本格的かどうかは別にして 今のように竿4本並べて神明間や淡路で投げ釣りを始めたのが中学1年生、今からもう35年も前の話です。
先日の日曜日、35年振りと言う訳では無いですが久しぶりに松帆へ入り昔の懐かしい思いでがよみがえった。
当時は松帆が座布団ガレイブームで季節になるといっぱしのキャスター気取りで釣友達とよく通ったものでした。
よく竿を出したのは「淡海荘」の裏で小さな岩場があり そのあたりから神戸製鋼保養所裏にかけてがよく行った釣り場でした。
いまでは「淡海荘」のあたりは埋め立てられ道の駅が作られすっかり変ってしまいました。
今淡路に行って昔の雰囲気が残っているのは「津井」くらいでしょうか?
時代の流れとは言え寂しい物です。
若い人達から見れば35年も前と言えば江戸時代とは言わないまでも大昔できっとわんさか魚がいたのではと思われるでしょうが、少なくとも投げ釣りで釣れる魚の量は今と大差無かったように思います。
ただ技術が上がったのか環境がかわったのか釣れる魚の種類と大きさは変って来たと思います。
当時から夜釣りの大キス釣りが好きでよく行きましたが26cmを超えるようなキスはめったに釣れなかったし まして30cmのキスなんて淡路には絶対いないと思ってました。
最近は本当に大型キスがよく釣れるようになったと思います。
逆にほとんど見かけなくなったのが よく言われるテンコチ。
テンコチだけは、子供だった私達でもよく釣れたのに何処へ行ってしまったのでしょうか?
訳のわからない埋立地ばかり作り建てるべき上物が無いからグラウンドや公園を作り市民に開放する、埋立地の一角に手すりなどを作り「釣り公園風」にする。
何の意味が有っての埋め立てなんでしょうね。
こんな事ばかりしていてはいつか釣り自体が過去の風物詩になってしまうのではないでしょうか。
先日の日曜日、35年振りと言う訳では無いですが久しぶりに松帆へ入り昔の懐かしい思いでがよみがえった。
当時は松帆が座布団ガレイブームで季節になるといっぱしのキャスター気取りで釣友達とよく通ったものでした。
よく竿を出したのは「淡海荘」の裏で小さな岩場があり そのあたりから神戸製鋼保養所裏にかけてがよく行った釣り場でした。
いまでは「淡海荘」のあたりは埋め立てられ道の駅が作られすっかり変ってしまいました。
今淡路に行って昔の雰囲気が残っているのは「津井」くらいでしょうか?
時代の流れとは言え寂しい物です。
若い人達から見れば35年も前と言えば江戸時代とは言わないまでも大昔できっとわんさか魚がいたのではと思われるでしょうが、少なくとも投げ釣りで釣れる魚の量は今と大差無かったように思います。
ただ技術が上がったのか環境がかわったのか釣れる魚の種類と大きさは変って来たと思います。
当時から夜釣りの大キス釣りが好きでよく行きましたが26cmを超えるようなキスはめったに釣れなかったし まして30cmのキスなんて淡路には絶対いないと思ってました。
最近は本当に大型キスがよく釣れるようになったと思います。
逆にほとんど見かけなくなったのが よく言われるテンコチ。
テンコチだけは、子供だった私達でもよく釣れたのに何処へ行ってしまったのでしょうか?
訳のわからない埋立地ばかり作り建てるべき上物が無いからグラウンドや公園を作り市民に開放する、埋立地の一角に手すりなどを作り「釣り公園風」にする。
何の意味が有っての埋め立てなんでしょうね。
こんな事ばかりしていてはいつか釣り自体が過去の風物詩になってしまうのではないでしょうか。