今回出席する学会、日本消化器がん検診学会は、1962年に胃のバリウム検診を研究する日本胃集団検診学会として発足した学会です。
バリウムによる胃癌診断法は日本で開発されました。それまでは手術して開けてみるまでわからなかった胃の中が、バリウムを飲むことでレントゲン透視して見えるようになったのです。黒澤明監督の「生きる」の冒頭では、主人公の胃癌のレントゲンフィルムが映ります。「白い巨塔」の財前教授も、原作では自分の胃のレントゲンフィルムを見て胃癌を発見するというショッキングな設定になっていて、当時、胃のバリウム検査がどんなに画期的なものであったのかが、伝わってきます。
胃癌死亡の多いわが国では、胃のバリウムによる検診は、あっという間に普及して、多くの命を救い、そして今日も行われ続けていますが、状況は少し変わってきています。
内視鏡検査が普及して、バリウム検診を受ける人がどんどん減っているのです。
またピロリ菌の発見によって、胃癌になる可能性の高い人、低い人がいることがわかってきました。これまで一律に行ってきた胃癌検診を、ピロリ菌感染のある胃癌になりやすい人と、感染のない胃癌になりにくい人を分けて考えるべきではないか、バリウムではなく、最初からより精度の高い内視鏡を実施すべきなのではないか。私が大学にいたときに、厚生省の研究班で行っていたのは、そんな仕事でした。
今回の学会では「胃がん検診方式検討研究会」の第一回の会合が行われ、この問題を話しあうことになっていたのです。
胃がんになる人の多くは、幼少時にピロリ菌に感染し、感染が持続することで萎縮性胃炎が進み、胃がんが発生することがわかってきています。
私たちの提唱している胃がん検診方式は、最初に採血でピロリ菌感染の有無、そして萎縮性胃炎の指標であるペプシノゲン検査を行うことで、胃がんのリスクが高いか低いかを判定する。リスクの高い人には毎年内視鏡検診を受けてもらう、リスクの低い人は胃がんの検診の対象から外すことで、胃がん検診はかなり効率化されるし、医療費も軽減されます。ピロリ菌感染は年々減ってきているので、胃がんは減っていき、胃がん検診の対象になる人は更に絞り込まれていくだろうし、若い時期にピロリ菌感染が発見できれば除菌療法を行って、胃がんのリスクを下げることも期待できます。
しかしこの方法に問題がないわけではありません。ピロリ菌感染のない、胃粘膜萎縮を伴わない胃がんもまれに存在すること、内視鏡検査の精度は実施する医師の技量に大きく依存することです。そういうマイナス要因をどう克服していくかが、今後の課題です。
また、がん検診の有効性は、どれだけ多くがんを発見するかではなく、その検診を受けたグループの方が、受けなかったグループよりもそのがんで亡くなる率が少ない、すなわち死亡率の減少効果があるかどうか、で判断されます。
バリウム検診は1980年代に行われた複数の調査で、死亡率減少効果かあるということが証明されているのですが、内視鏡については、そのような調査が行われていないので、有効性が評価できないのです。目黒区などの行政が行う胃がん検診が、これだけ内視鏡が普及した現在でも、バリウムで行われているのはそのためです。国民を内視鏡検診を受けるグループと、受けないグループに分けて10年間追跡する、なんて調査ができればいいのですが、今の日本で内視鏡を受けないグループを設定することは不可能なほど、内視鏡は普及してしまいました。
目黒区では、保健センターのレントゲン装置が老朽化したために、今年から60歳以下の胃がん検診は、霞ヶ関の施設に外注委託しています。開院してから3年足らずの当院でも、ピロリ菌検査とペプシノゲン検査を行って、内視鏡を受けていただいた患者さんから、10人以上の胃がんを発見しています。区内には内視鏡検査を行える施設はたくさんあるのに、もったいないとおもっています。
そうした臨床的な実感が、医療政策に結び付けられないことが本当に残念で、大学をやめて開業してからも、足を洗えずにいます。
おこがましいけど「自分の生まれてきた意味」の一つかな。