改憲の危機を目前にした憲法記念日
憲法を守るための私たちの行動が必要
《改憲前夜を迎えている》
教職員の皆さん!4月13日、衆議院は憲法改悪に向けた『国民投票法案』を与党単独で採決させ、安倍内閣は憲法記念日での成立をめざしていると報道されています。世論調査(4月9日にNHKが実施)では、この法案への賛成は28%しかなく、「反対」「どちらとも言えない」という意見は64%に及びます。今国会で法案成立を望む意見は8%でしかありません。日本弁護士連合会はこの法案が国民主権の観点から考え重大な問題があるとして反対声明を発表しています。
《戦争への反省から戦後教育が始まった》
「逝(ゆ)きて帰らぬ教え子よ 私の手は血まみれだ 君を縊(くび)ったその綱の 端を私も持っていた しかも 人の子の 師の名において」
これは戦後まもなく高知県で行われた日教組教育研究集会で地元から参加した竹本源治さんが読み上げた詩の一節です。この詩が読み上げられたとき、教員のすすり泣く声が会場を包み込んだと記録に残っています。教え子たちを戦場に送り、死に至らしめた自分たちの戦争責任を問うたのがこの詩でした。教員が自分の手が血まみれになっているとの反省に立つことで戦後教育がスタートしたのです。「教え子を再び戦場に送るな!」という教職員の原点はここにあるのです。
《忙しさが世界を見えなくしていないか》
朝日新聞のテレビCMに大きな衝撃を受けました。救助を求める難民や銃撃で傷ついた子どもを日本の日常生活の映像にダブらせたシーンを皆さんは覚えておられることと思います。最後のシーンは空爆で破壊される市街地を窓の外に見ながら、教室ではいつもどおりの授業が行われているというものでした。
「無関心が世界を見えなくしている」というナレーターの声がテレビでは入りましたが、これは今の学校そのものでないでしょうか。教育基本法が改悪され、国民投票法案が強引に衆院を通過し、全国学力調査が実施されても、職員室の話題には上らなくなっています。職員室で同僚と話し合う時間がないほど、私たちは仕事に追われる毎日が続いています。
忙しさが世界を見えなくしていないでしょうか。子どもたちを社会の担い手として送り出す以前に、私たちが社会の担い手として行動することを諦めているのではないでしょうか。
《先生という仕事と憲法》
私たち教員は、採用に際して「憲法と教育基本法を遵守します」という宣誓書に署名・捺印しました。教育基本法では、「(憲法が掲げる)この理想は根本において教育の力にまつべきものである」と定めています。そして憲法が掲げる理想とは、平和主義・基本的人権の尊重・国民主権=いわゆる『憲法の3原則』なのです。
改憲へ向けた潮流が大きなものとなっているということは、教育活動の一端を担った私たちの責任でもあると思います。残された時間は僅かかもしれませんが、憲法を守るため私たちがやり残していることはまだあるのではないでしょうか。
《日弁連が指摘する国民投票法案の問題点》
主権者の国民意志を知るためにも国民投票は必要という意見もありますが、法案には最低投票率の規定がなく1割の投票率でも憲法改正が可能な仕組みが作られようとしています。国民主権に反する投票法は廃案にしなければいけません。
◎憲法改正手続に関する与党案・民主党案に関する日弁連意見書(要旨) 《投票方式及び発議方式について》条文ごと(さらに場合によっては項目ごと)に投票する個別投票を原則とし、複数条項を一括して投票することは、これらを一括で投票しなければ条項同士が相矛盾し、整合性を欠くことが明らかである場合に限定されるべきである。
《公務員・教育者に対する運動規制について》裁判官等についての全面的な運動禁止・公務員・教育者について「地位利用」した運動の規制をすることは、公務員・教育者の自由な活動・運動を規制し、萎縮させるもので反対である。
《最低投票率について》最低投票率と絶対投票率を併用することが望ましいが、少なくとも、投票権者の3分の2以上の最低投票率を定めるべきである。
《過半数について》憲法改正には少なくとも投票総数の過半数が必要とするべきである。
