前回のエントリーで触れた本に関する続きである。
と、言いつつ、実際には本のことではなく、装置という概念について。この装置という概念はフーコーの場合dispositifという概念が使われている。
これに対して、ブルデューがよく使う語で、性向と訳されている語がある。ハビトゥスの説明の際に心的性向とかいった使い方がされていたのではないかと思う。個人的性向とか、その他にも用法があったと思うが、この性向の原語がdispositionなのである。綴りから見て通り、dispositifの関連語であるが、このdispositonには、メカニズムという類義語がある。あるいはdispositionの意味の説明とメカニズムと使われている。それからconfigurationという意味もある。つまり、dispositionが表す「性向」とは、様々な要素、あるいは回路が配置されて産み出される性質、そうした意味での「メカニズム」なのである。
ゆえに、性向とは、単純な意味での性質ではなく、複合的な要素から作られるメカニズムがもつ性質なのである。で、まあ、ブルデューの場合などで「心的性向」と訳されている所などに「心的メカニズム」と訳すのも、非常におもしろいし、そこで議論の深化も可能であると思われる。ただ、訳語の持つ問題故に、例えば「個人的性向」を「個人的メカニズム」と訳してしまっては、意味があやふやにならざるを得ないが。この場合は、「個人が備えるメカニズム」ぐらいの補訳をすべきなのだろうが、それとて、結構綱渡りだとおもう。
そういう意味では、「性向」は、全体としては良い訳なのかもしれない。
実際、私が、西川長夫先生などとアルチュセールの「再生産について」を翻訳した際も、このdispositionをメカニズムと訳しては? と提案した際も、単純に却下されてしまった(笑)。
ただ、性向というものの背景には、「メカニズム」という意味が含まれていることを意識しながら読むことは重要かもしれない。
と、言いつつ、実際には本のことではなく、装置という概念について。この装置という概念はフーコーの場合dispositifという概念が使われている。
これに対して、ブルデューがよく使う語で、性向と訳されている語がある。ハビトゥスの説明の際に心的性向とかいった使い方がされていたのではないかと思う。個人的性向とか、その他にも用法があったと思うが、この性向の原語がdispositionなのである。綴りから見て通り、dispositifの関連語であるが、このdispositonには、メカニズムという類義語がある。あるいはdispositionの意味の説明とメカニズムと使われている。それからconfigurationという意味もある。つまり、dispositionが表す「性向」とは、様々な要素、あるいは回路が配置されて産み出される性質、そうした意味での「メカニズム」なのである。
ゆえに、性向とは、単純な意味での性質ではなく、複合的な要素から作られるメカニズムがもつ性質なのである。で、まあ、ブルデューの場合などで「心的性向」と訳されている所などに「心的メカニズム」と訳すのも、非常におもしろいし、そこで議論の深化も可能であると思われる。ただ、訳語の持つ問題故に、例えば「個人的性向」を「個人的メカニズム」と訳してしまっては、意味があやふやにならざるを得ないが。この場合は、「個人が備えるメカニズム」ぐらいの補訳をすべきなのだろうが、それとて、結構綱渡りだとおもう。
そういう意味では、「性向」は、全体としては良い訳なのかもしれない。
実際、私が、西川長夫先生などとアルチュセールの「再生産について」を翻訳した際も、このdispositionをメカニズムと訳しては? と提案した際も、単純に却下されてしまった(笑)。
ただ、性向というものの背景には、「メカニズム」という意味が含まれていることを意識しながら読むことは重要かもしれない。
![]() | 再生産について 上 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー) |
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