<書籍情報>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
題名:葬式は、要らない
著者:島田 裕巳
<読書記録>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読破時間:2.0H
おすすめ度:☆☆☆(5点満点3点)
<読書メモ> ★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆
・高野山は真言宗の総本山だか、その奥の院に葬られた弘法大師・空海は、
まだ生きているとされている。
→今でも高野山の僧侶達は一日に三度、弘法大師のもとに食事を運ぶ。
・葬儀費用の全国平均は231万円である。
→葬儀一式費用(葬儀社へ支払うもの)が142万3000円
飲食接待費用(料理屋、香典業者などへの支払い)が40万1000円
お布施・心付け(寺などへ支払うもの)が54万9000円
→地域格差が大きく、四国が全国最低の149万5000円であるのに対して、
もっとも高い東北は282万5000円で、四国の倍である。
→231万円は世界と比較しても、飛び抜けて高い。
1990年代の前半、アメリカの葬儀費用は44万4000円、イギリスは12万3000円
ドイツは19万8000円、韓国は37万3000円
→しかも、日本人の葬儀費用は昔に比べて上昇している。
1992年では226万1000円、1995年では215万5000円であった。
・葬式は決して喜ばしい場ではない。その点で、贅沢をすべきではないはずである。
・葬式が簡略化され、近親者中心に変化したのは、故人の高齢化によって故人を知る
参列者が減少したことが、もっとも大きく影響している。
→しかし、葬式に参列するのは、故人を直接知る人だけとは限らない。故人を知らない
遺族の関係者の参列も決して珍しくない。
→葬式には、故人の死を悼むとともに遺族を慰めるという役割もあるからだ。
・今日の仏教は「葬式仏教」と言われるように、死者を葬ることを第一の使命にするが、
飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教は、高度な学問の体系として受容され、
葬式仏教の側面はまったくなかった。
→現代の人間は、とくに奈良の古寺にひかれるのも、そこから葬式仏教の臭いがしてこない
せいかもしれない。
・現世において豊かで幸福な生活を送った貴族たちは、死後もその永続を願い、
現世以上に派手で華やかな浄土の姿を夢想した。
→ここにこそ日本人の葬式が贅沢になる根本的な原因がある。
・葬式は、故人の人生を直接に反映する。
→成功者にはそれにふさわしい葬式が不可欠だという思いが、成功者の葬式をひどく贅沢なものに
仕立て上げていく。
・「戒なき坊さんから戒名を受けるという根本矛盾だ」と神宮寺の住職、高橋卓志は述べている。
→日本の僧侶は妻帯し、酒も飲む。どちらも五戒によって戒められている。
→僧侶が破戒の道をたどっている以上、戒名を授けることなどありえないのに、現実は、葬式の際に
僧侶による授戒が行われており、これは極めて矛盾したことだ、と言う
・戒名はあくまでも出家者のためのもので、一般の俗人が授かるものではない。
・サラリーマンには子孫に残せるものはほとんどない。あるとしたら自宅だが、一般のサラリーマンが
買える家は、他人に誇れるほど立派な屋敷ではない。そんなサラリーマンにとって、自分が生きた証
として残せるものは案外、戒名に限られるのかもしれない。
→都会における院号のインフレ化の背景には、そうした都会人の欲望がからんでいる。
→1995年、寺院に対して63万7900円が支払われ、そのうち戒名料は40万2400円だった。
2001年、寺院に64万2700円が支払われ、戒名料は38万1700円だった。
→1990年代後半、不況が深刻化し、戒名料は少し下がったものの、寺院への支払額全体は増えている。
→近年では、物価が下落する年も少なくなく、全体として物価水準はそれほど大きくは変わっていない。
そんななかで、布施の額は確実に上昇し、不況下でも高値で定着してしまったのだ。
・結婚式の場合には、結婚情報誌『ゼクシィ』の2009年調査では、その費用の総額は433万2000円である。
これは新婚旅行や土産の費用が含まれるが、それを除くと367万9000円である。
→葬式費用の全国平均は231万円だから安いが、結婚が二人のためと考えれば、故人一人のための葬式
のほうが金がかかることになる。
・一般に一つの寺を維持していくためには300件の檀家が必要だと言われる。1年間に営まれる葬式の数は
およそ檀家数の5パーセント程度である。
→日本消費者協会による2007年の調査で明らかになった戒名料を含む布施の全国平均、54万9000円を
掛けると、823万5000円が年間の収入である。
・火葬することが贅沢だという見解もある。
→火葬するには石油やガスを使うので、二酸化炭素を排出することにつながる。
→これから死者の数が増えていけば、排出量は必然的に増える、だったらその削減のためにもう一度
土葬に戻した方がいいのではないか、宗教学者の山折哲雄氏は提唱している。
