a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

幻の著作?:アルチュセールの『学校』?

2006年11月13日 | 読書
 意味深なタイトルを付けてしまいましたが、たいした内容ではないので、そのつもりで。

 立命館大学で7月に開催されたアルチュセール・マラソンセッションに関連して、立命館大学の紀要で論文を執筆することに。内容は、ニート・引きこもり問題、あるいは外国籍を持つ児童の就学問題について、アルチュセールの『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』と関連づけて論じて欲しいという依頼。

 アルチュセールも『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』の中で学校が階級の再生産に果たす役割を論じているが、あまりにも一般的に論じられているため、補足の資料に何か使えないかと、パラパラと本をめくっていると、エスタブレのL'?cole capitaliste en Franceが目に入る。

 この著作、前のエントリーでも触れた通り、アルチュセールのかつての弟子であったエスタブレが、アルチュセール的な問題設定(と同時にブルデュー的なそれ)によって、実際の仏の学校制度を具体的に分析したもの。それが、あまりにも仏の学校制度に焦点を合わせすぎているためなかなか応用が難しい、読むのに骨が折れる(文脈が固有すぎるため)と考えていたため、本棚でかなりの時間眠っていた(ちなみに非常勤をさせていただいている大学の図書館で借りたため、かなりの延滞になっている(_ _ )/ハンセイ:ちなみにこの本、71年出版なのだが、今まで借りたのは私一人のよう。すごい……)。

 それが、前書きの献辞に、主にバリバールやマシュレの名が上げられていることを発見。これはそのまま、『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』に掲載されているバリバールの論稿に置いて触れらていた『学校』という著作の出版計画に携わっていた研究メンバーである。この『学校』という著作の計画は、アルチュセールの再生産論の執筆と同時並行で進められていたようなのだが、結局両者とも未刊行に終わる(アルチュセールは再生産論の一部を論文として発表;それが彼の国家のイデオロギー装置概念を提起する機会となる)。
 考えてみるに、このエスタブレの著作には(ボデロウと共著なのだが)、少なからずこの未刊行の『学校』出版計画の影響を見て取ることができるのではないか。俄にそう思われてきた。

 そうした意味では、彼の再生産論を補足するものとして、捉えることもできるだろうと思われる。なかなか、良い文献を見つけられたと思ったのだが、問題はそれを読むこと

 理論書ではないから、それなりのスピードで読めなくもないが、骨が折れるのも事実……。もっと語学力が欲しいと痛感する日々である。


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