サーバーが不調です

2006年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

いつも一緒にいるのがあたりまえになっていました。

なんでも頼っていました。

本当は好きじゃない、ふりまわされたくない、縛られたくないと、うそぶいていたけれど、背中を向けられて、何もできなくなってしまいました。

急に不機嫌になってしまって、当惑しています。

早くもとのあなたに戻ってほしい。


おせっかいやきもちやき

2006年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

医者になろうなんて人には、おせっかい焼きが多い。

自分の荷物で両手がふさがっているときでも、人の荷物を持とうとする。

困ったことに、おせっかい焼きにはやきもち焼きが多いから、どんなに自分の荷物が重くても、人が別の人に荷物を持ってもらうと嫉妬する。

そのくせ、自分の荷物は人には渡せないのです。

なんだか腕が疲れてきました。


いじめられっこ

2006年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

救急室に呼ばれていくと、男の子がナースに背中をさすられていました。

先輩の代理で初めて当直した病院だったので、私は少し緊張していましたが、ナースの手が白くてきれいだったので、安心しました。手のきれいな人は、仕事の手際もいいことが多い。私は同業者の手をまずみてしまいます。

喘息の発作でしたが、吸入をすると、症状はほどなく改善して、男の子は笑顔で帰っていきました。

カルテを記載していると、その手のきれいなナースが吸入器を片付けながら、私のことを見ています。

さっちゃん?」

私は小学生のときに、そう呼ばれていたのです。

そして私もおもいだしました。

小学校の同級生の小松雅子さんでした。

松雅子さんは、いじめられっこでした。

除当番はみんな彼女の机を運ぶのを嫌がりました。

彼女自身だけじゃなく、彼女の歩いたあとや、触ったところは「不潔」ということで、みんな避けていました。

いじめっ子に、彼女にタッチしてくるように命じられた男子は泣き出す始末。

泣きべそかいている男子を、小松さんはさびしそうにみつめていました。

フォークダンスのときは、先生がにらんでいるので、男子はしぶしぶ彼女と手をつなぐのですが、終わるとみんな大騒ぎして手を洗いました。

女子が少なかったので、背の高い男子が女子の側に回され(今考えると低いほうを回したってよかったのではないか)、私はいつも男の子とおどることになってしまいましたが、みんなが小松さんを触った手のすぐ次を私が触っているということで、私がいちばん汚いといじめられたこともありました。

小松さんは女子で一番背が高かったのです。

そして何より私が恐れていたのは、小松さんと私の名前が読みでも漢字でも一字違いということでいじめられることでした。

クラスにはもう1人マサヒコ君がいたのですが、彼は征彦で、字が違うのだと、一生懸命みんなに釈明していました。

実は私は小松さんをそんなに嫌いではありませんでした。むしろ好きでした。

男子と一緒になっていじめている眉毛のつながったうぶげの濃い女子たちよりも、色白で、手足の長い小松さんのほうが、そばかすは多いけれどきれいだとおもいました。なによりも小松さんの手がきれいでした。

PTAでも小松さんのいじめのことは問題になっていたのですが、小松さんにはお母さんがいなかったので、親も先生もいまひとつ真剣にならないということを、私は母にきいていました。

母は父母会から帰ってくると、お前はそんないじめをしていないよね、と念を押し、私はうなずいていました。実際、私は積極的には小松さんいじめに加担したことはありませんでした。

 小松さんと私は家が近く、帰りが一緒になってしまうこともありました。

 小松さんはいつも背中を丸めるようにして1人でとぼとぼ歩いていました。

 私はそんな姿をみて、いつもこころを傷めていました。

 そして、誰もみていなければ小松さんと話しをしてもいいおもいました。

 今にしておもえば、なんて傲慢な気持ちでしょう。

 小松さんは小学生ながら洋楽に詳しくて、家にお父さんのレコードがたくさんあるということでした。

 私もビートルズなんかを聴き始めたころだったので、小松さんの話は新鮮でした。クラスには洋楽の話なんかできる友達はいなかったから。

 小松さんはストーンズ派で、一番好きな「アンジー」はミックジャガーがデビットボウイの奥さんのことが好きで作った曲だということを教えてくれました。

 僕は「アンジー」の入った黄色いジャケットのLPレコードを小松さんから借りて、TDKのカセットテープに録音して何度も聞きました。

 当時の小学生にとって席替えは一大イベントでした。

 そして誰が小松さんと同じ班になるか、隣になるかが最大関心事でした。

 同じ班になると、給食の食器を一緒に運んだり、片付けたりしなくてはなりません。

 小松さんの隣の席の男子は、となりがチェルノブイリ、いえそのころだと京浜工業地帯、とでも言わんばかりに机を離し、下敷きを立て、同じ息を吸わないようにと顔を背けて座っていました。そいつのほうがよっぽど汗臭かったのに。