★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆
<コメント>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
みなさんに是非読んで頂きたい文章が最後にあったので、『読書メモ』でなくコメントに
掲載します。少し長文ですが、是非お読み下さい。
『大往生できるということは、本人にとっても、残される家族にとっても、一番の幸福であると言える。
故人を弔うための場に集った人のなかに、故人はもう十分に生きたという思いが生まれるものであるなら、
死をことさら悲しむ必要はないし、むしろ、故人が立派に生き抜いたことを素直に喜べばいい。
そんな葬式なら無用とも言えない。
そこで、涙と笑いが交錯することになる。
どんな葬式でも、会葬者同士が久しぶりに再開する場面がよく起こる。故人の死が、長く離れていた生者の
再開をとりもつことになる。それも故人の功徳であり、遺族や参列者はその恩恵を被ることができる。
一人の人間が生きたということは、さまざまな人間と関係を結んだということである。
葬式には、その関係を再確認する機能がある。その機能が十分に発掘される葬式が、何よりも一番好ましい
葬式なのかもしれない。そんな葬式なら、誰もがあげてみたいと思うに違いない。
最期まで生き切り、本人にも遺族にも悔いを残さない。私たちが目指すのはそういう生き方であり、死に方である。
それが実現されるなら、もう葬式がどのような形のものでも関係ない。
生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにするのである。』
みなさんはどのように感じたでしょうか?
是非、みなさんの感想を教えて下さい。
<編集後記>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
最近、仕事の関係でネットワーク関連の勉強をしています。
全く素人なので、入門書を2冊買ってきて、時間がある時に蛍光ペンで線を引きながら読んでいます。
専門書を読んでいると、中小企業診断士の1次試験科目である『経営情報システム』で勉強した内容が載っていました。
試験勉強では、知識を『暗記』するだけですが、仕事で必要になると『暗記』だけではダメで、
『理解』して『使えないといけない』ので、正直大変です…
『知っている』と『出来る』『使える』では、大きな違いがあるんだなぁ~と改めて思うhimetakuでした。
<お知らせ>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
メールでのご意見・ご感想はこちらへ → himetaku@mail.goo.ne.jp
もちろん、コメントでもOKです。
題名:葬式は、要らない
著者:島田 裕巳
<読書記録>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読破時間:2.0H
おすすめ度:☆☆☆(5点満点3点)
<読書メモ> ★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆
・高野山は真言宗の総本山だか、その奥の院に葬られた弘法大師・空海は、
まだ生きているとされている。
→今でも高野山の僧侶達は一日に三度、弘法大師のもとに食事を運ぶ。
・葬儀費用の全国平均は231万円である。
→葬儀一式費用(葬儀社へ支払うもの)が142万3000円
飲食接待費用(料理屋、香典業者などへの支払い)が40万1000円
お布施・心付け(寺などへ支払うもの)が54万9000円
→地域格差が大きく、四国が全国最低の149万5000円であるのに対して、
もっとも高い東北は282万5000円で、四国の倍である。
→231万円は世界と比較しても、飛び抜けて高い。
1990年代の前半、アメリカの葬儀費用は44万4000円、イギリスは12万3000円
ドイツは19万8000円、韓国は37万3000円
→しかも、日本人の葬儀費用は昔に比べて上昇している。
1992年では226万1000円、1995年では215万5000円であった。
・葬式は決して喜ばしい場ではない。その点で、贅沢をすべきではないはずである。
・葬式が簡略化され、近親者中心に変化したのは、故人の高齢化によって故人を知る
参列者が減少したことが、もっとも大きく影響している。
→しかし、葬式に参列するのは、故人を直接知る人だけとは限らない。故人を知らない
遺族の関係者の参列も決して珍しくない。
→葬式には、故人の死を悼むとともに遺族を慰めるという役割もあるからだ。
・今日の仏教は「葬式仏教」と言われるように、死者を葬ることを第一の使命にするが、
飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教は、高度な学問の体系として受容され、
葬式仏教の側面はまったくなかった。
→現代の人間は、とくに奈良の古寺にひかれるのも、そこから葬式仏教の臭いがしてこない
せいかもしれない。
・現世において豊かで幸福な生活を送った貴族たちは、死後もその永続を願い、
現世以上に派手で華やかな浄土の姿を夢想した。
→ここにこそ日本人の葬式が贅沢になる根本的な原因がある。
