高江に在日韓国人が参加するのは珍しいことではない。共産党に民族差別はない






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高江に在日韓国人が参加するのは珍しいことではない。共産党に民族差別はない
 高江のヘリパッド建設運動に在日韓国人参加していて、逮捕者も出ている。キャンブ・シュワブには韓国からやってきた。沖縄の反対運動に在日韓国人が参加していることにいぶかしがる人が多いが、在日韓国人は戦前から共産党に入党している者は多い。
 共産党宣言に「万国の労働者よ団結せよ」と宣言しているように、共産党は労働者の解放を目的にしていた。共産党は民族にはこだわっていない。戦前、朝鮮人は差別され貧困な生活を強いられていた。共産党は朝鮮人の解放も目指していたから多くの朝鮮人が共産党に入党した。そして、日本人と一緒に運動をした。
 多くの朝鮮人が共産党員であったことを予想できるのが中野重治の「雨の降る品川駅」である。この詩は一九二九年(昭四)の「改造」二月号に発表された。

雨の降る品川駅

辛(しん)よ さようなら
金(きん)よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李(り)よ さようなら
もう一人の李よ さようなら
君らは君らの父母(ちちはは)の国にかえる

君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る
海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる

雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる

君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら 女の李 

行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰(せ)かれていた水をしてほとばらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで

 搾取され貧しい生活を強いられているプロレタリアートを解放して自由で豊かな社会を目指しているのが共産主義である。プレタリアートはみんな仲間であるというのが共産主義であるから朝鮮人もまたプロレタリアートであり仲間である。共産主義は民族の区別はしない。だから民族差別を否定する。朝鮮人も仲間であることがさ「雨の降る品川駅」からそのことが理解できる。

「髭 眼鏡 猫背の彼」とは昭和天皇のことである。天皇崇拝の時代に、昭和天皇を人間として描いていることでもこの詩は有名である。だからこの詩はすぐ発禁となるし、中野重治も特高警察に狙われるようになる。

 国家の共産党への弾圧は熾烈であり、「雨の降る品川駅」と同じ年に「蟹工船」を発表した小林多喜二は1933年2月に特高警察に捕まり、警視庁特高係長中川成夫(警部。のちに滝野川区長、東映取締役)の指揮の下に、寒中丸裸にされ、須田と山口に握り太のステッキで打たれて殺された。
 特高警察が死に至るほどの拷問をするのは共産主義者を「転向」させる目的があり、多くの共産主義者が特高警察の拷問によって転向した。中野重治も拷問に耐えることができないで「転向」した。

 1931年9月6日群馬県佐波郡伊勢崎町で行われた文芸講演会に小林多喜二と中野重治は一緒に出る予定であったが事前に官憲に拘束された。しかし、民衆が伊勢崎警察署を包囲し、抗議、占拠、乱闘のすえに、民衆側と警察の両者の交渉がもたれ、検束者全員の釈放が実現した。しかも抗議団に逮捕者はなかった。治安維持法下であり得ない事件として有名である。
 戦前の共産党はプロレタリアートを無産者階級と呼び、無産者階級の貧しい人たちを救うことを目的にしていた。しかし、共産党への国の弾圧はすさまじかった。

 共産党への弾圧は戦後に日本が議会制民主主義国家になることによって一変する。刑務所に入っていた共産党員はすべて解放されて自由になり、表現も政治運動も認められるようになった。
 戦後の議会制民主主義社会は戦前に共産党が望んでいた労働者の自由や平等の権利が実現した。共産主義を民主主義と同一視していた詩人や作家たちは多かった。そのような詩人や作家たちは共産党から離れていった。戦後は暴力革命によって共産党一党独裁国家を樹立することにこだわる共産党から離脱する共産党員は後を絶たなかった。
 その一人に詩人の黒田喜夫氏(1926~1984)が居る。彼は自分から離脱したのではなく痛烈な共産党批判をしたので共産党から除名された。戦後の共産党は共産党員による内部批判を許さない、表現の自由がない政党になっていった。

 黒田喜夫は若いうちに入党した熱心な共産主義者だったが、60年安保時に党批判したために除名された。
黒田喜夫の代表的な詩に「毒虫飼育」がある。ネットで「毒虫飼育」を紹介している批評家は黒田喜夫はプロレタリアのイデオロギーに汚染された作品はないのになぜ共産党に除名されたのか、その理由が分からないと述べているが、「毒虫飼育」は強烈に共産党を批判している詩である。
「毒虫飼育」は代表作の詩集『不安と遊撃』(1959)に収められている。

