himetaku成長期

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シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略(1)

2011-01-22 08:47:35 | 日記
<書籍情報>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
題名:シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略
著者:レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース
監修・解説:小林弘人
訳:関 美和

<読書記録>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読破時間:4.0H
おすすめ度:☆☆☆(5点満点3点)

<読書メモ> ★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆

<使えそうな数字・資料>
フリッカーでは、毎日300万を超える画像がアップされる。
毎日70万人の新規会員がフェイスブックに登録している。
500万人の「つぶやき」と90万のブログが毎日掲示される。
ユーチューブでは、毎日20時間の動画がアップされる。
これは、9万本の新作長編映画が毎週公開されるのと同じ長さだ。

ラップトップ・コンピュータ1台分の製造過程で出る廃棄物の量は、そのコンピュータの重さの4000倍近くにのぼる。そのPCに搭載される極小マイクロチップの製造には、1.7キロもの材料が使われ、チップそのものの10万倍もの重さの廃棄物をその過程で生み出している。

アメリカ人は世界でも指折りの環境破壊者だ。
中流家庭のアメリカ人の平均寿命は80歳で、その生涯に、ひとり当たり平均250万リットルの水、1000本の木、21,000トンのガソリン、22万キロの鉄、80万ワットの電力を消費する。
このペースを元にすると、平均的なアメリカ人が一生のうちに環境に与えるインパクトは、スウェーデン人の2倍、イタリア人の3倍、ブラジル人の13倍、インド人の35倍、ハイチ人の280倍にのぼる。もし地球上の人類が全員、平均的なアメリカ人のように生活すれば、それを支えるために地球が5個分必要になる。

世界中にある10億台のパソコンを一晩だけシャットダウンすると、マンハッタンのエンパイア・ステートビルを―中も外も―30年以上点灯し続けるだけの電力が節約できる。

現在、毎年2200億個の紙やプラスティックのコップが使い捨てられ、北米だけでそのうちの1460億個を消費している。1日の使用分を積み上げると、42階建てのビルと同じ高さになる。

<コラボ消費>
「集団」や「共有」といった意味合いをもつ古臭いイメージのCワード
―協同組合、共同体、コミューン―が、コラボレーションやコミュニティといった魅力的で価値ある形として再生しつつある。

この大きなうねりを、「コラボ消費」と名づけた。

コラボ消費の核となる「コラボレーション」は、地縁による直接のつながりということもあれば、インターネットを利用して結びつき、協力し、グループをつくり、ヒトやモノを介して不特定多数によるP2Pの交流がつくり出される場合もある。
つまり、人々は、再びコミュニティの中でシェアしている
―職場や近隣、アパートや学校、そしてフェイスブックのネットワークで。
しかも、こうしたシェアやコラボが、以前にはありえなかったやり方や規模で実現されて、「私のものはあなたのもの」的な文化と経済が生み出されている。

過剰消費の20世紀には、信用履歴や広告、所有物によってその人が定義されたのに対し、コラボ消費の21世紀には、評判や、属するコミュニティ、何にアクセスできるか、どうシェアするか、また何を手放すかが、人を定義するだろう。

コラボ消費とは、おままごとのような善意の譲り合いではない。
逆に、個人の自由を手放したり、ライフスタイルを犠牲にしてなくても資源をシェアできるようなシステムを確立することだ。

<ショッピング・ビーチ>
ハワイとフィリピンの間にあるパガン島の話だ。そこには「ショッピング・ビーチ」があるという。
「島民は、ライターやゴム草履、おもちゃや子供用のボールが必要になると、ショッピング・ビーチに行って、数千マイルのかなたから流れてきたプラスチックのゴミの中から目当てのものを拾うんだ

<ムダとは> ⇒ ☆HIMETAKU一押し☆
買ってはみたけれど結局一度も使わなかったもののことを、思い浮かべてみよう。一度も袖を通さなかった服。読まない本。結局、箱から出しもしなかった電子機器。
オーストラリア人だけでも、毎年平均108億豪ドルを使わないものに浪費するという
―大学と道路に対する政府支出の合計よりも多い金額だ。これは、一家庭あたり平均1250豪ドルにあたる。
お金のムダ、時間のムダ、そしてただのゴミという意味でもムダだ。
「買ったものと使うものの差、すなわちムダ」なのだ。
ゴミと物置きは、同じ問題の違った結末に過ぎない。

今あるものと欲しいものの間の距離、つまり「不満のすき間」は、持ち物が増えれば増える程広くなる。言い換えれば、持てば持つほど、より多くを望むことになる。

★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆

<コメント>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

本屋さんのビジネス書コーナーで一際目立つオレンジのカバーが本書「シェア」である。

『Google』の企業研究をしていると、「ライバルは『FaceBook』だ」と書かれている文献が多数見られました。

理由は、GoogleよりもFaceBookのWebページの方がユーザの滞在時間が長いのでFaceBookに広告を打つ方がGoogleよりも有利である事が上げられる。(そもそもGoogleには、ユーザの滞在時間を延ばす気はないのだが…)

また別の理由は、FaceBook上で様々なモノや情報を「シェア」している点がGoogleよりも上回っている点であると言われる。

私はこの意味がよく理解できなかった。

そこで、本書「シェア」を読んで理解しようとしたのが、本書を読もうと思ったキッカケである。

正直に言うと、読み終わってからもよく理解出来てないのですが…

本書は、アメリカでの『シェア』事例が多数掲載されており、「もったいない」精神が国民性として根付いている日本でも確実にヒットしそうな事例もありました。

是非、ご一読を!

<編集後記>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

2011年1月17日「1.17のつどい」に参加して来ました。

震災から16年が経過しましたが、あの時の大きな哀しみは未だに消え去る事はないと思いました。

確実に震災の「風化」は進んでいます。

16年経過した現在、4割の神戸市民は震災を知らないと言われています。

人の動きが活発な現代社会では、不思議な事ではないと思いますが、「知らない人間がそんなにいるのか…」と驚く気持ちも同時に持ってしまいます。

でも、私自身は、別の感覚を肌で感じています。

2、3年前に比べて、式典の雰囲気が軽くなってきている気がします。

今年感じたのは、どこか「お祭り」気分で参加している人がいる事です。

大の大人が、犠牲者に黙祷を捧げる5時46分の時報が鳴るギリギリまで、大声で喋って騒いでいました。恐らく、その側にいた人は時報が聞こえなかったのではないかと思います。

今年は1月17日が月曜日だったので、恐らく、直前までお酒を飲んでいたのでしょう。

震災の追悼イベントである「1.17のつどい」を汚さないで欲しいと心から思いました。

毎年年末に開催される犠牲者の追悼と街の復興を願った「神戸ルミナリエ」は、既にその意義が失われてしまったと思います。

震災が忘れられてしまう「風化」は大きな問題ですが、追悼イベントの「お祭り化」はもっと大きな問題だと思います。

<お知らせ>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

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1 コメント

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Unknown (ブログに一言)
2011-01-26 22:38:50
風化は震災だけではないと思います。

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