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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

藤原宮跡 第189次調査 現地説明会

2016-11-05 18:56:50 | 現地説明会
 平成28年10月2日(土)
 藤原京の発掘調査もすでに189次調査になるそうだ。1969年に国立奈良文化財研究所による第1次発掘調査が始まっており、それからもう47年になる。ただ、藤原京の発掘の歴史はもっと古く1934年から始まっている。
 今年度は5月にも第187次調査の現地説明会が行われており、今回で2回目である。(残念ながら5月の説明会は仕事の関係でいくことが出来なかった。)
 今回の発掘調査は、藤原宮大極殿院の南門の南側、朝堂院朝庭の北端部を調査を行い、藤原宮期の遺構として、礫敷広場、大型柱穴群、柱穴列などを検出している。

 特に今回は、第153次調査で検出されている柱穴群に対応する柱穴群を検出することが大きな目的であった。

 

 写真が、第153次調査で検出された柱穴群である。そして、今回の調査で見事藤原宮の中軸を挟んでほぼ東西対象の位置に柱穴群(B~D)が見つかっている。

 

 また、藤原宮の中軸の線上に、柱穴Aがある。(この遺構については、第153次調査で検出されていた。)

 

 これらの柱穴の配置状態から「続日本紀」の文武天皇大宝元年の元日朝賀に際して烏形、日像、月像、四神という7本の幢幡を建てたとされる幢幡の遺構ではないかとのことであった。幢幡については、飛鳥宮跡や難波宮跡、長岡宮跡でも見つかっている。ただし、藤原宮の特徴としては、宮中軸上に1基、東西に各3基が対象に並んでいるところにある。
 また、四神については、青龍、朱雀、玄武、白虎であり、高松塚古墳やキトラ古墳の築造時期とも重なることから、同じような思想を背景に持っていたのだろうと思われる。

 

 

 柱穴C・Dについては、平安時代に大きな土坑が彫られた関係で上部はかなり削られているとのこと。

 現地に7本の幢幡を建てた様子を想定した写真が現地に掲示されていたのがこれである。

 

 また、調査区の南端で東西に並ぶ柱穴が検出されている。この柱穴についても宮中軸を挟んで東西対称に8基、計16基で構成されている。

 

 この柱穴については、両端を除き、2本の柱を建てる構造になっているらしい。この遺構に関しても、先の柱穴A~Dと同様に朝堂院の朝庭で執り行われた儀式に関係する旗竿の遺構であると考えられている。

 

 また、今回の発掘で南北の溝が3つ見つかっている。このうち南北溝2については、先行している朱雀大路の西側溝と考えられている。

 なお、今回の発掘で、多くの軒平瓦、軒丸瓦が見つかっている。

 

 これもそのうちの一つである。同じものが藤原宮跡資料館にも展示されている。

 今回の発掘では、古代律令国家の形成期の儀式の様相を窺い知ることができるものであったといえそうである。


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