緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

新春俳句

2009年01月29日 01時11分45秒 | 俳句和歌
年玉を 吾が甥にやる 二十六(歳)
としだまを わがおいにやる にじゅうろく
 牛の年に役柄の変わったことに初めて気づいた。嘗てお年玉をもらうことから年玉を(赤ん坊の甥に)やるようになった。授受関係を示す「やる・もらう」がやはり違うんである。二十六歳 ———— 一つの節目なのだろう。



【蝋月歌】

2009年01月27日 13時20分36秒 | 民風民俗
  「二十三,糖瓜粘。二十四,掃房子; 二十五,磨豆腐; 二十六,去割肉(燉燉肉); 二十七,宰公鶏(殺籠鶏); 二十八,把面発; 二十九,蒸饅頭; 三十晩上熬一宿, 大年初一扭一扭。」

 「お正月シリーズ」の紹介はこの『蝋月歌』を基にしたものである。今日はこの歌(実は民謡)を五七調で訳してみようと思っている。

 「二十三、飴瓜貼る日。二十四、大掃除の日。二十五の豆腐揚げる日。二十六、肉切り取る日。二十七、にわとり殺す。二十八、面発酵す。 二十九、饅頭蒸す日。三十夜、徹夜すや。ついたち踊り。」

お正月(8)年三十

2009年01月25日 12時57分54秒 | 民風民俗
 春節とは旧暦の正月である。中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国大陸や台湾のみならずシンガポールなどの中華圏国家では数日間の祝日が設定されている。欧米諸国でも近年とても人気をよんでいた御祭りのようである。

 春節での習慣としては、起床後に年配者に対して長寿を祝う言葉を述べ、その後近隣住民や知人と春節を祝う言葉を述べ合うものがある。これは所謂拝年である。
 正月料理は一般に鶏(吉と同音JI)や魚(余と同音YU)を食べるとされるが、広大な中国の中では地方により正月料理も大きく異なる。北方では餃子が知られており、南方では一年が甘くなるようにという願いを込めて糖蓮子や元宵、糖年糕を食べる習慣がある。
  
 また家庭では春節用の衣装を用意し、新年の華やかさを演出するだけでなく、新年に幸運をもたらす意味を持たせている。(一部の内容はWikipediaより引用する)

お正月(7)蝋月二十九日

2009年01月24日 11時45分54秒 | 民風民俗
旧暦・蝋月二十九 晴れ 気温零下二十度
 今日は旧暦二十九で昔なら饅頭を蒸す日でもある。
 饅頭にもいろいろな種類がある。豆餡子饅頭、砂糖饅頭、棗饅頭などである。出来上がった餡子無き饅頭に辰砂の赤点をしなければならない。餡子のあるものと区別するためである。実に別の言われがある。桃の形を真似するためである。先回の投稿に書かれたように、赤点があると、西王母が育てているモモのようだと信じられ、不老長寿を意味するという。



桃のように見えるかな?


お正月(6)蝋月二十八日

2009年01月23日 11時50分32秒 | 民風民俗
旧暦・蝋月二十八 晴れ 気温零下十八度
 今日は旧暦二十八で、昔なら「桃の符」(現代の「春聯」の源)を貼り、面を発酵する日である。
 「桃の符」を貼るのは、古代で魔を避けるためであった。古代で「桃の木」は五木の精だと信じられ、魔よけのために使われた。「桃の符」はそれだった。「典術」という書物に「桃てふもの、五木の精なり。故魔除け物なり。」と書かれる。五木とは「桑の木、楡の木、桃の木、槐の木と柳の木」の五種類である。桃の木の精(エルフ)は鬼の門というところに生まれ、百鬼を屈服させる。それが故に、桃の木で人形や札(符)を作って、正門に立たせる。「西遊記」に書かれるように、「天の宮に蟠桃の果樹園があり、それが西王母が育てているモモで、数千年に一度結実し、その実を食べると不老長寿になれる」という。そのため、「桃の木」は不老長寿の神木だと信じられる。

 (桃の木で作られた神鹿や松など)
 家の祖父が嘗て漢方医であったので、聞いてみたら、「桃の木は温性で鎮静除邪、血を活させ鬱血を散らす、脳機能を促し安眠させる効きがある」ので、漢方医の理論によって、よく桃の枕に作られる。
 製紙術が発明された以降、「桃の符」は「春聯」、「門神」、「窓花(切り紙のこと)」などに代られた。

窓花
門神:二人の手にしているのは「桃の木」で作られた剣で、上記のように、剣に「百鬼」を屈服させる不思議な力があると信じられる。
春聯:春(貼る?)聯によく二句(聯)がある。「上聯と下聯」で、真ん中の四文字が「横批」(横は横に貼るを意味して、批は「二聯の内容を評論、要約、高め、謳歌することを意味する)である。


