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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

ポストモダンとドラッグ?

2009年08月30日 | 社会問題
最近は芸能人の麻薬問題がメディアを賑わせているが、そこで思い出したのが、ガタリのドラッグに関する主張。

 これは学部生時代に何かの本を読んで、そこで紹介されていたのだと記憶しているが、時間がないので文献を確かめられなかった。というわけなので、かなり記憶で話をしているので、そのつもりでいて欲しい。

 ガタリは、ドラッグは合法化した方が良いというものであった。無論それは、「法的な規制をすべて無効化する」or「人間の自由を極限まで解放する」などの所謂ポストモダン的な主張ではなく、彼の主張は、ドラッグに関しては合法化した方がむしろ効果的な対策が講じられるというものであった。
 つまり合法化することで、その問題を公にし、それに対する効果的な医療的処置をできるようにするということのようだったと記憶している。

 その当時は、「なるほど、こういう考え方もあるのか」や、「実際にそう言う方が効果があるかもしれない」と思った。

 が、しかし、現在は、そうした考えの効果には大きな疑義を持っている。

 たしかに、この問題については、そのドラッグの違法性をことさら声高に非難するだけで、addictionからいかに抜け出すかの方法やサポートの議論がないまま、報道が推移しているのは、問題があると思う。まあ、セルフヘルプグループは、実際に日本にもあるようだが。

 いずれにしても、この種の問題には、医学的なアプローチも含めた専門的な処置が必要だという認識が、あまりあるようには思えない。そう考えると、問題の存在を公に認めると言うことがまず第一歩であり、そうした意味ではガタリの意見にも、一理あると思えなくもない。

 ただし、実際にドラッグが広がったとなれば、そうは言っていられないだろうな。というのが、現在の私の考えである。

 というのも、実際に公に医学的な措置が可能になったとしても、実のところ、そうした医療を受けラルカ受けられないかの社会階級上の問題は、依然大きく存在するからである。医療費を払える人と、そうでない人では、依存から抜けられるか否かの境界も違ってくる。そうした社会経済上の問題も、この問題には、大きく関わることになるのではないか? 例えば、米などはすでにその段階なのかもしれない(私は、米社会のことは経験的に知っているわけではないが)。

 まあ、ただ、ガタリが生活していた仏は、社会保険が100%医療費をカバーするので、上のような問題はあまり考慮の必要がないのかもしれないが。ただ、いずれにしても、そうした考え方が可能なのは、保健などの医療制度がしっかり整っていたからであると、言えるかもしれない。

 日本に関して言えば……。現在の状況だと、医療保険のネットからこぼれ落ちようとしている人も決して少なくないことを考えると、問題は深刻になるのではないか、そう考えられなくもない。

 芸能人の問題として、彼岸の問題と考えているなら、それは大きな過ちかもしれない。そう思うのだった。

 と、自分に関して言うと、私は最近は特に、ストレスや問題を抱えると食欲の方にaddictしてしまうのだが(苦笑)。(食欲でさえ抜け出すのに四苦八苦しているのだから、故に、もしそう言う薬物にはまることになったら、決して抜け出せないだろーなと、背筋が寒くなる思いである)


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