・葬式は、故人の人生を直接に反映する。
→成功者にはそれにふさわしい葬式が不可欠だという思いが、成功者の葬式をひどく贅沢なものに
仕立て上げていく。
・「戒なき坊さんから戒名を受けるという根本矛盾だ」と神宮寺の住職、高橋卓志は述べている。
→日本の僧侶は妻帯し、酒も飲む。どちらも五戒によって戒められている。
→僧侶が破戒の道をたどっている以上、戒名を授けることなどありえないのに、現実は、葬式の際に
僧侶による授戒が行われており、これは極めて矛盾したことだ、と言う
・戒名はあくまでも出家者のためのもので、一般の俗人が授かるものではない。
・サラリーマンには子孫に残せるものはほとんどない。あるとしたら自宅だが、一般のサラリーマンが
買える家は、他人に誇れるほど立派な屋敷ではない。そんなサラリーマンにとって、自分が生きた証
として残せるものは案外、戒名に限られるのかもしれない。
→都会における院号のインフレ化の背景には、そうした都会人の欲望がからんでいる。
→1995年、寺院に対して63万7900円が支払われ、そのうち戒名料は40万2400円だった。
2001年、寺院に64万2700円が支払われ、戒名料は38万1700円だった。
→1990年代後半、不況が深刻化し、戒名料は少し下がったものの、寺院への支払額全体は増えている。
→近年では、物価が下落する年も少なくなく、全体として物価水準はそれほど大きくは変わっていない。
そんななかで、布施の額は確実に上昇し、不況下でも高値で定着してしまったのだ。
・結婚式の場合には、結婚情報誌『ゼクシィ』の2009年調査では、その費用の総額は433万2000円である。
これは新婚旅行や土産の費用が含まれるが、それを除くと367万9000円である。
→葬式費用の全国平均は231万円だから安いが、結婚が二人のためと考えれば、故人一人のための葬式
のほうが金がかかることになる。
・一般に一つの寺を維持していくためには300件の檀家が必要だと言われる。1年間に営まれる葬式の数は
およそ檀家数の5パーセント程度である。
→日本消費者協会による2007年の調査で明らかになった戒名料を含む布施の全国平均、54万9000円を
掛けると、823万5000円が年間の収入である。
・火葬することが贅沢だという見解もある。
→火葬するには石油やガスを使うので、二酸化炭素を排出することにつながる。
→これから死者の数が増えていけば、排出量は必然的に増える、だったらその削減のためにもう一度
土葬に戻した方がいいのではないか、宗教学者の山折哲雄氏は提唱している。
★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆
<コメント>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
みなさんに是非読んで頂きたい文章が最後にあったので、『読書メモ』でなくコメントに
掲載します。少し長文ですが、是非お読み下さい。
『大往生できるということは、本人にとっても、残される家族にとっても、一番の幸福であると言える。
故人を弔うための場に集った人のなかに、故人はもう十分に生きたという思いが生まれるものであるなら、
死をことさら悲しむ必要はないし、むしろ、故人が立派に生き抜いたことを素直に喜べばいい。
そんな葬式なら無用とも言えない。
そこで、涙と笑いが交錯することになる。
どんな葬式でも、会葬者同士が久しぶりに再開する場面がよく起こる。故人の死が、長く離れていた生者の
再開をとりもつことになる。それも故人の功徳であり、遺族や参列者はその恩恵を被ることができる。
一人の人間が生きたということは、さまざまな人間と関係を結んだということである。
葬式には、その関係を再確認する機能がある。その機能が十分に発掘される葬式が、何よりも一番好ましい
葬式なのかもしれない。そんな葬式なら、誰もがあげてみたいと思うに違いない。
最期まで生き切り、本人にも遺族にも悔いを残さない。私たちが目指すのはそういう生き方であり、死に方である。
それが実現されるなら、もう葬式がどのような形のものでも関係ない。
生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにするのである。』
みなさんはどのように感じたでしょうか?
是非、みなさんの感想を教えて下さい。
<編集後記>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
最近、仕事の関係でネットワーク関連の勉強をしています。
全く素人なので、入門書を2冊買ってきて、時間がある時に蛍光ペンで線を引きながら読んでいます。
専門書を読んでいると、中小企業診断士の1次試験科目である『経営情報システム』で勉強した内容が載っていました。
試験勉強では、知識を『暗記』するだけですが、仕事で必要になると『暗記』だけではダメで、
『理解』して『使えないといけない』ので、正直大変です…
『知っている』と『出来る』『使える』では、大きな違いがあるんだなぁ~と改めて思うhimetakuでした。
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