毒虫飼育

アパートの四畳半で
おふくろが変なことを始めた
おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
それから青菜を刻んで笊に入れた
桑がないからね
だけど卵はとっておいたのだよ
おまえが生まれた年の晩秋蚕だよ
行李の底から砂粒のようなものをとりだして笊に入れ
その前に座りこんだ
おまえも職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
朝でかけるときみると
砂粒のようなものは微動もしなかったが
ほら じきに生まれるよ
夕方帰ってきてドアをあけると首をふりむけざま
ほら 生まれるとこだよ
ぼくは努めてやさしく
明日きっとうまくゆく今日は寝なさい
だがひとところに目をすえたまま
夜あかしするつもりらしい
ぼくは夢をみたその夜
七月の強烈な光に灼かれる代赭色の道
道の両側に渋色に燃えあがる桑木群を
桑の木から微かに音をひきながら無数に死んだ蚕が降っている
朝でかけるときのぞくと
砂粒のようなものは
よわく匂って腐敗をていしているらしいが
ほら今日誕生で忙しくなるよ
おまえ帰りに市場にまわって桑の葉を探してみておくれ
ぼくは歩いていて不意に脚がとまった
汚れた産業道路並木によりかかった
七十年生きて失くした一反歩の桑畑にまだ憑かれてるこれは何だ
白髪に包まれた小さな頭蓋のなかに開かれている土地は本当に幻か
この幻の土地にぼくの幻のトラクタアは走っていないのか
だが今夜はどこかの国のコルホーズの話でもして静かに眠らせよう
幻の蚕は運河に捨てよう
それでもぼくはこまつ菜の束を買って帰ったのだが
ドアの前でぎくりと想った
じじつ蚕が生まれてはしないか
波のような咀嚼音をたてて
痩せたおふくろの躰をいま喰いつくしているのではないか
ひととびにドアをあけたが
ふりむいたのは嬉しげに笑いかけてきた顔
ほら やっと生まれたよ
笊を抱いてよってきた
すでにこぼれた一寸ばかりの虫がてんてん座敷を這っている
尺取虫だ
いや土色の肌は似てるが脈動する背に生えている刺状のものが異様だ
三十年秘められて妄執の突然変異か
刺されたら半時間で絶命するという近東砂漠の植物に湧くジヒギドリに酷似している
触れたときの恐怖を想ってこわばったが
もういうべきだ
えたいしれない嗚咽をかんじながら
おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い砂漠の国だけです
この虫は蚕じゃない
この虫は見たこともない
だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている
肩にまつわって蠢いている
そのまま迫ってきて
革命ってなんだえ
またお前の夢が戻ってきたのかえ
それより早くその葉を刻んでおくれ
ぼくは無言で立ちつくし
それから足指に数匹の虫がとりつくのをかんじたが
脚は動かない
けいれんする両手で青菜をちぎりはじめた

毒虫飼育の評論である。
引き取られて息子の部屋に住む、老いた母ははるか昔の蚕を育てたいという。革命から遠く離れてしまった息子は母を悲しく思っているか? それは違う。彼は老母と蚕たちの共闘する場面に息を飲むしかないだけだ。悲しんでいない。母は廃された養蚕業を見ているのではない。母はまっすぐ俺を見ていると彼は思う。もう革命は消えています、と何も知らない母に震え声で釈明しても、自分の空っぽの生活は変わらない。母はそこを問うている。違う、そうじゃないと喚いてみても、母には届かないのだ。彼女は彼の母なのだが、彼の思想的核(原点)、母性でもあるのだ。<生>に彩られない思想は在り得ても胡散臭いものである。すべては黒田がいうように自己自身の基底からその人の思想は噴出するものだし、しなければならない。

母は狂った頭で、息子の空想の室内で空想の三十年振りの蚕飼育をはじめる。母にとって、大切な砂粒から生育した蠢く虫達の生息は、あたかも挫折した息子の空想の亡骸にとりすがるようにしてなまなましい。架空の蚕のために、母のために「ぼく」は菜っ葉を刻むのだが、この刻む行為ははたして失われたものたちへの哀悼の精神とでも言うべき行為なのだろうか。そうではなく、ぼやけそうになりつまづきそうになる、自己の基底を支える母へ捧げる行為なのだろうか。
茂吉の絶唱とともに消えて行った母への慕情は、どこか位置をずらせたかっこうで、この作品に息づいているように思えてならない。

この評論は黒田の奥底を見ていない。毒虫飼育に登場する母は黒田喜夫の母というより時代遅れになっている共産党の擬人化である。
黒田は自分が求めていた革命は遠い砂漠の国の虚ろな革命でしかないことを感じるようになった。「毒虫飼育」は革命ははるか遠いものであり、共産党の革命論は毒虫でしかないと黒田は言っているのだ。この詩は痛烈な共産党批判である。
 戦後の議会制民主主義社会では日本共産党の目指す社会主義革命は時代遅れである。そのことに気付いた共産党員は共産党から離れていった。
 時代遅れの革命論を信じて違法行為を繰り返しているのが高江のヘリパッド建設反対派の共産党統一連と社民党沖縄平和運動センターである。
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