憲法を守るための私たちの行動が必要
《改憲前夜を迎えている》
教職員の皆さん!4月13日、衆議院は憲法改悪に向けた『国民投票法案』を与党単独で採決させ、安倍内閣は憲法記念日での成立をめざしていると報道されています。世論調査(4月9日にNHKが実施)では、この法案への賛成は28%しかなく、「反対」「どちらとも言えない」という意見は64%に及びます。今国会で法案成立を望む意見は8%でしかありません。日本弁護士連合会はこの法案が国民主権の観点から考え重大な問題があるとして反対声明を発表しています。
《戦争への反省から戦後教育が始まった》
「逝(ゆ)きて帰らぬ教え子よ 私の手は血まみれだ 君を縊(くび)ったその綱の 端を私も持っていた しかも 人の子の 師の名において」
これは戦後まもなく高知県で行われた日教組教育研究集会で地元から参加した竹本源治さんが読み上げた詩の一節です。この詩が読み上げられたとき、教員のすすり泣く声が会場を包み込んだと記録に残っています。教え子たちを戦場に送り、死に至らしめた自分たちの戦争責任を問うたのがこの詩でした。教員が自分の手が血まみれになっているとの反省に立つことで戦後教育がスタートしたのです。「教え子を再び戦場に送るな!」という教職員の原点はここにあるのです。
《忙しさが世界を見えなくしていないか》
朝日新聞のテレビCMに大きな衝撃を受けました。救助を求める難民や銃撃で傷ついた子どもを日本の日常生活の映像にダブらせたシーンを皆さんは覚えておられることと思います。最後のシーンは空爆で破壊される市街地を窓の外に見ながら、教室ではいつもどおりの授業が行われているというものでした。
「無関心が世界を見えなくしている」というナレーターの声がテレビでは入りましたが、これは今の学校そのものでないでしょうか。教育基本法が改悪され、国民投票法案が強引に衆院を通過し、全国学力調査が実施されても、職員室の話題には上らなくなっています。職員室で同僚と話し合う時間がないほど、私たちは仕事に追われる毎日が続いています。
忙しさが世界を見えなくしていないでしょうか。子どもたちを社会の担い手として送り出す以前に、私たちが社会の担い手として行動することを諦めているのではないでしょうか。
《先生という仕事と憲法》
私たち教員は、採用に際して「憲法と教育基本法を遵守します」という宣誓書に署名・捺印しました。教育基本法では、「(憲法が掲げる)この理想は根本において教育の力にまつべきものである」と定めています。そして憲法が掲げる理想とは、平和主義・基本的人権の尊重・国民主権=いわゆる『憲法の3原則』なのです。
改憲へ向けた潮流が大きなものとなっているということは、教育活動の一端を担った私たちの責任でもあると思います。残された時間は僅かかもしれませんが、憲法を守るため私たちがやり残していることはまだあるのではないでしょうか。
《日弁連が指摘する国民投票法案の問題点》
主権者の国民意志を知るためにも国民投票は必要という意見もありますが、法案には最低投票率の規定がなく1割の投票率でも憲法改正が可能な仕組みが作られようとしています。国民主権に反する投票法は廃案にしなければいけません。
◎憲法改正手続に関する与党案・民主党案に関する日弁連意見書(要旨) 《投票方式及び発議方式について》条文ごと(さらに場合によっては項目ごと)に投票する個別投票を原則とし、複数条項を一括して投票することは、これらを一括で投票しなければ条項同士が相矛盾し、整合性を欠くことが明らかである場合に限定されるべきである。
《公務員・教育者に対する運動規制について》裁判官等についての全面的な運動禁止・公務員・教育者について「地位利用」した運動の規制をすることは、公務員・教育者の自由な活動・運動を規制し、萎縮させるもので反対である。
《最低投票率について》最低投票率と絶対投票率を併用することが望ましいが、少なくとも、投票権者の3分の2以上の最低投票率を定めるべきである。
《過半数について》憲法改正には少なくとも投票総数の過半数が必要とするべきである。