 果たして私は小松さんの隣の席に配置されました。

 担任は念を押すように私をみました。

 小松さんはうつむいていましたが、少しうれしそうで、私は複雑な気持ちでした。いえ、正直に言うとおおいに困って、不安になっていました。

 案の定、机を移動し終えて、先生が出て行くと、いつも先頭に立っているいじめっ子たちがやってきて、「マサヒコひくヒ」とはやし立てました。環の中に「征彦くん」もいました。

 いじめっ子の代表格が、私の机を小松さんの机に押し付けました。 

 私は、それまで小松さんの隣に座っていた男子がしていたのと同じように、小松さんから机を離して、下敷きを筆箱にはさんで机の左側に立て、壁を作りました。

 そのときの小松さんの表情を私は見ていません。おそらく生涯で一番の軽蔑の目でみられていたに違いありません。

 それ以後、小松さんと話すことはありませんでした。

 給食の準備も片付けも、それまでと同じように、小松さんは班とは別に、1人でやりました。

 「同業だったんだね、知らなかった」

 「私、さっちゃんがお医者さんになったってきいていたけど」

 「業界狭い」

 「でもまさか、はじめて来た派遣先で会うとはおもわなかった」

 小松さんの左薬指にはシルバーのリングがありました。

 胸の名札は小松雅子さんではありませんでした。

 「亀山さん?」

 「ふふふ」

 「うそ!」

 亀山君は僕の机を小松さんの机に押し付けた、フォークダンスあとに一番これ見よがしに手を洗い、そして他の男子に小松さんにタッチしてくるようにといじめていたやつです。

 「彼とも病院で会ったのよ」

 彼女が以前に勤めていた病院に亀山君が入院してきて、彼女が受け持ちだったということでした

 私は亀山君が小松さんに脈を測ってもらっている様子を、ちょっと想像できませんでした。

 「大丈夫だった?」 

 私は言ってからしまったとおもいました。

  「亀山君、気がつかなかったのよ、私だって。夜中に尿器まであててもらっていながら」

 松さんは吹きだしました。

 その晩、ポツリポツリと来る急患を診療しながら、小松さんは絶対日本で観られないとおもっていたストーンズを2度も観に行けた話なんかをしました。僕はポールマッカートニーが来日したときには必ず行って、ビートルズナンバーだと盛り上がるのに、新曲だとシーンとしているなんてことを話しました。

 私は机の事件のことを謝ろうとおもいましたが、言い出せないまま朝になり、そのまま連絡先も聞かずに別れました。


自己嫌悪

2006年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

その肺がんの患者さんは、いよいよ呼吸が苦しくなって来院しました。

計画されていた放射線療法をさぼってしまったために、病状が悪化してしまったのです。

担当医は苦しんでいる患者さんに、なぜ治療に来なかったのかを詰問しました。

ちゃんと自分の言うとおりに治療していれば、こんなことにはならなかったのに。

担当医は泣き出しそうな、本当に悔しそうな表情をしていました。

そのとき、放射線科の教授がやってきて、その担当医を患者さんから引き離し、他の医者に処置を言いつけました。

患者さんが診察室から出て行ったあと、教授はその担当医を実習の学生のいる前で叱りました。

その患者さんは治療をさぼってしまった負い目があるにもかかわらず、苦しくて、助けて欲しくて、やってきた。本当は一番来づらい病院だったはずなのに、それでも、頼ってやってきてくれたのだ。その患者さんの苦しみに追い討ちを掛けるようなことを言ってはいけない。自分を頼ってきてくれたことを、むしろ喜びにおもって、受け入れて、安心させて、今できる最善をしてあげなくてはならない。

主治医の泊り込みの治療もむなしく、その患者さんは入院して3日目で亡くなりました。

医者は、患者さんが自分の指示どおりに動くのが当然とおもってしまう。

自分が最善を尽くしているに、どうして患者さんは言うことをきいてくれないのかと悩む。

患者さんが自分のおもいどおりになるというのは傲慢だ。患者さんと自分との価値観が一致している保証はないし、むしろ違う人間だということを知らなくてはならない。

それでも縁あってこんな自分を先生と頼ってくれている。こんなに幸せなことはないのではないか。

そういいきかせながら働いていても、私を必要としてくれて、救いを求めてきた人の苦しみを増幅させてしまうようなことを、いまだにしてしまうのです。


遠隔診療

2006年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

両肩が押さえつけられるように重くなって、吐き気もしてきました。

翌日は内視鏡の予約が2件入っているので、何とかしなくてはとおもい、いつもお世話になっている整体治療院に電話しましたが、人気のある先生なので、やはり予約がいっぱいで当日ではだめでした。

あきらめて、我慢して診療していると、突然膝の力がガクンと抜けて、それから身体がふっと浮いたように感じ、肩がすっと軽くなりました。

そのとき、携帯電話が鳴りました。

「かなりおつらいでしょう」

整体の先生が、直接予約のキャンセルが出たことを伝えてくれたのでした。

「先生、今、気を送ってくださいました?」

「ははは、届きましたか」

私も今日は、処方箋を印刷するときに、気を込めてマウスをクリックしてみました。

さて、効果のほどは。