お正月(4)蝋月二十六日

2009年01月21日 12時40分22秒 | 民風民俗
旧暦・蝋月二十六日 晴れ 気温零下6度

今日は旧暦二十六日で、昔なら肉を切り買いに行く日でもある。もちろん、肉を煮る日でもある。

 二十六から二十八までの三日間は団欒飯の肉類、魚介類、野菜などを用意する時である。家庭主婦らは市でいろいろなものを買い帰って、団欒飯の用意に追われる。猫の手も借りたいほどだ。

 家の母は今日田舎に披露宴に参加しに行った。

お正月(3)蝋月二十五日

2009年01月20日 12時37分13秒 | 民風民俗
旧暦・蝋月二十五日 曇り 気温零下2度
 今日は旧暦二十五日で、昔なら豆腐を磨いてあげる日でもある。
 
 考証によって、豆腐は西漢淮南王劉安によって発明されたと言われる。南宋の朱熹に「豆腐」を題とする詩がある。
 「種豆豆苗稀,力竭心已腐,早知淮南術,安坐獲泉布。」
 注:1)淮南術:豆腐は西漢淮南王劉安によって発明されたと言われるから、豆腐を作る技術を淮南術とよぶ。
   2)泉布:古代では「お金・貨幣」のことを「泉児」とよぶことがある。ここでの「泉布」は布の貨幣を指す。
   3)訳:豆を種えるが、その苗はあんまり良くない。そのため、力無くて心も腐った。早めに豆腐を作る技術を知ったら、のんびりと座ってお金を儲けることだ。
 地方によって、豆腐の性格もかなり違う。「南柔らか北硬い」と言われる。一部の地方で二十五日に「おかす」を食う風俗もある。言われがあるそうだ。玉皇がカマド神の報告を聞いて、わざと自ら天下りしてそれを確認するから、世の家々は「おかす」を食って玉皇をごまかすためだからである。「おかすを食う」ことは清貧さを示して節約のしるしでもある。

お正月(2)蝋月二十四日

2009年01月19日 16時13分25秒 | 民風民俗

  旧暦・蝋月二十四日 曇り 気温零下10度

 今日は蝋月二十四日。大掃除する日でもある。
 さて、昨日は二十三日で、「カマド神」を天に送る日。今日は家の隅々まで掃除しなければならない。
  
 掃除を言えば、埃を言わなければならぬ。中国語で埃は「尘(chen」と発音して、「古い、旧い」を意味する「陳chen」と「掛け言葉」になる。こうしたら、「埃を掃除すること」は「陳(古さ)を掃除すること」になる。成語の「除陳布新(旧さを掃除し新しさを布置する)」はこの通りである。
 窓ガラスをキラキラとさせる。寝具をフワフワとさせる。
 食器をピカピカとさせる。勿論、もっとも重要なのは心をウキウキさせることだ。
 フワフワしていた布団の中から太陽の匂いがすることが如何に懐かしいことだ。

 除陳布新の日は好日である。

お正月(1)蝋月二十三日

2009年01月18日 15時29分49秒 | 民風民俗
 旧暦・蝋月二十三日 晴れ 気温零下13度
 注:蝋月の「蝋」は「猟」である。古代で旧暦十二月が祭る時である。漢・応劭「風俗通義」曰く、「夏曰嘉平,殷曰清祀,周用大蜡,漢改為腊。腊者,猟也,言田猟取禽獣,以祭祀其先祖也。」つまり、十二月に野で獣を狩りて、祖先を祭る風俗がある。
 
 民間では今日を「小年」ともいう。「カマド神」を天に送る祝日(「カマド神」を祭る)でもある。
 カマド神は民間諸神の中でよく知られる一柱。もちろん、われわれの日常生活(特に台所の一切)を見守る一柱の神でもある。以下の「対聯」に書かれたような「上天言好事、回宮降吉祥」は、「乞い言葉」である。訳してみたら、「カマド神、天の宮ではぜひ家の良い事を玉皇大帝に上申してください。天下る時、ぜひ吉祥をもたらすように」という。「回宮」を「回宅」に書くこともあり、「天下り」という意味。

     
 昔では「カマド神」を祭る時に、小麦粉や砂糖などで作った「糖瓜」(飴の一種で粘度が高い。我が故郷では「胡麻飴」を使うことが多い)を「カマド神」に捧げる。これには言い訳がある。つまり、「甘い糖瓜を食べてから、天帝の前で悪い(甘い)ことを言わないでほしい」とある。
 
 「胡麻飴」の味は懐かしい。子供の時、故郷の旧家でよくそれをカマドの台から盗んで食ったものである。その時、カマド神は怒ったかなあ!!~?(笑う)
 今日からお正月が正式に始まる。楽しみ!