどこへいく…、
 ぎんぎんやんま…ぎんやんま…」
足は止まる。まるで根が生えたかのように動かない。
何故だろう、だがその問いの答えは目の端に浮かぶ水玉がものがたっていた。
甲はゆっくり後ろを振り向いた。蔵助だった。彼は目を細めてこちらを見ている。
笑っているように口元をゆるませてるようにも見えた。

「いま、すんすんと、飛んでいく……。」甲の口からも自然に声が出た。
あふれ出る涙、懐かしい記憶。ここは公園、夕陽さしこみ、顔を照らす。
土埃は静かに舞い、ぶらんこは風邪に揺られてゆらゆらと。砂地では
子供たちが砂遊びをし、入口にはおかれたままのおきざり自転車。
ここは違う。レジスタンスたちの母屋。だが、風景はどこか似ていた。

「何でこの歌を…?」甲は涙を袖で拭いながら後ろにいる蔵助にたずねた。
「この歌はな、甲さん。君の母親、紀さんがここに来た時口ずさみながら
 よくいたからさ。私も自然に覚えていたさ、ハハハ。
 こんなところで、清澄者に会えるとはね…」
「じゃぁここに…母さんがいたのか…」
甲は地面を靴で踏み固める。さらさらとした踏み固められた砂は、海中の
洞窟にもかぎらず湿気を持たずにまるで砂丘のようにさらさらしており、
そして何処にも飛んで行かない。
だが、それは逆に母が居た痕跡が残っているという事、そして父も。

彼はまた決心する。目の前にはヴィヴァロフが無表情でこちらの事を
みていた。その瞳に何が映っているのか、計り知れない。
が、ヴィヴァロフは彼の視線に気が付いたのかまた方向を変え、レジスタンスの
母屋へとはいっていく。足取りはしっかりと、物腰の軽さもなくなり、
きびきびとした軍隊のような足取りで。