光りの進軍  光りよ通え・・・☆

合言葉は光の使命を果たす。
心一つに情報発信

太平洋戦争VS大東亜戦争 (日米の戦略の違いを考える)

2013-12-24 20:10:10 | 土佐のくじら

2013-06-15 12:16:49 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

一般的に日本人は、とても歴史好きだと私は思います。
毎年年がら年中やっている、NHKの大河ドラマは歴史物オンリーですよね。

それは歴史ものの番組は、視聴率が安定的に取れるということです。
このような歴史好きの国民は、他には存在しないと私は思います。

そんな日本人であっても大っ嫌いな時期が、この昭和初期第2次世界大戦のころです。
それは知れば知るたびに、落ち込むからです。
この時期が好きな人は日本では即、軍国主義者のレッテルが貼られてしまいます。(笑)

しかしそれは、戦勝国である連合国側の陰謀かも知れませんよ。
それは、真実を精査すれば、彼らにとって不都合すぎるできごとがあるから・・・。
そういうミステリーを含んだものであったなら、この時代はおもしろいと思いませんか?

大衆レベルで人気のあった政治指導者平清盛に対する、鎌倉幕府側のアンチキャンペーンが、
あの平家物語の真相だとすれば、この時期の日本の暗黒史観の、過剰な演出も理解できなくもありません。

ともあれ、全世界が寄ってたかって、不都合な真実を隠そうとしている部分を暴くのは、
一人の歴史オタクとすれば、これほど楽しいことはございません。(笑)

さて我々日本人は、かつての日米戦争を、「太平洋戦争」と勉強しておりますね。
しかしこれは、アメリカ側から見たこの戦争観から来た戦争名なのです。

おそらく戦勝国であるアメリカ側から、押しつけられたはずなのですね。
歴史は勝者が書くからです。

日本ではこの日米戦争は、「大東亜戦争」と呼んでおりました。
この戦争名の違いは、何を表しているのでしょうか?

太平洋戦争 という名前には、太平洋を股にかけた戦争 というイメージがあります。
日米両国の間には世界最大の海、太平洋がありますので、そのままのイメージ通りですと、

日米の対決の結果、アメリカが勝利した戦争・・・ということですね。

おそらく大部分の日本人には、このイメージが定着していると思います。
平家物語で、平清盛悪人説が日本に定着したように、この太平洋戦争という呼称の定着も、日米の直接対決をイメージさせるものですね。

一方日本側の名称は、大東亜戦争です。これは、広範囲の東アジアにおける戦い という意味になりますね。
大東亜戦争に、日米戦争が組み込まれている訳です。

これをまじめに解析すると、
アメリカ側には、日本と戦っていた という認識になりますし、
日本側からは、アジアの戦いが主で、アメリカとはついでに戦っていた という認識の違いが読み取れます。

この戦略の違いを理解することが、あの戦争を読み解く上で、とても重要だと私は思うのです。

つまり、

「太平洋戦争」という呼称には、アメリカと戦っているのになぜ同時に日本は、アジア進出しているのか・・・を、
解らなくさせる効果が十分にある名称 なのです。

実は当時の日本は、アメリカとは本腰では戦っていなかったと私は思うのです。
戦勝国アメリカにとっては腹立たしいことでしょうが、これは当時の軍事予算の配分にも現れています。

対アメリカ戦線への予算は、全軍事予算の、せいぜい2割程度なのですね。
そのほとんどを、中国大陸戦線に使っております。

それが現すものは、

当時の日本にとっては、アメリカを懲らしめやっつけることよりも、中国大陸での戦いの方が重要性があったということに他なりません。

中国大陸での戦いの真相は、インドネシアに通じる石油ルート確保のための、中国大陸の港制圧 が私の見解です。
今で言うなら、シーレーンの確保ですね。これに8割近い予算を投入しています。

ハワイ真珠湾攻撃も、アメリカ領フィリピンへの補給路を断つ以外には効果がないと思われます。
それによって、フィリピンからアメリカ兵を追い出せ、この地を制圧できました。

ABCD包囲網で絶たれた石油確保を目的としたインドネシアルート確保のために、フィリピンからアメリカを追い出す目的で、
宗主国であるアメリカに宣戦布告したとしか、私には思えない のです。

私は思うのです。

当時の日本が、もしもアジア戦線をとりあえず沈静化させ、アメリカと一騎打ちができていれば、日本はアメリカに勝利していた可能性が高いと。

もしもそうならば、今一度この戦いの動機を洗い直し、戦略と戦術面にまで踏み込んだ全貌の精査が必要であると思います。
でなければ本当の意味で、歴史教育にはならないし、今後の日本の選択における、重要な教訓を学ぶことにはならないと思うのです。

日本には、「戦争責任」はありません。
あるのは、 「負けた責任」がある のです。

資源に乏しい日本にとって、石油の独自ルート確保が目的ならば、重要な国防論議です。
それは今でも、状況は変わらないはずです。

侵略ならば、戦況を見て判断し、ヤバくなれば退却すれば良い のです。
しかし国防の戦いには、負けは許されない のです。

「土佐のくじら」より転送http://blog.goo.ne.jp/orbakuchan/e/a823e4c6c66fdec21c38e563b4e628d9


最新の画像もっと見る

コメントを投稿